2018年08月08日

日本国憲法第九条二項

「九条を読もう!」 長谷川三千子 著 幻冬社新書 2015年

 九条二項は日本国憲法を破壊する 41p〜

(日本国憲法 第九条 :
日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。)

 「いまあらためて、この九条を条文どおりに遵守したとするとどういうことになるのかをあらためて考えてみましょう。まずもちろん、一項にハッキリと約束していた「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するということが不可能になることは、明らかです。そのために必要な手段も権利も一切放り投げてしまうというのですから。
 しかし、それだけではありません。それよりもさらに根本的でさらに深刻な、二つの大きな問題が生じてきます。
 まずその第一は、日本国憲法そのものが、根底から成り立たなくなってしまう、という問題です。
 日本国憲法は基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を三つの柱として成り立っているー これは誰でもが小、中学校で教わったところです。ところが、九条二項を文字どおりに守ったならば、これら三大原理は成り立たなくなってしまうのです。
 基本的人権の尊重については、日本国憲法はまず第十一条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と一般的に語ったあと、第十三条でその具体的内容をこう述べています。− 「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。そしてもちろん、このなかで国家がもっとも責任を持って守らなければならないのが、国民の「生命」です。

 実は、この<国民の生命を守ること>こそは、近代民主主義の思想において。もっとも基本となる国家の役目なのです。…(すなわち)もっとも基本的な「人権」の核心は、国家が国民一人ひとりの生命の安全を確保する、というところにあるのです。… 自衛権が「各主権国国家に固有のもの」として認められているのは、もしそれを奪い去ってしまったら、どの国も自国の国民の生命を保障することができず、そんな条約を「各自ノ人民ノ名ニ於いて」宣言することなど不可能だからです。

 ところが、九条二項はそのような<国民の生命を守ること>の手段と権利を奪っています。「交戦権」とは、言うならば国民たちが自ら戦って自らの生命を守る権利なのですが、これが認められないということは、まさしく国家が国民一人ひとりの生命保全の権利を奪い去っているということにある。九条二項は、基本的人権の尊重という原理を根底から叩きこわしているのです。」

(下線:引用者)
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拉致被害も端的な例ですね。
posted by Fukutake at 08:49| 日記

2018年08月06日

政治と戦争

「アメリカの鏡・日本 Mirror for Americans : Japan」その2
ヘレン・ミアーズ (Helen Mears) 伊藤延司 訳 
 メディアファクトリー 1995年

日本は戦略地域か  150p〜

 「疑問はもう一つある。それは対日戦争の最終段階にかかわる疑問である。私たちは最後の最後になぜあれほど焦ったのか。日本が少なくとも三ヶ月にわたって、降伏への道を模索してきたを知りながら、なぜ決断まで十一日しか待ってやれなかったのか。
 この疑問に対する答えは、アメリカと日本の関係ではなく、アメリカとソ連のやりとりにある。一九四五年二月七日のヤルタ会談における「最高機密」合意(この階段からほぼ一年公表されなかった)で、ソ連は中国領内の一定地域および財産を確保することを条件に、対日戦への参戦を約束した。ソ連としては、彼らが参戦して「合法的」に戦利品を要求できるまでは、日本に降伏してほしくなかったのだろう。

 一方、私たちは、もし日本が即時無条件で降伏してしまったら、ソ連は参戦しようがすまいが日本に侵入してくるとみていたから、日本がソ連に和平条約を提示することを望んでいなかった。そして、日本が無条件降伏をしない場合は、満州と朝鮮に駐留する関東軍をソ連におさえさせようとし、同時に、ソ連が来る前に日本本土を占領しようとしていたのだ。
 もし、この分析が正しく、これ以外に事実を説明できる分析がなければ、私たちは日本の一般市民十数万人を大量殺戮してでも、早急に結論を出そうとしていたということができる。もしこれに失敗したら、数十万の米兵を犠牲にしてでも、計画どおり日本上陸作戦を敢行しようとしていた。私たちが日本人に対して使った原子爆弾は、日本に対してつかったのではない。なぜなら、日本はすでに完全に敗北していたからだ。
 
 原子爆弾はソ連との政治闘争にしようされたといえる。占領は私たち自身の政治・経済目的を達成するための装置だ。この目的に日本人が関係してくるのは、たまたま日本人がチャモロ族と同じように戦略的に重要な島に住んでいたからに過ぎないのだ。

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全く血も涙も無い話です。
posted by Fukutake at 12:29| 日記

2018年07月30日

アメリカの社会理念

「アメリカの鏡・日本 Mirror for Americans : Japan」その1
ヘレン・ミアーズ (Helen Mears) 伊藤延司 訳 
 メディアファクトリー 1995年

 「占領が終わらなければ、日本人はこの本を日本語で読むことはできない。−ダグラス・マッカーサー(1949年)」

 リーダーの資格  149p〜
 
 「私たち(アメリカ)の戦争・平和政策と計画が日本の将来にとって重要であるなら、アメリカの将来にとっても、計り知れないほど重要である。私たちは計画立案の指導者を自任してきた。しかし、緊張に押し潰されて事実を読み違えるようでは、指導者の地位は非常に危ない。私たちはまた道義の指導者を自認してきた。しかし緊張に押しつぶされて犯した罪を、それでだけでなく、危機が去ったあとに重ねた罪を認めて償うことができなかったために、私たちの道義は厳しくとわれているのだ。
 日本政府の頑迷派に圧力をかけるためなら、女子供の命を蒸発させることも「優れて適切な」手段であるというスチムソン元陸軍長官の言明が、戦争の熱いさなかだけでなく、日本の降伏から一年半も経つというのに、いまだに記事になり、広く容認されている。
 この事実は、私たちの選んだ社会理念が、私たちが思っていたほどには明確ではなかったことを物語っている。ナチスは自分たちの死の収容所を、望ましくもない過剰人口を整理するための「優れて適切な」方法であると信じていた。そのことは誰も疑わない。だからといって、私たちはこの問題をナチの都合のいいようには解釈しない。私たちは収容所を犯罪と呼び、その存在を許したものを犯罪人と呼ぶ。私たちは他国民の罪だけを告発し、自分たちが民主主義の名のもとに犯した罪は自動的に免責されると思っているのだろうか。
 社会「改革」の任務を背負う国民にとっては、これは重大な問題である。昔から力は自ずと腐敗するといわれてきた。ここにいたってもなお、原爆使用の正当性に固執するのは、私たち自身の価値を否定するものだ。私たちがいつまでも倫理の二重基準にしがみついているならば、私たちのように安全が保障されていない国々の人々に向かって、私たち以上に良心的になれとはいえないのである。(次回に続く)

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こういう人もいるんですね。
posted by Fukutake at 12:09| 日記