2017年05月29日

無常といふ事

「死のエピグラム」一言芳談を読む 吉本隆明 解説 
大橋俊雄 訳・注

春秋社 1996年


P84〜

 「山王権現にわざと巫(かんなぎ)の装束をした年若い女性が、十禅師社の社前で、夜がふけ、人が寝しずまってからのち、とんとんと鼓をうちながら、すずしげな声で、「どうなろうともかまいません。どうぞ、どうぞ」とうたった。

 どうしてそのようなことをするのか、と人に強く問われると、
  生死無常のありさまを考えてみますと、この世のことはどうなろうともかまいません。なにとぞ、死後は浄土に生まれますように。 と申し上げた、という。」

(原文)
 「有云、比叡の御社(おんやしろ)にいつわりて、かんなぎのまねしたる、なま女房の、十禅師の御前にて夜うち深て、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしゐ問れて云、生死無常の有様を思ふに、此世は事はとてもかくても候。なう後世をたすけたまへと申なり、云々。」

 小林秀雄が引用していました。

posted by Fukutake at 08:21| 日記

2017年05月25日

不況脱出!

「さっさと不況を終わらせろ」ポール・クルーグマン  山形 浩生 訳・解説 ハヤカワ ノンフィクション文庫 
2015年


訳者の山形氏が、本書の内容を分かりやすく解説している。

357p〜

 「財政支出は、将来に禍根を残す、という物言いもよく聞かれる。赤字国債を出せば、それを返済するのは将来世代となる。今の世代のために、将来にツケを回していいのか、という議論だ。
 これへの答えはもちろんお分かりだろう。財政出動しなかったらどうなるのか?増税したらどうなるのか?財政赤字は減るかも知れない。でも、失業者はその分増えるし。公共インフラの保守整備も遅れる。失業者がいかに将来世代のツケとなるかは、本書に書かれた通りだ。所得も低いまま、すでに身につけた技能すら活かす機会のないままに腐って、低い所得に甘んじるしかなくなる。将来の技能が下がるだけでない。そうした人々は、将来所帯を持って子供を作るのも難しくなり。その分だけ将来の若者たち一人当たりの福祉負担は増えてしまう。これが将来へのツケでなくてなんだろうか?
 今財政出動をケチるというのはそういうことだ。そして本書にあるとおり、その財政出動で経済成長が戻れば返済の負担は大いに下がる。ひょっとしたら、返すまでもなく利子だけを払い続ければ済むかもしれない。それを考えずに、財政再建のために増税が必要だなんて言い出すのは、将来への財政以外のツケを増やすだけだ。いや、財政面でも結局は景気悪化による税収減で、十分にツケは残ってしまいかねない。
 また金融緩和については、すでに述べたように、一回限りの一時的な金融緩和は効かない、という議論をかってにねじまげて、だから金融緩和は効かない、量的緩和をやっても無駄だ、よって今後金融政策にできることは何もない、それを要求するリフレ派はお門違いだ、といった主張がしばしば聞かれる。
 (中略)
 では、どうすればそんな(インフレ)期待はできる?まず、いま金融緩和し、明日も金融緩和し、それをしばらく続けるうちに「あ、これは当分続くかも?」と人々は思うようになる。」

 「つまり、将来のインフレ期待をつくるには、まずいまの金融緩和は必須だ。いまの金融緩和だけでは(あまり)効かない。でも、だからと言ってやめずに
金融緩和を続けることが、期待インフレを押し上げて景気回復につながる。ここらへんの議論をきちんと仕分けして理解することが重要なのだ。」


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初出は2012年だが、全く今でも変わらず通じる話。アベノミクス頑張れ!
posted by Fukutake at 16:12| 日記

2017年05月22日

酒席の醜態

「徒然草」吉田兼好 百七十五段 

 現代語訳 「イラスト古典全訳 徒然草」橋本武 日栄社

 「… ぶざまな酔態は他人事として見ているだけでもいやでたまらない。思慮深そうな様子で、日ごろから奥ゆかしいと感じていた人も、なんの分別もなくげらげらと笑い騒ぎ、べらべらとしゃべり、烏帽子はひん曲がり、紐はばらけ、裾を高くまくり上げて脛をにょっきり見せるといったふうで、こういう、慎みを忘れた様子を見ると、これがいつもの人と同一人だとは信じられない。女の酔っぱらったのは、額髪を大きなゼスチャーで掻きはらったり、臆面もなく顔をつき出してげらげら笑ったり、人が杯を持っているその手につかまったりというていたらく。教養のない人間は、さかなをつかんで他人の口に押しつけて食べさせたり、自分でもそれを食べたりしているが、まことにぶざまである。ありったけのどら声をはり上げて、めいめいが謡ったり舞ったりしているかと思えば、年老いた法師がその場に呼び出されて来て、黒くきたない半ストリップのスタイルで、正視に堪えないほど身体をくねらせて舞っているのを、ヤンヤと面白がって見る人までが、虫酸が走るほどいとわしく、憎々しく感じられる。
 そうかと思うとまた、自分がいかに素晴らしい人間であるかということを、そばに聞いているだけでもたまらぬほど、くどくどと他人に言い聞かせたり、あるいは酔ったまぎれに愚痴をこぼして泣き出したり、下賤の者は、口汚くののしりあったり、喧嘩したりのありさま、呆れてものも言えぬほどであり、恐ろしくもある。恐ろしくも情けないことばかり演じて、あげくのはてはいけないという物を手当たり次第にひったくって縁から落ちたり、帰りの馬や車から落ちてとんでもない粗相をしでかしてしまう。乗り物にも乗らぬ身分の者は、都大路をよろめき歩いて、土塀や門の下などに向かって、口に出して言えないようなことをやたらにし散らかし、そうかと思えば、年をとって袈裟をかけた法師が、お供の少年の肩によりかかって、呂律の回らぬことをくどくどと言いながら、よろよろとしているなど、いずれを見ても、あまりにもあわれなザマで、見るに絶えない。…」

(原文)
 「…人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞(ことば)多く、烏帽子歪み、紐外し、脛(はぎ)高く掲げて、用意なき気色、日来(ひごろ)の人とも覚えず。女は、額髪晴れからに掻きやり、まばゆからず、顔うちささげてうち笑日、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴とりて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。声の限り出(いだ)して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出(いだ)されて、黒く穢き身を肩抜着て、目も当てられず(*)すじりたるを、興じ見る人さへうとまく、憎し。…」

(*)すじりたるを:身をくねらせて舞っているのを。
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耳が痛いです。

posted by Fukutake at 08:20| 日記