2019年10月03日

終わり良ければすべて良し

「死すべき定め」− 死にゆく人に何ができるか −
 アトゥール・ガワンデ 原井宏明 訳 
 みすず書房 2016年

痛み
p236〜

 「脳は、苦しみのような経験を二つの方法で評価する −−経験を起きている瞬間に理解することとその経験を後から見直す事−− そしてこの二つの方法は根本的に相互矛盾する。ノーベル賞を受賞した研究者であるダニエル・カーネマンが、代表作『ファスト&スロー −−あなたの意思はどのように決まるか?』の中で、一連の実験を取り上げ、何が起こっているのかを詳らかにした。実験の一つに、彼とトロント大学の医師、ドナルド・リーデルマイヤーが意識を保ちながら大腸内視鏡検査と腎結石の処置を受けることになった二八七人の患者を対象に行ったものがある。患者の手にある装置が渡され、それを使って一点(まったく痛みはない)から一〇点(耐え難い痛みがある)まで、そのときに感じる苦痛を六〇秒ごとに評価するように求められた。この装置で苦痛の経験を瞬間・瞬間で計量化できる。そして、終了後に処置の間に経験した苦痛の総計を数値化するように求められた。検査・処置の長さは四分から一時間以上までさまざまだった。検査・処置の間、たいていの患者は低度から中等程度の痛みを感じる長い期間の合間合間に強い痛みの瞬間を経験したと報告した。大腸検査を受けた患者の三分の一、腎臓結石の患者の四分の一は、この間に少なくとも一回は一〇点の痛みを経験したと報告した。
 自然に考えれば、最終的な点数は瞬間・瞬間での点数の合計に近いものになると思うだろう。痛みの期間が長いほうが短いのよりも悪く、平均が高いほうが、低いのよりも悪いと信じてしまう。しかし、実際の患者の報告はまったく違っていた。最終的な点数は痛みの期間をほぼ無視していた。そのかわりに、カーネマン言うところの「ピーク・エンドの法則」でもっともよく予想することができた −−二つの瞬間における痛みの点数の平均値−− つまり検査・処置の間で最悪の瞬間と最後の瞬間の二つである。検査を実施した消化器科医も自分が患者に与えた痛みのレベルを患者のそれとよく似たやり方で評価していた。痛みの総量ではなく、最悪の瞬間の痛みと最後の瞬間の痛みのレベルの平均から決めていたのである。
 人間は異質な二つの自己−− それぞれの瞬間を等しく耐える経験する自己と、最悪の瞬間と最後の瞬間という二つの瞬間だけを取り出して、そしてすべての経験の軽重を判断する自己−−を持っているようである。記憶する自己は終わり方が変則的であったとしてもピーク・エンドの法則に固執してしまうようだ。たとえ高いレベルの苦痛を三〇分以上も強いられたとしても、その後に、たった二、三分間の無痛の時間があれば、患者の総合的な苦痛点数は著しく下がってしまう。「まあ、そんなにひどいもんじゃなかったね」と終わった後、患者は言う。最後の最後が悪ければ、苦痛点数は今度は著しく上がってしまう。」

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苦痛、快楽の法則(ピーク・エンド)
posted by Fukutake at 11:05| 日記

2019年10月02日

加齢の恵み

「死すべき定め」− 死にゆく人に何ができるか −
 アトゥール・ガワンデ 原井宏明 訳 
 みすず書房 2016年

高齢になること
p86〜

 「安全と生存は人生における重大かつ根本的な目標でありつづけるとマズローは主張している。選択肢と能力が制限されていくような状況ではなおさらである。… 高齢者は抗うよりも適応するほうを選ぶ − 侘びしい言い方をすれば、諦めてしまうのだ。
 この二、三〇年こうした議論において、スタンフォード大学の心理学者であるローラ・カーステンセンによる創造的かつ重要な研究を越えるものはほとんどない。彼女の行ったもっともインパクトのある研究のひとつに、二百人弱について日々の暮らしにおける感情的体験を長年にわたって彼女のチームが追跡したものがある。対象者の背景と年齢は広範囲にわたる(研究参加時点での年齢は一八歳から九四歳であった)。研究開始時点と、その後五年ごとに、対象者にはポケットベルが渡され、一週間の間一日二四時間それを持ち歩くように求められた。その一週間の間、ランダムなタイミングで合計三五回ベルが鳴る。鳴ったまさにその時点で経験してる感情を、全部の感情をカバーしたリストの中から選ぶように求められた。
 もしマズローが正しければ、生活の幅が狭まることは人が満足感を得るためにもっとも必要なことから遠ざかることになり、そして加齢につれてより不幸になっていくはずである。しかし、カーステンセンの研究はまったく正反対の結果になった。結果は明白である。加齢につれてより不幸になってしまうどころか、よりポジティブな感情を参加者は報告したのである。不安やうつ、怒りを感じにくくなっていった。確かに試練を経験し、辛酸を舐めた瞬間もより多い −− すなわち、ポジティブな感情とネガティブな感情が入り交じった瞬間が多い。しかし、たとえ加齢が生活の幅を狭くしたとしても、全体からみれば時が経つにつれて人は生きることに対してより感情的に満足し、落ち着いた経験をするようになるのである。
 この発見はさらなる疑問も生んだ。もし、加齢に伴って、達成や所有、獲得することよりも日々の喜びや人間関係を大切にするほうに切り替わるのであれば、そして、もしこのほうが満足感をより多く与えるのだとしたら、なぜ、そうなるまでにこんなに長い時間がかかるのだろうか? なぜ老人になるまで待たなければいけないのであろうか? 人生の教訓は学び難いというのはよくある見方である。生きることもスキルのひとつだ。高齢者の落ち着きと知恵は年の功である。」

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posted by Fukutake at 12:26| 日記

2019年10月01日

論語

「論語」 現代語訳 宮崎市定 岩波現代文庫 2000年

1. 顔淵第12(285)p189〜
「子貢が政治のあり方を尋ねた。子曰く、食糧を貯蔵し、軍備を充足し、人民に信用されることだ。子貢曰く、三者が到底一時に揃えられぬ時、第一に切り捨てるとしたならば、それは何でしょうか。曰く、軍備が後まわしだ。子貢曰く、残りの二者も到底一時に揃えられぬ時、次に切り捨てるとしたならば、それは何でしょうか。曰く、食糧が後まわしだ。政治家も食わなければ死ぬが、それは古くからあったことだ。人民に信用をなくしたなら、それはもう政治ではない。」
 

2. 季氏第16(426)p280〜
「孔子曰く、主人の側近に仕える者としてならぬことが三箇条ある。主人がこれから言おうとしていることを先まわりして言うのは軽はずみだ。主人に言えと言われて黙っているのは腹黒だ。主人の機嫌の良し悪しも見定めないでしゃべり出すのは盲目というべきだ。」

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人民を導く理論ではなく方法論。

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posted by Fukutake at 09:43| 日記