2025年02月03日

年賀状

「岡本綺堂随筆集」千葉俊二編 岩波文庫 2007年

年賀郵便 p255〜

「新年の東京を見わたして、著るしく寂しいように感じられるのは、回礼者の減少で ある。もちろん今でも多少の回礼者を見ないことはないが、それは平日よりも幾分か 人通りが多いぐらいの程度で、明治時代の十分の一、ないし二十分の一にも過ぎな い。 江戸時代のことは、故老の話に聴くだけであるが、自分の眼で視た明治の東京ー その新年の賑わいを今から振返ってみると、文字どおりに隔世の感がある。三ヵ日は 勿論であるが、七草を過ぎ、十日を過ぎる頃までの東京は、回礼者の往来で実に賑 やかなものであった。

 明治の中頃までは、年賀郵便を発送するものはいなかった。恭賀新年の郵便を送 る先は、主に地方の親戚知人で、府下でもよほど辺鄙な不便な所に住んでいない限 りは、郵便で回礼を済ませるということはなかった。まして市内に住んでいる人々に対 して、郵便で年頭の挨拶を述べるなど、あるまじき事になっていたのであるから、総て の回礼者は下町から山の手、あるいは郡部にかけて、知人の戸別訪問をしなければ ならない。市内電車が初めて開通したのは明治三十六年の十一月であるが、それも 半蔵門から数寄屋橋見附までと、神田美土代町と数寄屋橋までの二線に過ぎず、市内の全線が今日のように完備したのは大正の初年である。 それであるから、人力車に乗れば格別、さもなければ徒歩のほかはない。正月は車 代が高いのみならず、全市の車台の数も限られているのであるから、大抵の者は車 に乗ることは出来ない。男も女も、老いたるも若きも、殆どみな徒歩である。今日ほど に人口が多くなかったにもせよ、東京に住むほどの者は一戸に少くとも一人、多くは 四人も五人も一度に出勤するのであるから、往来の混雑は想像されるであろう。平生 は人通りの少ない屋敷町のようなところでも、春の初めには回礼者が袖をつらねてぞ ろぞろと通る。それが一種の奇観でもあり、また春らしい景色でもあった。
日清戦争は明治二十七、八年であるが、二十八年の正月は戦時という遠慮から、 回礼者を年賀ハガキに換える者があった。それらが例になって、年賀ハガキがだん だんに行われて来た。明治三十三年十月から私製絵ハガキが許されて、年賀ハガキ に種々の意匠を加えることが出来るようになったのも、年賀郵便の流行を助けること になって、年賀を郵便に換えるのを怪まなくなった。それがまた、明治三十七、八年の 日露戦争以来いよいよ激増して、松の内の各郵便局は年賀郵便の整理に忙殺され、 他の郵便事務は殆ど放擲されてしまうような始末を招来したので、その混雑を防ぐた めに、明治三十九年の年末から年賀郵便特別扱いということを始めたのである。 それ以来、年賀郵便は年々増加する。それに比例して回礼者は年々に減少した。 それでも明治の末年までは昔の名残りをとどめて、新年の巷に回礼者のすがたを相 当に見受けたのであるが、大正以後はめっきり廃れて、年末の郵便局には年賀郵便 の山を築くことになった。

忙しい世の人に多大の便利をあたえるのは、年賀郵便である。それと同時に、人生 に一種の寂寞を感ぜしむるのも、年賀郵便であろう。

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今や、年賀郵便でさえ昔日の感がある。
posted by Fukutake at 07:13| 日記

太陽系の惑星運動

「数学は世界を解明できるか」ーカオスと予定調和 丹羽俊雄 中公新書 1999年

惑星の運動 p156〜

 「たとえば、ブランコに乗っていて、揺れをどんどん大きくすることができるのは、ブランコの振れの周期に合わせて力を加えていくと、振動をどんどん激しくすることができる。 固有の振動と外力が共鳴するのである。 これは日常よく経験する。 自動車の車体が持つ固有振動とエンジンの振動が共振して不快な車体のぶれを感じたり、巨大なつり橋がその固有振動と共振する力を暴風から受けたためにねじ切れる、といった災害も起きている。 逆にこのことを積極的に応用しているのが、ラジオやテレビである。 聞きたい局を選局するために、チューナーを回すというのは、選びたい電波の振動に受信機の固有振動を合わせて共鳴を起こさせるということである。

 惑星は一種の振動をしているんのであって、その周期に合う力が他の惑星から周期的に加えられると、ブランコの揺れがだんだんと大きくなるのと同じ理屈で、惑星の振動が大きくなっていく可能性がある。 共鳴が起きるためには二つの周期が必ずしも一致する必要はなく、それらの周期が簡単な整数の比になればよい。 実際、木星と土星の周期はかなり正確に二対五の割合で共鳴する条件を満たしている。 共鳴の結果、その惑星が太陽系から離脱するということも起こりうる。 したがって、ラプラスが「太陽系は安定である」ことを証明してみせたことは画期的なことであったといわねばならない。

 彼の理論によると、たとえば、地球は次のように動いていることになる。 基本的には地球は太陽を焦点とする楕円軌道を描いている。 しかし、同時にごくゆっくりとであるが、楕円軌道自体が揺らいでいるのである。 たとえば、楕円軌道がゆっくりと、軌道表面の方その結果したりする。 その結果、地球が太陽にもっとも近づく点である近日点が回転する。 この回転は一様なものではなく、行ったり来たりと大変に複雑である。 また軌道を乗せている平面自体が波打つようにゆっくりと変動している。 さらには、楕円の形そのものが長くなったり短くなったりと複雑に変動する。 最後の変動は地球の気象に重大な影響を及ぼしている。 これらの複雑な変動は、いくつかの、正確には惑星の数に比例した数の周期的な運動が組み合わされた多重周期運動といわれるものである。 それは基本的にはプトレマイオスの惑星運行のモデルと同じであって、それを複雑にしたものである。 もちろん、結果が基本的に同じであるからといって、運行のメカニズムも同一というわけではない。 プトレマイオスのよってたつ原理は幾何学的な運動の原理であり、ラプラスのそれはニュートンによって確立された力学に基づいている。

 他の惑星に関しても同様である。 ラプラスの結論は、こうした惑星の非常に複雑な運動にもかかわらず、惑星どうしが衝突したり、惑星が太陽に引き寄せられたり、太陽系のかなたに去っていくことはないというものであった。

 「私はそのような仮定(神)を必要としないのです…」 これがラプラスの発した言葉であった。 時に一七九八年。」

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よかった!
posted by Fukutake at 07:08| 日記

2025年02月02日

無限の精子

「「私が、答えます」ー動物行動学でギモン解決!」 竹内久美子 文藝春秋

p126〜

「(質問)前から不思議だったのですが、男性はなぜ普通っぽいタレント(モー娘。と か)が好きなのでしょうか? 「ちょっと手の届きそうなところがいい」と言いますが、そ れなら一般人でいいじゃん、と思います。女の子がファンになるのはジャニーズ系や 普通、手の届きそうにないカッコいい人なのに...。どうしてなのか教えて下さい!(三 四歳、女)

(答え)この本を熱心に読んでくださっている方なら、このご質問に答えられるかもしれ ません。〜〜〜 どうです。おわかりになりましたか。
男と女で何が一番違うのか。それは、男は条件さえ揃えばほとんど無限といっていい くらいに子をつくれるのに(とはいえその反対にゼロのこともある)、女は産むことので きる子の数に限りがあるということです。

世界一子を残した人物として『ギネス』にも載っているモロッコ皇帝、ムーレイ・イス マイル(一六四五〜一七二七)。彼が生涯に残したとされる子の数、八八八人につい て最近ちょっとした論争がありました。 一九九八年、D.エイノンという女性の研究者が、いくら男が子を無限というくらいつく れるといっても、八八八人は無理である。自分の計算によると八八八人の子をつくる ためには、一日平均二.九回交わらねばならず、そんなことは不可能だ、と主張したの です。 これに反論したのはリチャード・G・クールドという男性の研究者です。二〇〇〇年 のこと。 彼はまずエイノンが、イスマイルが帝位についた年(一六七二)を生年と取り違える という決定的なミスを犯していることを指摘します(これによって繁殖年数が相当に短 く見積もられてしまう)。さらに、女の月経周期のうちの受胎の可能性のある期間を普 通より短く考えていること、女の体内での精子の寿命もわずか三.五日と考えるなど、 いずれにしても子の数が少なくなる方向へ誤った見積りをしている、との指摘をします。

その上で彼自身の計算をします。 イスマイルの繁殖開始を十代半ばとし、八二歳まで生きたけれど、”現役引退”の時 期を控え目に六二歳と仮定する。そして精子の寿命も五日として(実際、五日という値 が正解です)計算する。すると八八八人の子をつくるためには、一日平均一・二回交 わるだけでいいという勘定になる。これは十分可能だ。八八八人という子の数は決し て不可能な値ではない、と。 男女それぞれの願望が現れていて面白いのですが、そもそもこんな論争が存在す ること自体、男には女にはありえない、無限に近い繁殖の可能性というものがあるからこそです。ちなみに私は女ですが、グールドの言い分の方が正しいと思います。八 八八人がイスマイルの本当の子だとは断言できませんが。」

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女はその分、同じ産むなら質の良い子を、というようになる。(つまり男を厳しく選ぶ)
posted by Fukutake at 08:16| 日記