2017年03月19日

思いどおりにならない!

「ココロとカラダを超えて エロス 心 死 神秘」 頼藤和寛 
ちくま文庫 1999年

第二章 心=直指人心の章 117p~

 「およそあらゆる心の悩みというのは、自分の思いどおりにならないことに起因いたします。そりゃそうでしょう、我が身や万事が自分の思いどおりになれば悩みようがありません。ところで、脳は悩みの臓器なのです。脳と悩は単に字が似ているだけではない。
 すでに述べたように、心の発生や自他の区別の第一の要因が、この「ままならぬ」性に由来します。つまり、もともと心があるからままならないのではなく、ままならない事態が心を作ってきたわけです。少なくとも心の第一歩である自他の区別が、世界のままならなさに由来しているので、心はそもそも原初から思いどおりにならない他者との関係で形成されていると考えることができます。このあと我々の心は親や友達や世間から沢山の幻想を摂取したりつめこまれたりして、現在の自分を作り上げるのですが、それとともに、「思いどおり」の思う内容が規定されていきます。
 誰も足が百本ある百足(ムカデ)のようになりたいなどと思いません。かりに思ったとしても、もちろん思いどおりにはならないわけですが、足が二本しかないという「ままならさ」を苦にする人はいないでしょう。つまり、そうした思い方はしないので、思いどおりにならなくても一向にかまわない。我々が思いどおりにならぬことを嘆くのにはある範囲があることになります。我々が思い込んでいるあらまほしき事態、そのイメージ、これが要求水準と呼ばれるものです。
 要求水準のほとんどが社会や文化の産物であることは、どこかの未開地の住人がキャデラックを欲しがったりしないことからしても明らかでしょう。我々は社会や文化によって思い込まされた価値を基準にして、思い、想像し、求め、そして多くの場合その願望は充たされずに人生を苦の連続と受け取ります。」

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悩みの起源!
posted by Fukutake at 12:29| 日記

2017年03月13日

悪からの遁走

「ソクラテスの弁明 クリトン」プラトン著 久保 勉 訳 岩波文庫 
1927年

有罪判決が下された後のアテナイ市民への演説

54p〜

 「…どんな危険に際しても、もし人がどんな事でもしたり言ったりするつもりでさえいるならば、死を脱れる方法はなお他にいくらでもあるのである。否、諸君、死を脱れることは困難ではない、むしろ悪を脱れることこそ遥かに困難なのである。それは死よりも疾く駆けるのだから。こういうわけで、緩慢で老年の私も今比較的緩慢な者に、強壮で迅速な私の告発者達は比較的迅速な者に、邪悪に追付かれたのである。かくて今、私は諸君から死罪を宣告されて、しかし彼らは真理から賤劣と不正との罪を宣告されて、ここを退場する。私はこの判定に従おう、が彼らもまたそうせねばならぬ。恐らくそれはこうなるより外なかったのであろう。そうして私はこれで結構なのだと思う。

 さて、私を有罪と断じたる諸君よ、私は諸君に向かってこの後に起きるべき事について予言して置きたい、何となれば私の死期は迫っているのであるが、それは人が最も多く予言力を発揮する時であるからである。私に死を課したる諸君よ、私は敢えて諸君に言う、私の死後直ちに、諸君が私に課したる死刑よりも、ゼウスにかけて、さらに遙かに重き罰が、諸君の上に来るであろう。今諸君が、この行動に出たのは、そうすれば諸君はもはや諸君の生活について弁明を求められなくなるであろうと思ったからである。しかし私は主張する。諸君には全然反対の結果が生ずるであろう、と。今よりもさらに多くの問責者が諸君の前に出現するであろう。諸君は気付かなかったが、これまで私が彼らを阻んでいたのである。そうして彼らは若いだけにいっそう峻烈であり、諸君はいっそう深くこれに悩まされるであろう。けだし、諸君にしてもし人々を殺すことによって、諸君の正からざる生活に対する世人の被議を、阻止し得ると思うならば、諸君は誤っている。思うに、この遁げ方は、成功もむずかしくかつ立派でもない。最も立派で最も容易なのは、他を圧伏することではなくて、出来得るかぎり善くなりように自らを心掛ける事である。これだけの事を私を有罪と断じたる諸君に予言して、私は諸君に別れを告げる。」

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実際に、これを聞いた人々は何と感じたのだろうか。
posted by Fukutake at 08:17| 日記

2017年03月06日

無題

「奈良少年刑務所詩集  空が青いから白をえらんだのです」寮 美千子 編
新潮文庫 平成二十三年

(「文庫版あとがき」より)193p〜

 「五期のクラスで、まど・みちおの「ぞうさん」を題材にしたことがあった。こんなやさしい言葉でも「詩」なのだ、ということをわかってほしいと思って選んだ題材だった。黒板にこの詩を板書すると、すぐに、「あ、ぞ〜うさん、ぞ〜うさん♪の歌でしょ」と、腕を象の鼻のように左右に振りながら、反応してきてくれた子がいた。すると、みんな楽しそうに「知ってる」「ぼくも知ってる」と、いい感じでノッてきてくれた。「それじゃあ、歌いながら輪になって歩いてみよう!」と、みんなで腕をぞうさんの鼻のように振り振り、歩いてみた。最初は「幼稚だ」と嫌がったり照れていた子も、みんなの輪に入ると、いきいきと動きだす。やがて、みんなで大声で歌いながら、踊った。もちろん、教官も講師もいっしょだ。胸がすかっとするほど楽しい時間だった。
 思えば、…そこだけ見れば、なんだかシュールだ。しかしこのクラスの仲間は、一気に打ち解けた。
 後で教官から「子どもらしい子ども時代を送ってこなかった子が多いんです。ですから、こういうところからやり直すことが、彼らの心を癒すことになる」とのお話。なるほど。これはきっと、彼らにとって、ほかでは絶対に得られない、貴重な時間、何も考えずに無邪気になれる時間だったのだ。

 ところが、六期のクラスのとき、同じ事を期待すると、全く反応が違って戸惑った。一人が「イヤだ」「幼稚すぎる」「なんの役に立つのかわからない」と言いだした。頑なに主張する。すると、ほかの受講生も同調して「イヤだ」と言いだした。「まあまあ、そう言わずにやってみようよ」とやっとなだめて、とにかく一度声に出して歌ってみる、というところまで漕ぎつけたとき、最初に拒否した一人が「やっぱりイヤだ」と言いだした。
 「どうして?この歌、知らないっ」と、投げつけるような一言が返ってきた。「え。幼稚園とか小学校で歌わなかった?」
「幼稚園も小学校も行ってない」
 言葉を失った。ああ、わたしはなんてことをしてしまったんだろう、と後悔の念が押し寄せてきた、生まれてからずうっと日本に住んできたのに「ぞうさん」の歌ひとつ歌わないまま、育ってしまう子がいるのだ。どんなにか厳しい環境だっただろう。想像もつかない。そんな子がここに来ているのだ。」

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『空が青いから…』は、受刑者の『雲』という題の全文です。
posted by Fukutake at 08:39| 日記