2017年04月10日

細川ガラシャ

「フロイスの見た戦国日本」川崎桃太著 中公文庫 2006年

宣教師ルイス・フロイスの著書『日本史』より

 「彼女(細川忠興の妻 細川ガラシャ)の洗礼への望みは募るばかりであった。なんとか教会へ行く方法はないものか、そう思案した揚げ句、ある方法を思いついた。皮の駕籠のなかに身を潜め、網で塀越しに吊り下げてもらい、下で領民の百姓が籠を受け取り、背負って教会に運んでくれる、というものであった。一度決めたことは容易に変えない奥方であった。その激しい気性を知っている侍女たちが、必死でそうした無謀な企てを思い止まるように諌めた結果、その案は実行されずにすんだ。当時奥方の外出は、多くの危険が伴ったので、教会側では協議して、彼女の侍女でマリアの教名をもつキリシタンに、洗礼を授ける言葉と方法を教えたうえで、彼女の手によって自宅で奥方に洗礼を施すことにした。こうして奥方はよく準備を整え、平素身を隠していた部屋で、いつも祈りを捧げていた聖なる肖像の前にひざまずき、両手を合わせて、侍女マリアから洗礼の水を受けた。

 その後の彼女については、次のような最期が伝えられている。

 家康と三成との対立が激化した1600年(慶長五年)夏、三成は大阪の細川邸に使者を遣わして、奥方を事実上人質として差し出すよう要求した。夫忠興は家康について関東に出陣していた。ガラシアは自分の最後が近づいたことを知ると、自分の手によって命を絶つことはキリシタンとして許されなかったので、家臣に胸を突かせて壮絶な死を遂げた。同時に屋敷には火が放たれた。急報に接したオルガンチーノは、現場からガラシアの遺骨を持ち帰らせ、堺のキリシタン墓地に埋葬した。彼女は辞世の句を残している。

   散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ

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posted by Fukutake at 14:14| 日記

2017年04月03日

関西人タイプ?

「井上章一氏 講演会」より
2017年3月21日開催 学士会館 3月度午餐会

 同氏は現在国際日本文化センター教授。昨年の出版された「京都嫌い」などで話題を集めている時の人。かくいう小生も昔からのファンで、著書はほとんど読破している。何せおもしろいのである。切り口が斬新で、お堅い学者先生など絶対に取り上げない事柄に焦点を当て、ユーモアと深い洞察で読む者を引き込んで止まない。

 講演は関西人気質に関するもので、会場から哄笑やクスクス笑いが絶えなかった。なぜ関西人は声が大きく、話が面白く、人をともかく笑かそうとするのかということを独特の論理と事実でわかりやすく話をされた。内容その他は著書をお読みいただくとして、講演のつかみを2、3ご披露したい。

1 昔米国のボストンというまちに「KYOTO」という焼肉屋さんがあった。非常に人気があり、お客さんの誕生日などには、スタッフが歌を歌ってくれた。ただ、その歌というのがなんと「東京音頭」だった。京都という店で東京音頭が流れる非常にシュールな風景だった。(笑)

2 ボストンには有名なハーバード大学がある。あるとき、求人の募集が大学の掲示板に出された。内容は、「ネイティヴの日本人の日本語教師を求む」とのこと。ただし、そこには但し書きがあり、「その人は東京もしくはその周辺出身者で正しい日本語を話す人」とのことだった。(これ以来ハーバード大学が嫌いになった。)(笑)

3 以前国際日本文化センターの副所長のとき、所長が用事で出席できない会があり、オープイングスピーチを英語で行うことになった。英語は苦手なので、十分時間をかけ、ネイティブにもチェックしてもらい、発音も十分練習し、本番に臨んだ。そうして無事に終えたが、昼休みのとき、日本人の上品な女性から「井上さんは関西出身ですか」と聞かれた。これは喋り方とか発音とかの問題ではなく、内容が人の笑いを誘うもののためだったとため思われた。要は人を笑かそうとする人間は関西人に違いないという訳なのだ。(笑)

等々、学士会館の講演では珍しい楽しい?ひと時を過ごすことができました。
posted by Fukutake at 09:37| 日記

2017年03月27日

よく生きるとは

「人間とは何か 実存的精神療法」V.E.フランクル
春秋社 2011年

91pより

「確かに、過ぎ去った時間を元に戻すことは出来ない。けれども、その中で起こった出来事は、侵されることも傷つけられることもない。ここから流れ出る時間とは、略奪者であるだけでなく、管財者であることも明らかになる。ある世界観が現存在のはかなさに目を向けるにしても、その為に悲観的になるには及ばない。このことを比喩で表現すれば次のよう言えるであろう。悲観主義者とは例えば次のような男である。彼は、壁にかかった日めくりカレンダーの前にたち、日ごとに一枚ずつ引きはがされてどんどん薄くなって行くカレンダーを、恐れと悲しみをもって見つめるのである。
 他方、人生を上述した意味において捉える人間とは、たとえば次のような男である。彼は、日めくりカレンダーから引きはがしたばかりの一枚を丁寧かつ慎重に、それ以前に引きはがされたものの上に置き、その日の紙の裏面に必ず日記風のメモを記すのである。こうして彼は、これらのメモの中に確定されたすべてのこと、すなわち、彼の人生において「確かに生きられた」すべてのことを、誇りと悦びに満ちて思い出すのである。このような人間が年をとったと気づいたとき、彼はどうするであろうか。そのために、彼は他の人間の若さを嫉妬いっぱいの気持ちで見つめたり、あるいは自分自身に物悲しげなまなざしを投げるであろうか。そんなことが果たしてありうるであろうか。「自分はいったい若い人の何を羨まねばなぬというのであろうか」と、彼は思うに違いないのであろう。それとも、ひょっとして彼は、若い人がまだもっている可能性、彼らの未来を羨むのだろうか。しかし、「有難いことに」と彼は思うであろう。「私は未来の代わりに現実をー私の過去の中に存在する現実をもっている。その現実とは、労働という活動のそれであるだけでなく、愛の体験のそれであり、さらに苦悩に耐えたというそれでもある。そして、これらのことを私は何にもまして誇らしく思っているのである。たとえそれらが少しも人から羨ましがられるほどのものではないとしても……」
posted by Fukutake at 08:16| 日記