2019年07月22日

死刑の覚悟

「ソークラテースの思い出」 クセノフォーン」佐々木 理 訳
(その3)
 岩波文庫 1953

p231〜

 「私(クセノフォーン)は、ヒッポニーコスの息子のヘルモゲネースから聞いた彼(ソークラテース)についての話も、ここにのべよう。すなわち彼は語って言った。メレートスがすでに彼に対する訴状を書いてだしたときである。ソークラテースは訴訟の話だけ除いて、あらゆる話をさかんにしていたが、彼の話を聞いていたヘルモゲネースが、弁明の文句をお考えになっておく必要がありましょうと言った。すると彼の最初の言葉は、
 「私は一生涯その準備をして暮らして来たんだが、君にはそう思えないか」というのであった。そこで、「どうしてですか」と問いかえすと、彼は、「自分はただ正義と不正とを考究することと、正義を行い不正を避けることとについやして来たのであって、これが弁明のもっとも見事な準備と信ずる」と答えたのであった。そこでヘルモゲネースが言うに、
 「しかし、ソークラテース、アテーナイでは裁判員が弁論に誤られて、よくなんら罪なき人を殺し、罪ある者を釈放するのを、ご覧になりませんか。」
 「それはそうだが、ヘルモゲネース」と彼は言ったという、「事実私も裁判員たちに答える弁明を考えはじめてみたのだが、たちまち神霊がこれに反対したのだ。」
 そこで彼が「不思議なことをおっしゃいます」と言うと、彼が言うのに、
 「不思議と思うかね、もし神が、私はもう生命を終えるのが良いとお考えになるであったら。君はもはや知らぬことはなかろう。この今日に至るまで、私はまだ私より良く、私より楽しく、生涯を送った人間があるとは認めないのである。なんとなれば、できるかぎり善い人間になろうとして最善をつくす者が、最善の生涯を送り、前よりも一層善くなっているとの自覚のもっとも大きい者が、もっとも楽しい生涯を送るものと、私は思うからである。今日のこの日に至るまで、私の生涯はじつにこのとおりであったのを私は知っているし、また他人と出逢って彼らに自分を比べて見ながら、自分に関するこの意見を変わらずつづけて来たのである。そしてひとり私ばかりでなく、私の友人たちも私に関して同じ意見をつづけて来てくれた。それは決して愛情のゆえではなかった。愛情のゆえであるならば、ほかの人を愛する人々も、彼らの愛する友人に対して同様の意見を持って善いはずである。そうではなくて、彼らは私とともに居ることによって、最善の人物となれるのだと信じたがためである。もし私がこれ以上生きているとしても、おそらく老人の調物(みつぎもの)を否応もなく納めさせられるのみであろう。すなわち眼はかすみ、耳は遠くなり、考える力はにぶり、物覚えは衰え、物忘れは頻りとなり、昔は自分の力がすぐれていた人に、いまは劣るようになろう。たとえこうしたことに気がつかずに居られたにしても、生きて居ることがすでに重荷であろうし、もしまたこれに気がつくとしたら、どうして忌まわしい味気ない生活にならずに居られようか。」


-----
(死の覚悟)
posted by Fukutake at 09:00| 日記

2019年07月19日

哲学者の視点

「ソークラテースの思い出」 クセノフォーン」佐々木 理 訳
(その2)
 岩波文庫 1953

正しい見方 p167〜

 「あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので腹を立てていると、彼(ソクラテス)は言った。
 「笑うべきことだよ。君は身体の悪い人間に出会っても別に腹を立てないのに、心が粗野にできている人間に出会ったというので、憤慨するのは。」

 別の男が、食い物が不味くて困ると言ったとき、彼は言った。
 「アクーメノスがそれに大変よい薬を教えている。」そして「どういうのか」とたずねられたとき、彼は言った。
 「物を食うのをやめるというのだ。やめるとずっと楽しく、ずっと安く、ずっと健康に暮せる。」

 また別の男が、自分の家で飲んでいる、水がなまぬるくて困ると言ったとき、彼は言った。
 「そりゃ、行水を使おうと思うときにすぐ間にあってよいではないか。」
 「いや、行水には冷たすぎるのだ。」
 「じゃあ、君の召使いどももそれを飲んだり、それで行水を使ったりするときに、不平をいうのか。」
 「いやどうして。連中はそのいずれにも甚だ気持ち良さそうに用いているので、私はときどき呆れている。」
 「君の所の水と、アククレーピオスのお社の水と、どっちが飲んで熱いのか。」
 「アスクレーピオスの水だよ。」
 「君の所の水と、アムフィアラーオスのお社にある水とどっちが浴びてつめたいのか。」
 「アムフィアラーオスの水だよ。」
 「それでは、君はどうやら奴隷や病人よりも気難しい人間だと思うがよろしい。」

 ある人が従僕をひどく折檻していたとき、彼はなんで下男に腹を立てているのかとたずねた。
 「此奴は食物に大贅沢なくせに大間抜けで、金に貪欲なくせに大怠け者だからだ。」
 「それだといままでに、君とその下男とどちらが余計に笞を受けるべきであるか、考えてみたことがあるかね。」
…」

-------
自分は見えない。
posted by Fukutake at 13:51| 日記

2019年07月17日

老後への備え

「ソークラテースの思い出」 クセノフォーン」佐々木 理 訳
(その1)
 岩波文庫 1953年


 p109〜
 「またあるとき、久しぶりで昔の弟子に出逢って彼(ソクラテス)は言った。「エウテーロス、どこからきたのだ。」
「戦争の終了後国外から帰りましてね、ただいまはこちらにいるのです。国外にあった財産は没収され、アッティカには親爺が一物も遺しておいてくれませんでしたから、いまはこちらに来まして身体を使う仕事をして暮らしを立てるよりほかにはない始末です。人に頭を下げたりするよりは、これが一番よい方法だと思っているのです。それは借財をしようにも抵当とすべきものがないのですから。」
「そして仕事の賃銭で生活を立てて行くのに、身体はまたどのくらい大丈夫のつもりかね。」
「もちろん大して長くはありますまい。」
「それに、君が年をとったときには、金はいるばかりだが、誰も肉体労働に賃金を払おうとする者はなくなるのは、明らかなことだ。」
「それはおっしゃるとおりです。」
「それなら、年が寄ってもなお暮らしてゆけるような種類の仕事に、早速とりかかるのがよりよくはないか。そして、誰か裕福な人で、経営の助手を欲しがっている人のところへ行き、仕事の監督をしたり、農作物のとりいれにあたったり、財産の管理を手伝ったりして、先方の利益になり、かわりに自分も利益を受けるのがよいと思う。」
「どうも、ソークラテース、私には奴隷になることは堪えられません。」
「だが、事実、国家の先頭に立って国の仕事の面倒を見る人々は、その仕事のために前よりも奴隷なったとは考えられず、かえって一層自由性を高めたと考えられている。」
「一と口に言うと、ソークラテース、私は人の叱言を喰らって暮らすことは、全然性にあわんのです。」
「それだっても、エウテーロス、人の叱言を受けずに済むような仕事を探すことは、決して容易ではない。なぜと言って、何一つ間違いのないように事を行うということは困難であるし、また何一つ間違いのないように行ったところで、不当な非難に出逢わずに居ることは難しいのだ。君がいまやっているという仕事にしても、もし非難を受けずに済むことが容易だとしたら、私は驚く。されば、叱言好きの人を避けて、正当な批判のできる人を求め、仕事は自分の力でやりとおせるものをやるようにし、できないものはこれを避け、そしてする仕事はできるだけ見事に、できるだけ熱心にやるようにつとめることが肝心だ。こうするならば、きわめて安穏にまた安全に生活し、老後に及んでも少しも困らずに居られると、私は思う。」

----
(身につまされまます)
posted by Fukutake at 11:20| 日記