2017年06月19日

延命の是非

「死すべき定め」死にゆく人に何ができるか アトゥール・ガワンデ 
原井 宏明 訳 みすず書房 2016年

勇気 244p〜

 「… 延命の目的の外側からの人工的な装置を外す権利を与えることと、内側からの自然な死の過程を中断させる権利を与えることの間の区別を一貫性のある哲学に基づかせるという難題に私たちは向き合うようになった。
 この議論の根本には、私たちがもっとも恐れる過ちがあるー苦痛を引き延ばしてしまう過ち・大切な命を縮めてしまう過ちだ。医療者は健康な人が自殺しないようにする、なせなら精神的な苦しみはたいてい一時的なものだと見ているからだ。援助すれば、経験する自己とは違うものの見方を記憶する自己が後でしてくれるだろうと医療者は信じているーそして実際、自殺から救われた人のうちごく一部だけが自殺を再度、試みるー最終的には大半が生きていて良かったと述べる。しかし、これから苦しみが増すだけだとわかっている末期患者に対して、同情せずにいられるのは氷のような心の持ち主だけだ。

 同時に一方で、人の死を早めるのを積極的に助けることが医療行為の一部になったときに何が起こるかを考えると恐ろしい。この権利の濫用についてはさほど心配しないが、これに依存してしまうことは心配している。
(中略)
 …(自殺幇助が合法であるような制度下では)制度の運用には周囲の文化が必然的に影響する。たとえばオランダでは自殺幇助の制度が何十年も存在していて、その間に深刻な反対運動にあうことはなく、この制度の利用が相当に伸びている。しかし、二〇一二年で三五人のうち一人のオランダ人が自分が死ぬ前に自殺幇助を求めているという統計は、自殺幇助制度の成功を示す数字ではない。むしろ、失敗を示す数字である。医療者の究極の目標とは、あれこれ言っても結局のところ、よい死を迎えさせることではなく、今際の際までよい生を送らせることなのだ。

 確かに、今際の際の苦痛は避けがたく耐え難いときがある。悲惨な状況を終わらせる援助も必要かも知れない。もし、そういう機会があるならば、私ならこうした薬の処方を苦しむ患者に出せるようにする法律に賛成だろう。患者の約半数は出された処方を使わない。必要など思ったときは、自分でコントロールできると患者に知らせるだけでよい。しかし、この権利ゆえに医療者が病者の生活の改善を怠るようになったとしたら、それは社会全体にダメージを与えたことになってしまう。生命幇助は自殺幇助よりはるかに難しいことだが、それがもつ可能性ははるかに大きい。

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「よい生を今際の際まで送らせる……」
posted by Fukutake at 12:34| 日記

2017年06月12日

京都と自然

「京都の壁」 養老孟司 PHP 京都しあわせ倶楽部 2017年


鴨川と『方丈記』 197p〜
 「京都の鴨川と重なるのが鴨長明の『方丈記』です。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」で始まる鎌倉時代の随筆です。
 現代風に訳すと、「行く川の流れは絶えることがなくて、しかももとの水と同じではない。流れが滞っているところに浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では生じて、長い間、同じであり続ける例はない。」
 三つ目の文章は「世の中にある人とすみかと、またかくの如し」です。つまり、人間も鴨川と同じですよと喝破しています。それは生物学では、物質の代謝がはっきりするまでわからなかったことです。人の体は七年ですべての分子が入れ替わっていますが、みなさん、そんなことは考えていないでしょう。でも鴨長明は知っていたのです。「あなただって鴨川と同じだ。ものを食べているのだから、食べたものが体の中に入って体をつくっている」とわかっていたのです。そして「あなたはそこにいつもいるけれど、実は中身は入れ替わっているのだ」と言っています。「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」とも言っていますから、街もまた、同じだと書いています。これは相当に深い哲学です。

 これがそのまま、あの時代に初めて意識された考え方だろうといえるのは、『平家物語』の冒頭の同じだからです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。まさに諸行無常、すべてのものは移り変わるということが、『方丈記』と『平家物語』には共通しています。諸行無常とは、移りゆく時の流れの中で栄枯盛衰を実際に見た人が感じるもの。おもしろいのはその後の日本人が、「それでは、移り変わらないものは何だ」ということをあまり考えてこなかったということです。」

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長い時間をかけて諸行無常を体験してきた街、京都。
posted by Fukutake at 13:23| 日記

2017年06月05日

死を前にした人生随想

「流砂」ヘニング・マンケル 柳沢由美子 訳 東京創元社 2017年

(41 安堵)より 205p〜

 「がん治療の初期には、様々な検査が行われ、その中に頭部のレントゲン撮影があった。エヴァと一緒にその結果を聞きにいったとき、私の気分は最悪だった。がんは頭にまで転移しているのか?もしそうなら、私の命はもうじきに終わるということしか考えられなかった。
 だか、その時に私の担当医だったモナは、頭部にはなにも見つからなかったと教えてくれた。エヴァは私の手をきつく握って、モナに言った。
 「ありがとう!ありがとう!」

 大きな安堵。私はアフリカの川でカバに襲われそうになったときのことを思い出した。あのときも死の覚悟をしたものだ。もう一つ、思い出したのはノルウエーのフレドリックスタードでサッカーを観たときのことだ。
 私はスタンドのずっと上のほうに座っていた。突然私の目に、スタンドの一番下の席から上を見上げている男の子の顔が映った。顔が歪んでいまにも泣きそうだった。私にはすぐにわかった。いっしょに来た人を見失ってしまったのだ。大勢の人間の中で、迷子になってしまったのだ。私は立ち上がり、その子のほうに駆け出した。だがそのとき父親らしき人物が立ち上がって、その子に向かって手を振った。
 そのとき男の子の顔に浮かんだ安堵の表情は私は忘れない。
 一九七二年、私は初めての本を書き上げた。書き上げたら出版社に送ると決めていた。三度原稿を書き直していた。私は出版社がこれを受け取ったら必ず出版すると確信できる原稿を書き上げたとき初めて送ろうと決心していた。なんとも勇気のある、いや愚かな決心だった。そんなことが事前にわかるなどということはあり得ないのに。
(中略)
…八月のある日、詩人ダン・アンダーソンの写真のハガキが、私のドアの郵便受け口からするりと床に落ちた。私が原稿を送った出版社の社長が本を読み、出版を決めたという知らせだった。
 そのときの気持ちはどうだったか?郵便受けの前の廊下に裸で立っていた足が冷たかった。喜びを感じたか?歓声を上げたか?思い出すのは大きな安堵だった。全身に温かい震えのように安堵の波が押し寄せた。原稿は良かったのだ。出版に値するほど良かったのだという思いだった。
 私は床に座り込み、大きく息を吸った。それからゆっくり吐き出した。」

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2015年10月5日、ヘニング・マンケルが67歳の生涯を閉じた。最後のエッセイ集。残念です。
posted by Fukutake at 12:54| 日記