2018年10月01日

倒幕勢力の遠謀

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その2)

アジア史における日本 438p〜
 
 「攘夷論の実行が薩長二藩によって強力に支持されたのは、べつの理由があると思われる。鎖国によってもっとも大きな利益を獲得したのは、おそらく薩摩藩であろう。しかし鎖国令は幕府によって実行され、同時に正当な理由を与えられた。幕府がみずから実行した鎖国令をみずから撤回するのに他よりなんら異議をはさむべき余地のないはずであるが、そこにあえて抗議するには何らかの理由を見出さなければならない。そこで攘夷論は勤王論と結びついた。攘夷すなわち勤王であって、幕府は幕府よりもさらに権威ある皇室の命令に従ってあくまで攘夷を遂行しなければならないというのである。
 幕府の開国は外国から強制されたとはいうものの、その結果はかえってアメリカに近い東国を重くし、したがって江戸幕府の地位を強化する結果となることもよく知ったのは、みずから海外貿易を行なっていた薩摩藩であろう。そして同時に開国によってもっとも大きな痛手をこうむるのはまた薩摩藩であろう。かれらはどんな手段に訴えても開国を阻止しなければならない。開国論者はつぎつぎと暗殺の犠牲となってたおれ、勤王攘夷論が世上を風靡したのである。

 幕府が勤王攘夷論と諸外国との板ばさみとなって自滅し、大政奉還実現の後、薩長を中心とする明治維新政府が成立すると、にわかに急角度の転回を行って開国進取の方針が定められたことは、後世の史家を驚かせたが、この態度豹変は、じつはあらかじめ約束された予定の行動であったのではないだろうか。幕府の手による開国は拒否するが、自分が責任者となったときには進んで実行に移すのは、開国の利益を熟知した者にしてはじめてなしうるところである。明治政府の元勲たちは、じつに日本と外国との境界に生まれて、両者の事情をもっとも公平に観察できる境遇にあったことを思えば、かれらの政権掌握とともに、開国の国是が決定されたことは、別に不思議ではなかった。
 このようにして明治維新とともに、日本の最近世史が始まるが、日本社会の後進性はここにも現われて、以後の最近世史的発展の潮流の中に、いぜんとして近世、あるいはさかのぼって中性的要素の残滓さえも混在することを認めないわけにいかなかった。そしてこの事実こそ、われわれの今日の悲劇の一遠因をなすものにほかならない。」

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明治維新の嘘が今に祟っている。大戦後の嘘とも相まって、日本国全体を劣化させているようだ。
posted by Fukutake at 15:15| 日記

2018年09月25日

デジャブ

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その1)
アジア諸文化の成立とその推移

89p〜

 「…秦の皇帝は諸国の王を滅ぼしてその地を郡県とし、国内において対等者の存在を認めないばかりでなく、宇宙間のいかなる場所においても認めない。皇帝は宇宙に唯一人存在するもので、それは中国人民の主権者であるだけでなく、同時に世界人類の支配者出なければならなかった。
 このような皇帝政治の理想は、実際にはその実現がすこぶる困難であったが、単なる理想としては清朝末期まで存続した。この空想的理念が中国人心を支配したことは、中国人に理想と現実とを混同する習慣を与え、実際のいかんを問わず、理念上中国が世界の中心にあり、その中国皇帝が四海を統治しつつあるという形式だけでも維持しようと勤めさせるようになり、中国社会をいちじるしく閉鎖的排外的にする結果を招いた。こういう後世の中国的体制の最初の実行者である秦王が、戦国時代まで純粋の中国人から夷狄として敬遠されていた未開民族出身であったことは、まことに奇妙な現象といわざるをえない。
 始皇帝はこのような皇帝政治の理想を達成するため、無限に四方に向かって国境の拡張を試み、北は戦国時代以来蒙疆に崛起(くっき)する匈奴族を撃攘し、万里の長城を築いてその侵寇を防ぎ、南は五嶺を越え、南シナ海一帯を征服して新しく四郡を加えた。現在の中国の地と人とを呼ぶシナという語は、じつに秦の音を西方人が伝えて名詞としたものであり、「支那」なる文字はインド人の伝えた音が、後に仏教徒と共に東方へ逆輸入されて、中国人が再びこれを漢訳したものである。
 秦末の大乱
 秦の創始した皇帝政治は、滅ぼされた六国遺民の反感を招くことが大きかった。戦国時代、各国にはそれぞれ固有の文化が発達し、ことに言語の発音も文字の写し方も国によってそれぞれ特色を持っていた。秦の始皇帝はこれにたいして中央集権的統一策をとり、文字を一定し度量衡を定め、さらに思想上にも諸国の学問を圧迫して秦の官学、いわゆる法家の学をもって天下に広めようとした。これはいたるところで社会・経済・思想上の混乱を招き、たんに秦の武力がかろうじてこれを圧迫する状態に止まった。また秦の中央集権に伴い、遠隔地の人民は軍務に服するために遠路を往復する負担に苦しみ、秦の皇帝政治の追求する果てしない外征は、新しく加わった地域の人民をいっそう苦境に陥れた。」


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これはまさに現代の中国共産党政権ではないか!?
posted by Fukutake at 08:57| 日記

2018年09月21日

王安石

「中国政治論集−王安石ー」 宮崎市定 著 1989年
 中央公論文庫
(その3)

王安石(1021〜1086):「上皇帝万言書」より 宮崎先生の訳注

519p〜
 「王安石が描いた宋代の社会は、千年後の日本に共通な点をもっている。人は欲望に追われて齷齪するが、さてその欲望は考えて見れば、世間に対する見栄が十の八九を占める。別荘や車や衣服はもちろん、食べ物までが他人の意向に左右されるならば、いったい自分の生活には何が残るのだろう。礼制があればこんな問題はいっぺんに片付くところ。共産圏には一種の礼制があるらしい。」

547p〜
 「人材不足の害はかくのごときものがある。しかも現今、公卿大夫の位にある大官たちは、誰も天子の為に遠い将来を見渡し、王朝の為に永遠の計を立てようとする者がいないのは、そもそも何故であろうか。昔、晋の武帝は目前を過ごすことだけを旨として子孫のために遠い将来を計らなかった。在位者もみなその日暮しで、風俗は蕩然と堕落し、礼儀を棄て法制を忘れ、上下共に誤って、それを非とする者がなかったが、少数の識者はまさに乱れんとするのを予見した。果たして海内が大乱に陥り、中国が夷狄と変わらぬ状態が二百年も続いた。…
 いかに王安石でも、よくもこんなに先輩たちを無視したような言葉を臆面もなく言えたものだと思う。もし現在の日本で、省の課長あたりが総理大臣の前でこれと似たような事を言ったら、その結果はどうであろうか。」

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先生は王安石のファンに違いない。
posted by Fukutake at 10:09| 日記