2017年07月06日

民主主義の弱点

「知の逆転」 NHK出版新書 2012年

吉成真由美によるインタビュー

第二章 帝国主義の終わりーノーム・チョムスキーから

97p〜
 「(インタビュアー) 一九世紀のイギリスの思想家、アクトン卿(Lord Acton)は、「過激な民主主義というものは、国外では帝国主義的であり、国内では独裁的である。古代アテネの民主主義は、「個人の良心」というものが「多数派の意志」というものに従属させられてしまっていた。これは全く理不尽である。」と言ったわけですが、アメリカの過激なトークショー司会者たちや、極端な原理主義者の台頭を目のあたりにすると、この先現在のような民主主義の形態が、そのまま続いてていけるのだろうかという疑問を持つわけですがー」

 チョムスキー 「いまの話でガンジーの指導書のことを思い出しました。西欧文明についてどう思うかと聞かれて彼は、「おそらくいい考えでしょう」と答えています。「民主主義」についても「おそらくいい考え」だと言えるでしょう。西欧社会における民主主義はこれまではほぼポジティブであったでしょう。アテネの民主主義も、女性と奴隷を別にすれば、自由人というものを基盤とした、おそらくもっとも純粋な民主主義であったと思います。
 問題は民主主義の限界ということです。人類にとって、核の脅威や環境崩壊よりも」大きな問題かもしれません。
 アメリカは世界中で最も自由な国のはずですが、国内で力の不均衡がある。情報システム、メディア、広告などが、ほんの一部の手に集中しているのです。ちょうどラテンアメリカで、貧しい人々が餓えているときに大金持ちが高級品を輸入していた構図と似ています。アメリカは自由ですが、情報へのアクセスという点では、局在している。
 巨大な力を持つアメリカの企業は、地球温暖化というのは根拠のない仮説にすぎないと、やっきになって大衆の説得を試みていて、しかも成功しつつある。人為的な理由による地域温暖化を信じているのは、人口の三分の一にすぎないわけですから。
 先の(二〇一〇年の)中間選挙を見てください。当選した共和党議員の大部分が、地球温暖化を否定しています。主要委員会の若い共和党リーダーは、「そんなことが起こるわけがない。神がゆるすわけがないから。」といったのです。」

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 アメリカを動かすのは、ごく一部の巨大パワープレーヤーである。しかもアメリカの三分の一が聖書に書いてあることを文字通り信じている。この二つが一緒になると、たいへんなことになる。
posted by Fukutake at 08:25| 日記

2017年07月03日

直感を疑え!

「シゴトの渋滞学」- ラクに効率を上げる時間術- 西成活裕 
新潮文庫 2013

なぜあなたの仕事は「渋滞」するのか?

77p〜
 「ちなみに、私の研究室に参加してくれている学生の各個人に対して、私が共同研究の仕事相手として望んでいることは、「研究においては、苦労して、苦労して、グチャグチャになるまで苦悩する経験をしてもらいたい」ということです。オリジナリティをもとめるための苦労については私もさんざん経験しましたけれど、仕事をするための不可欠の体験だとも思うのです。
 ですから、「要領をふまえて、学校のテストの点をかせいで…」なんて、一見スイスイと楽勝に思えるような「流れ」に乗ってもらいたくないわけです。
「要領よく、わかった気になって、なにも自分で障害を乗り越えていない」それこそ、長い目で見たら時間のムダそのものなのです。もっと研究や仕事は愚直に取り組むぐらいでいいのではないでしょうか。
 私が研究室で見ている範囲で言うならば、失敗したことがない、そのこと自体が失敗であり渋滞状況にはまりこんでいると感じられるのです。私の好きなロマン・ロランの言葉で言うのであれば、「失敗しなかった人は、何もしなかった人である」なのです。

111p〜
 「交通政策の失敗もそのようなことから生まれているわけなのです。例えば、「自転車に乗るときにはヘルメットを着用しましょう」なんて安全のための政策を否定する人はなかなかいません。
 実際問題、警察も道路関係の学会も、この政策に対しては否定する人がいなかったのです。
 しかし、フタを開けたら、「自転車に乗るときヘルメット着用を義務づけることで、死亡事故が増えた」例も出てきました。
 そうなった原因が何なのか、わかるでしょうか?
 よくよく調査してみたら、「運転手はヘルメットをつけている自転車を見かけたら、安全だと思いこんでしまって、より自転車の近くを抜けて走っていくようになったから」とわかりました。
 ヘルメットを着用していないならば「あぶない」と感じて避ける。しかし、相手はヘルメットをつけているのだからと言う過信からフラッと近づいた時の接触事故によって、結果的には死亡事故が増えることもある…それこそが人間がやることなのです。」

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正論は、正解にあらず、ですね
posted by Fukutake at 08:24| 日記

2017年06月26日

労働の尊厳

「人工知能と21世紀の資本主義」サイバー空間と新自由主義
 本山美彦 著 明石書店 2015年

リテラシー無視の未来のサイバー空間

 「(アラン)ケイは、すでに一九六〇年代からワイヤレスのネットワークを構想していた。時計型のウエアラブルインターネット機器によって、人々がユビキタス(いつでも、どこでも、誰でも)状態を楽しみ、世界の人々が交流できる社会を創り出すべきだと主張していた。
 ところが現在、ITの発達によって、情報の受け手側は本を読み、文を書くということをしなくなった。これは退行であると、ケイはインタビューで嘆いた。
 米国の多くの学校は、子供がグーグルで何かを見つけてコピーをすると、それで学んでいると思っている。それに対してケイは、子供がそれについての作文を書かない限り、学んだことにはならないと主張している。作文は思考を組織化する。単に博物館の展示物を集めても思考能力を高めることにはならない。しかし、ほとんどの学校はその違いが分かっていない。
 理想的未来は、人々が今日よりも、よりよく考える社会でなければならない。だが、残念なことに、ありそうなことは、人々がよりよく考えない、しかもそのことに気付かない社会の到来である。
 必要なことは、科学的な本を読む習慣を子供のときから身に付けさせる教育である。現在の先進国でさえ、科学者とまともな会話ができる成人、つまり科学的リテラシーを持つ成人は五パーセント未満でしかない。ほとんどの成人が科学的リテラシーを持っていない。科学的リテラシーとは、科学の本を読んで、その考えをほぼ理解でき、科学者とそれについての発展的会話もできる能力である。
 大人を変えるのは難しい。しかし、子供は、ある程度変わることができる。少数の創造的な人がいるだけだったら、それは民主主義にとって破滅的である。
 そのように語ったあと、ケイは次の言葉でインタビューを締めくくっている。人は、自分が誤っているとはなかなか認識できない。さらに、人は十万年もの間、世界が完璧なものだと思い込んできた。生存競争の激しさのせいで、世界が完璧ではないかもしれないなどと考えつく暇はなかった。現代的意味での科学はまだ四〇〇年の歴史しかない。人があらゆるものを疑う習慣を獲得するには、まだまだ長い時間がかかるであろうと。」

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労働(勉学)は苦役か?喜びか?
posted by Fukutake at 08:27| 日記