2017年08月28日

大政奉還を実現させた江戸の朱子学

「現人神の創作者たち」(その2) 山本七平  文藝春秋 昭和五十八年

赤穂浪士事件に現れた、明治維新(大政奉還)につながる日本人の心情イデオロギー

383p〜

 「ご都合主義者というものは、その場その場で適当なことを言うわけだが、それが時には、とんでもない「自殺的言辞」を口にしてしまうことがある。これでは、つきつめて行けば、「幕府の法は義に反する」ということになってします。当然に、(佐藤)直方はこれを批判した。事実、林信篤の主張は論理的に正しくない。直方はあくまでも、「上野宅エ押込、飛道具抔(など)持参、上野ヲ討候始末、公儀不恐段々不届ニ候。依之切腹申附者也」の判決を正しいとする。」

 「しかるに世俗雷同して、四十六人を忠臣義士と称す。(中略)上野助は彼等が讐に非らず。上野助が内匠頭を害したらば、讐と云うべし。… 内匠私の怨怒によって上野介を討、大法に背くに因って内匠 上より死刑におこなはる。何の讐と云うべけんや」と論じている。」

 「だが、結局、当時の“社説”ともいうべき大学頭林信篤の説に雷同した俗論と、以上のような無知からの“投書”的俗論に対して、直方は無力であった。法に違反しているし、論理的に上野助を討つのは筋が通らないが、主君と心情的に一体化しているのは立派であるという議論は、彼の論理的な「目の子算用」をした議論を押し流してしまった。確かに「朱子が絶対ならすべてを朱子学によって律して割り切らなべならぬ」し、マルクス・レーニン主義が絶対ならばすべてをマルクス・レーニン主義で律して割り切らねばおかしい。そしてその割り切った論理は確かに爽快である。しかしそれは結局、消えていき、そのイデオロギーによって触発された心情の方だけが残る。これが日本人とイデオロギーの関係の一側面であろう。この点だけでも、直方は消えて当然であった。そして以後の日本を律するのは結局、この直方を消した「心情イデオロギー」になるのである。そしてこれは、この当時から明治、そして現代にまで続いている。」

(一部は筆者がカタカナをひらがなにかえてあります。)
posted by Fukutake at 08:28| 日記

2017年08月21日

夷の宿命!?

「現人神の創作者たち」(その1) 山本七平  文藝春秋 昭和五十八年

「華」を目指す「夷」の優等生

294p〜
 「戦後の日本はしばしば『西欧の優等生』といわれた。だがこれは言葉を変えれば『二流の西欧』ということであろう。もちろん弟子が師にまさり、優等生が先生を凌駕することもあるかもしれない。しかし凌駕しようとまさろうと『凌駕したか否か』の基準は『先生』の方にあり、『先生』を尺度としているのであって、弟子を尺度としているのではない。簡単に言えばメートル尺で一二〇センチの子供を計るようなもの、この場合、子供は一メートルを越えたと言い得ても、子供を基準にメートル尺が低くなったとは言えない。他の文化の規範を受容しそれを自己の基準とすればこのような現象が起こっても不思議ではない。少なくとも現在までは後進国の人びとは『日本に留学してもつまらない。あれは模倣がうまいだけだから、学ぶのなら欧米に行くべきだ』と考えていた。いまは事情がやや異なっているように見えるが、それは『日本の能率的な学び方を学ぼう』であり、この点では、本質的な差はないと言える。これは徳川時代でも同じであったろう。たとえ日本が山鹿素行のように『日本=中国論』を展開しようと、また中国人から高く評価された儒者がいようと、儒学を学ぼうと思う人間は中国に留学しても日本には留学しなかったであろう。いづれの場合もそうなって当然である。

 こうなると徳川時代の日本人の『対中国意識』と戦後の日本人の『対欧米意識』にきわめて似た点があって不思議ではない。両者が共通してもつものは極限まで行っても『優等生意識』『師を凌駕した意識』であり、簡単に言えばそれぞれの“本家”への二流意識なのである。なぜそうなるのか。他人の尺度を借りて自己を計っても、自らの尺度を持ち得ないからであろう。この点では徳川時代も現代も変わりはなく、変わった点とは言えば『物差し』を取りかえただけである。この点では、徳川時代の朱子絶対化は明治の転換を容易にしたといえる。いわば絶対化の対象を『中国という外国』から『西欧という外国』に切りかえただけだからである。そしてそれは戦後にまたアメリカに切りかえることを容易にした。」

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真に自らの伝統から析出した尺度が必要だ。
posted by Fukutake at 11:47| 日記

2017年08月16日

目と耳とでは理解が異なる

「話せばわかる!」 養老孟司対談集(身体がものをいう)
  清流出版 2003年

論理の耳に羅列の目

140p〜

米原万里(ロシア語同時通訳者):…(モスクワ大学の日本語の堪能な学者が)『日本の学者は学者ではない』と。なぜなら「博学だが。知識が羅列になっている。学者の仕事は知識を自分なりに整理して、いまの世の中における混乱の原因を突きとめることだ」というのです。私は自分の経験から、なるほどと思った。日本の学者の発言は、言葉と言葉の関係性、緊密さが弱い。だから覚えにくくて、通訳がしにくいのです。客観性を、羅列と間違えているのではないでしょうか。

 養老:僕も長年、不思議に思ってきました。学問的であるとは、主観を避けることと思っている。しかし、取り上げていること自体も、選び方、並べ方から主観です。

 米原:ものごとすべてに対して等距離を保つというような話し方は、退屈で印象に残らないし、理解しにくいからとても通訳しにくいんです。

 養老:それが日常だと、聞かないという反応になる。僕の場合は、結局、必要がないからね。家で『聞いてないだろう』とよく言われるけれども、実は聞いていない(笑)。

 米原:それが、同時通訳者と翻訳者の決定的な違いなのです。翻訳者は情報が目から入ってくる。目はとても欲張りで、見たものすべてをとらえようとする。全部訳そうとする。無関係な情報がずらり並んでいても、目なら羅列でも許されるわけです。一方、耳はわからないことは聞こえてこないようになっている。聞こえてくるのかも知れないけれど、意識に達する時には淘汰されているから、わかる情報だけが通訳者の耳に入って訳されていく。訳した言葉は自ずと論理的になるのです。日本の学者は基本的に書いたものを読んで発表するために、羅列になりやすいのかもしれません。目で読んでとらえられるものは、あまり論理的でなくても済むのですね。

 養老:それが顕著なのは、生まれつき目が見えない子どもと生まれつき耳が聞こえない子どもの両方を比べてみた場合です。目は見えるけれども耳が聞こえない子どもが一番え理解しにくいのは、論理と疑問文なのです。耳は論理で、論理はひとつ一つわかりやすく説いていく必要がある。時間性がある。目は同時並行で時間性がない。それははっきりとした違いです。

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目と耳の機能の違い!
posted by Fukutake at 14:15| 日記