2018年09月18日

念仏

「徒然草」第三十九段 (イラスト古典全訳 橋本 武 著 日栄者)

法然上人 54p〜

 「ある人が法然上人に向かって、『念仏を唱える時に、睡魔におそわれて勤行を怠ってしまうことがございますが、そんな時には、どのようにしてこの障害をなくしたらよろしいでしょうか。』と申し上げたところ、上人は『目のさめている間に、念仏なさればよろしい。』とお答えになったが、これはたいへん尊いお言葉だと思う。
 またある時には、『極楽往生は、きっとできると思えばたしかにできることでもあるし、できるかどうかわかったものではないと思えば、それは不確かなことになるのである。』と言われた。これも尊いお言葉である。
 また、『往生できるかどうか。疑いながらにでも念仏を唱えておりさえすれば往生できる。』とも言われた。これもまた尊いお言葉である。」


(原文)
 「或人、法然上人に『念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて、行を怠り侍(はんべ)る事、いかがして、この障(さわり)りを止(や)め侍らん』と申しければ、『目の醒めたらんほど、念仏し給へ』と答へられたる、い尊(たふと)かりけり。
 また、『往生は、一定(いちぢやう)と思へば一定、不定(ふぢやう)と思へば不逞なり。』と言はれけ利。これも尊し。
 また、『疑いながらも、念仏すれば、往生す』とも言はれけり。これもまた尊し。」

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当時の庶民が信心したのもうなずけます。
posted by Fukutake at 16:56| 日記

2018年09月14日

太平天国の乱の始末

「中国政治論集−王安石より毛沢東までー」 宮崎市定 著 1989年
 中央公論文庫
(その2)

曾国藩 清朝同治帝への奏上(宮崎市定訳)

243p〜

 「臣等が謹んで考えますのに、洪秀全が広西省で乱を起こしてから、今で十五年になり、南京を占領してからでも十二年になります。その間、中国に毒をばらまき、神おも人おも憤慨にたえざらしめた。清朝の武勲の盛んなことは遥かに前代を凌駕し、度々大なる内乱を平定したことは歴史に明らかに記されている。しかし嘉慶年間に四川湖北における白蓮教匪の乱(一七九六〜一八〇四年)は、波及したのは僅かに四省であり、占領された城は十余に過ぎない。(ここにいう城とは周囲に城郭をもつ都市、すなわち大体県以上と考えてよい。鎮は市街をなすが、普通には城壁をもたぬからである。)次に康熙年間の三藩の乱も波及したのは十二省、陥落したのは三百余城であった。然るに今度の太平天国の乱は洗浄となった省は本部十八省のうち、最も軽微な雲南・甘粛の二省を除いて十六省に及び、占領された城は六百以上の多きに上った。敵の中でも特に兇悍な徒党の例をあげるならば、一八五五年に利開芳が山東省の馮官屯を守り、一八五九年まで林啓容が九江を守り、一八六〇年まで葉芸来が安慶を守ったごとき、みな堅忍不抜で死ぬまで戦った。この度、南京城が陥っても、十万余人の敵が一人として降参するものなく、集団で自焚しても悔いることを知らない、実に歴史上にも滅多に見られない劇賊と言うべきである。」(抜粋)

 (宮崎先生の論評)
 「この文章は短いが太平天国十五年の歴史の総括といってよく、同時にそれは曾国藩自身の回顧でもあり、恐らく感慨無量なるものがあったであろう。殊に九江と安慶の攻防戦は、太平軍と湘軍とが運命をかけた決戦であり、両度とも湘軍の勝利に帰し、太平軍は毎回、二万人近い精鋭が殲滅され、この後形勢は日増しに悪化し、これに反して曾国藩の前途に洋々たる希望が見え始めたのであった。それにしても最後の南京包囲戦において湘軍の死者約二万人、太平軍の十万余人とは実に莫大な数字である。曾国藩は敵側で一人として降伏する者が無かったと言っているが、実はこの際に大虐殺が行われたので、降伏するにも遑(いとま)がなかったらしい。それはどうも掠奪を目的とし、その犯跡を晦ますためには敵を生かしておいては都合が悪かったのであろう。太平軍も湘軍も初期においては軍規が厳粛であったが、長い戦争の後に次第に規律を失って堕落し、掠奪が日常の行事となった。湘軍に後には商人群が随行し、将兵の掠奪品を買受け、或いは給与や他の所得を故郷へ送り届ける業務を行った。
 
 湘軍の将卒も末期になると、利益の獲得や立身出世の幸運を狙っての戦闘であった。
 内乱による戦争も、一個人の生涯を賭ける大きな博奕の機会として利用されたのである。」

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内戦の実態


posted by Fukutake at 10:25| 日記

2018年09月10日

酒の功徳

「徒然草」第百七十五段 

(「イラスト古典全訳 徒然草」 橋本 武 訳著)

(同段 後半)
「…(酒というものは、前述したように)いとわしいと思うものではあるが、時と場所によっては捨てがたい折もあるはずである。秋には月の夜、冬には雪の朝、春には花の下などといった雰囲気の中で、心静かに物語をしているときに、杯を取り出して汲みかわしたのは、何かにつけて興を添えることである。手持ち無沙汰な日に思いがけなく友がやって来て、いっぱいやったのも心の慰むことである。高貴なお方の御簾の中から、御果物や御酒などを、まろび出るようなお声をかけて、さし出していただいたのは最高である。冬、狭い場所で火で何か煎ったりなどしながら、気の合った仲間がさし向かって大いに飲んだのはまことに愉快である。旅の仮屋だとか、野山などで、「酒の肴に、何かないかナ。」などと言って肴を都合して、芝の上で飲んだのは楽しい。ひどく迷惑そうにする人が、強いられて少しばかり飲んだのもなかなかよい。身分もあり教養もある立派なお方が、特別に「もう一つどうですか。まるで飲んでないじゃありませんか。」などとおっしゃってくださったのもうれしい。近づきになりたいと思っている人が上戸であって、酒のとりもちですっかりうちとけたのも、またうれしいものである。
 なんといっても、上戸は愛嬌もあり、罪の許されるものである。他人の家で酔いつぶされて朝寝をしているところを、その家の主人がひき開けたのにとまどいして、寝ぼけた顔のまま、細い髻(もとどり)をおっ立てて、着物を着る間もなく抱きかかえ、ひきずりながら逃げて行く、裾をつまみ上げた後ろ姿、毛の生えた細脛をむき出しにした様子など、いかにもご愛嬌もので、罪のない上戸にぴったりの情景といえよう。」

(原文)
 「…かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝(あした)、花の本(もと)にても、心長閑に物語して、盃出したる、万(よろず)の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外の友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れ馴れしからぬあたりの御簾の中(うち)より、御果物(おんくだもの)・御酒(みき)など、よきようなる気はいしてさし出されたる、いとよし。冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向かひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「御肴何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少なし」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほし人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言えど、上戸は、をかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、主人(あるじ)引き開けたるに、惑ひて、惚れたる顔ながら、細き
髻差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろいて逃ぐる、掻取姿の後手、毛生(お)ひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。」

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ちょっとは飲んでもいいよね。
posted by Fukutake at 09:47| 日記