2018年10月31日

司法殺人

「共同研究 パル判決書(下)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その7−1)

ソ連の言いがかり(日露戦争への侵略だとする告発)

 p227〜

 「われわれに親の罪を子にきせる用意があるとしても、一九〇四年ないし一九〇五年、あるいは一九一八年ないし一九二二年のロシアにたいしてとった日本政府の行為または態度、あるいは当時のロシアにたいしてなにか特定のやり方で振舞ったかもしれないところの、当時の「少数一派の軍人」を引き合いに出すことによって、現在の被告に手を伸ばし、あるいはその罪を判断することはできないと思う。
 検察側は、本件(全面的共同謀議に審理)においてこれから取り上げるところの侵略が進展しつつあった歴史的背景を明らかにするものとして、これらの行為をあげようとしたのであって、また検察側が「一般に知られている歴史的諸事件」と名づけたものをわれわれに示そうとしたのである。
 歴史的背景に言及するとことがすこしでも合法的であるとするならば、本官としては、なにゆえに一九〇四年ないし一九〇五年、あるいは一九一八年ないし一九二二年から始めなければならないか、理解しがたいのである。歴史的調査は、極東における現在の状態の原因を理解するために、われわれの助けとなり、それによってこれらを正しい背景のなかにおく場合にだけ関連性があるのである。
 われわれは、二世紀余にわたる厳重な鎖国の後、日本帝国がふたたび外界との関係を結んだというよりは、むしろ正確にいえば結ばされたときから説き起こしてよかろう。そのときの日本は西欧諸国が日本からかちえた条約の諸条件に従わなければならなかったので、その方法たるや後日にいたって、日本がその隣接諸国との関係において模倣したとき、これらの条約を日本に結ばせた当の条約諸国は、それを呼んで侵略的であると評したものである。後には日本を国際社会の一員に加えて、そしてついには第一次世界大戦における五大同盟提携国の一つに入れる結果となった。この新しい関係の起源及び発展を理解するには、われわれの考察を、すくなくともこれらの条約から始めるべきである。

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覇権主義(つよい者勝ち)、これが白人世界の真実。
posted by Fukutake at 15:00| 日記

2018年10月29日

責任者の決断

「共同研究 パル判決書(下)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その6)

開戦の決定

p134〜
 「…同人(東条)の(開戦の)決心の基礎をなしたるところの結論、すなわち当時の日米韓の紛議をもって調整不可能であるとみなしたその結論が、はたして間違いのないものであったかどうかを調べてみる必要なないのである。あるいはその決断は正しかったかもしれない。この点について言及した弁護側の証拠は当時東条の到達した結論を十分に支持するものである。この証拠については後ほど論議する。現在においては、本官(パル判事)はこの証拠が一九四一年七月のはるか以前に、合衆国政府が日米問題の調整は不可能であるとの決定に到達していたことを明確に示すものであるといえば足りる。少なくとも一九四一年三月以来の同国政府の対日措置を考えてみれば、日米両国の政治家ならばだれしも右の米国の決定についてなんらの疑問を有する余地はあり得なかったのである。本官はふたたび繰り返し強調するものであるが、現在のところ、双方いずれかが右事態に関する責任を負うものであったかは、さして重要ではないのである。事態はまさに右のようなものであったのであり、かつ東条はそれをはっきり洞察していたのである。いずれにしても、同人は自身の結論に到達し、それにもとづいて決定をなしたのである。
 ここで問題になっているような非常時にさいしては、東条のような地位にあった人ならば、だれもがある決定に到達すべきであり、かつ勇気をもって自己の信念に確信を持つものが当然であると考えられる。その後に続いて起ったことは、事の成行として当然に起った事である。それらのでき事が、なんらかの意図をもってなされたものであるとは考えられない。東条は事態の進展にともない、求められれば全責任をその双肩に担う覚悟は十分有していたかもしれないが、権力を掌中に収めようなどとは決して意図していなかったのである。
 いまや証拠によって十分に示されているように、当時の日本は、ある人もしくは一群の人人にとって、権力が重要価値を有するものと考えられていたような時ではなかったのである。それはまさに日本の死活の時であったのである。東条をはじめすべての政治家が十分に承知していたように、それは国家としての日本の存在自体が深刻な危険にさらされていた時なのである。多少とも要職にあった政治家や外交官は、挙げて国家の名誉を傷つけずに滅亡から免れる方法を見出すのに頭を悩ましていた。このような重大時期においては、政治家は権力の把握に身をやつしてはいられないのである。かれらは重責を担いそして勇断をもって差し迫った危険に対処するという、厳粛な義務の履行を求められているのである。
 東条は急迫した危険を十分承知のうえで、登場してきたことは明白である。同人は政治家としてその全力を尽して外交上の処置を継続したが、結局米国との間において、名誉ある解決を見るにいたらなかったのである。右に関連してわれわれの前に提出された証拠中には、このでき事をもって政権を把握しようとしたものであると烙印づけるこころみを正当化しうるようなものは全然見出し得ないのである。」


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緊迫する事態に対処する東条の姿。
posted by Fukutake at 10:32| 日記

2018年10月25日

共同謀議について

「共同研究 パル判決書(上)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その5)

全面的共同謀議の存否

862p〜
 「「無政府」とは、考えようによっては、政府が全然存在しないことを意味するが、同時にまたそれはいくつかの、相抗争する政府の存在することを意味する場合もある。その場合の権威者は、実際には未発達の新興国家の統治者なのである。この隣りの権威者を併合しようというかれらの欲望は、第三者のなんらの関係を有しない事柄である。権力には必ず責任がともなわなければならないのであり、こうしてこれらの相争う権威者が、実際に統治するところのその領土の外部においては、かれらはまえの正当な統治権によって与えられた法律上の権力も、また現実的な力の存在によってえた物質上の権力も有することができない。この領土について、かれらは一国家を形成したものであると考えられることも、そう考えられないこともありうる。二つの全然独立した政府があって、しかも両者がともに権限を有しないような地域を、単一の国家として外国によって取り扱われるものとは期待することはできない。この考え方は、国際法の基礎そのものと矛盾するものである。
(中略)
 本官(パル判事)は、すでに右に記述したところから推して十分明白であるように、盧溝橋事件以前の中国の情勢が、本件(全面的共同謀議存否の審理)に重要な関係を有するものであると信ずる。「中国の内乱およびその結果として同国が拡がった無政府状態」は、もしこれが実証されるならば、検察側によって主張されたような華北における日本側の行動を正当化するに役立つか、そうでなければ少なくともそれを説明するのにおおいに役立つものと思われる。右に関連して弁護側によって主張されたように、華北における日本軍が、平和ならびに静謐を回復したかどうかということを調べるのは、適当であろうと信ずる。本官がすでに注意を喚起するところがあったように、不幸にもわれわれは一九四六年(ママ)七月九日ならびに二十五日に、華北における日本軍が同地の治安を回復したことを示す証拠を却下したと同様に、日本軍隊の作戦開始以前における中国の国情に関する証拠も却下することに裁定したのである。私見
によれば、右のような証拠を却下した結果、われわれが、これらの日本側の
行為がはたして起訴状に主張されたように、事前になんらかの全面的な共同謀議があったことを示しているものであるかという、そのどちらの結安にも到達することを困難にするのである。」


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何としても有罪としたい審理過程の姿を暴く。
posted by Fukutake at 10:26| 日記