「関東大震災後の帝都復興事業と現在の東京」 竹村雅之 學士會会報 Sept. No.962 2023-X より抜粋転載
首都の品格を失った東京 p58〜
「東京と同じく空襲で大きな被害を受けた名古屋では、終戦翌年の九月二十九日に、市議会で「名古屋市再建に関する決議」が満場一致で採択されました。 これを受けて、市長の佐藤正俊が十月十日に、田淵壽郎(旧内務省名古屋土木出張所長)を名古屋市技監兼建設局長として招いて戦災復興に取り組んだのです。 その後十二月三十日に、国から「戦災地復興計画基本方針」が出されるや否や、復興計画をより具体化した「名古屋市復興計画の基本」を決定します。 さらに市内全域の土地区画整理や市内を四分割する百メートル道路二本の建設、大規模墓地移転に代表される「田淵構想」の立案と施工が進められました。 二〇二一(令和三)年四月現在の名古屋市の道路率は平均でも18.4%で、帝都復興事業が行われた現在の東京都心八区の道路率にほぼ匹敵するものです。
一方、帝都復興事業で生まれ変わったはずの東京が百年後の現在、再び首都直下型地震の脅威に怯えているのはなぜでしょうか。
東京市十五区は昭和七年に三十五区(現在の二十三区の範囲)に広がりましたが、帝都復興事業が行われた現在の都心八区は別にして、主にその外側で戦後にかけてスプロール化*が進み、地震危険度が高い「木密地域」が広がってしまいました。 道路や公園等の都市基盤が不十分なことに加え、老朽化した木造建築物が多いことなどから、首都直下型地震の脅威を高める要因となっているのです。
一九三〇年から一九四三年(昭和五年から昭和十八年)にかけて、新市域の全域にわたって「細道道路」として幅十メートル前後の都市計画道路をきめ細かく決定しましたが、計画は進みませんでした。これは残念なことに戦後窮乏する都民の居食住の確保を最優先すべきとする安井誠一郎知事がこれに反対し、計画を握り潰してしまいました。 このため、東京都は都市整備が進まないままに昭和三十年代を迎え、深刻な交通渋滞を背景に東京五輪の誘致で起死回生を図ろうとしたのです。
その際、経済優先で効率化を進めるという名目の下に、帝都復興事業で世界に誇れる公園とされた隅田公園の上に高速道路を通したり、昭和通りの中央にあったグリーンベルトを潰して立体交差の道路にしたり、水辺を破壊し多くの高速道路の通り道として、明治の名橋日本橋や帝都復興事業で特に力を入れてつくられた江戸橋を、こともあろうに高速道路の高架下に押し込めてしましました。 帝都復興事業で実現を目指した首都としての品格は、空襲を受けた後、戦後の東京では復活することなく今に至っています。」
スプロール化* 都市の急速な発展により、市街地が無秩序・無計画に広がっていくこと。
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2023年09月27日
過去はあるのか
「流れとよどみ」ー哲学断章ー 大森荘蔵 産業図書 初版1981年
過去は消えず、過ぎゆくのみ p253〜
「過去が過ぎ去るのは水の流れのようにだろうか、音が消えゆくようにだろうか。 それはやはり音のようにであって水のようにではあるまい。 流れた水はただここを離れただけで追いかければまた把えることができるのだから。 音は駟馬*(しば)も追えないが、それは音が超音速的に速いからではなく消え去るからである。 音は生まれた時が死ぬときであり、生じたときが滅するとき、存在するときが存在をやめるときなのである。 そして消えた音は過去の音である。 そしてその音と共に在ったもの、街や空や人の風景もまたその音と共に消え去るのではないか。 街や人はしぶとく居すわり続けているように見えるがそれは見せかけにすぎず、その刻々の風景は映画のフィルムやテレビの走査線と同様、刻々交代しているのである。 それならばまた、数秒前の素粒子、数分前の電磁場も同じく今は亡きものといわねばなるまい。 つまり、過去はもはや存在しない。 存在するのはただ現在である。 過去は水に流すまでもなく既に刹那に消え失せている。 このことは特に、動くもの、変わりゆくものを見るとき明白にみてとれよう。 時計の針はただ現在位置にのみ存在し、過ぎた時刻を指す針は既にない。 それならばその過ぎた時刻の世界もまた既にない、というべきであろう。 世界にもまた音と同様、刹那滅的なのである。
しかしこのような刹那滅的な世界を信じる人はいない。 過去が全くの非在であり全くの空虚であると考える人はいない。 それは自分の人生が、そして人間の歴史が全くの空虚だと考えることだからである。 した約束も犯した罪業も、預金も借金も今は存在しない、と考えることができるからである。 人が遺恨や感謝の念を抱くのは今や空無と化したものに対してではないであろう。 そして歴史学では空無の学として無学であり、日記は無記であるなどと考える人はいないだろう。
だがしかし人はまた、死者がなお今存在する、その生前の姿で存在する、とは信じない。 死者は亡き者なのである。 だが、、だとすればその死者生前の所業もまた亡きものではないのか。 だとすればわれわれ今生きる者の過去の所業もまた亡きものではないか。 だとすれば歴史はすべて亡きものということになる。 われわれは一わまりして刹那滅的世界にまい戻る、 そしてしかしまたそれを信じないのである。
この堂々巡りは不決断でもなければ誤りでもない、と私には思われる。 むしろそれはわれわれの、過去に対するアンビバレントな態度、首鼠両端*(しゅそりょうたん)の態度を表現しているのである。 過去は在るようでないもの、ないようでも在るものなのである。 このことは、不用意な在るなしによって過去を裁定するのではなく、逆に過去という視点から在る無しの意味を更めて尋ねてゆくべきであることを示しているように思われる。」
駟馬* 四頭立ての馬車
首鼠両端* 結論を出さずに様子をみて、どちらとも決めないでいること。
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過去は消えず、過ぎゆくのみ p253〜
「過去が過ぎ去るのは水の流れのようにだろうか、音が消えゆくようにだろうか。 それはやはり音のようにであって水のようにではあるまい。 流れた水はただここを離れただけで追いかければまた把えることができるのだから。 音は駟馬*(しば)も追えないが、それは音が超音速的に速いからではなく消え去るからである。 音は生まれた時が死ぬときであり、生じたときが滅するとき、存在するときが存在をやめるときなのである。 そして消えた音は過去の音である。 そしてその音と共に在ったもの、街や空や人の風景もまたその音と共に消え去るのではないか。 街や人はしぶとく居すわり続けているように見えるがそれは見せかけにすぎず、その刻々の風景は映画のフィルムやテレビの走査線と同様、刻々交代しているのである。 それならばまた、数秒前の素粒子、数分前の電磁場も同じく今は亡きものといわねばなるまい。 つまり、過去はもはや存在しない。 存在するのはただ現在である。 過去は水に流すまでもなく既に刹那に消え失せている。 このことは特に、動くもの、変わりゆくものを見るとき明白にみてとれよう。 時計の針はただ現在位置にのみ存在し、過ぎた時刻を指す針は既にない。 それならばその過ぎた時刻の世界もまた既にない、というべきであろう。 世界にもまた音と同様、刹那滅的なのである。
しかしこのような刹那滅的な世界を信じる人はいない。 過去が全くの非在であり全くの空虚であると考える人はいない。 それは自分の人生が、そして人間の歴史が全くの空虚だと考えることだからである。 した約束も犯した罪業も、預金も借金も今は存在しない、と考えることができるからである。 人が遺恨や感謝の念を抱くのは今や空無と化したものに対してではないであろう。 そして歴史学では空無の学として無学であり、日記は無記であるなどと考える人はいないだろう。
だがしかし人はまた、死者がなお今存在する、その生前の姿で存在する、とは信じない。 死者は亡き者なのである。 だが、、だとすればその死者生前の所業もまた亡きものではないのか。 だとすればわれわれ今生きる者の過去の所業もまた亡きものではないか。 だとすれば歴史はすべて亡きものということになる。 われわれは一わまりして刹那滅的世界にまい戻る、 そしてしかしまたそれを信じないのである。
この堂々巡りは不決断でもなければ誤りでもない、と私には思われる。 むしろそれはわれわれの、過去に対するアンビバレントな態度、首鼠両端*(しゅそりょうたん)の態度を表現しているのである。 過去は在るようでないもの、ないようでも在るものなのである。 このことは、不用意な在るなしによって過去を裁定するのではなく、逆に過去という視点から在る無しの意味を更めて尋ねてゆくべきであることを示しているように思われる。」
駟馬* 四頭立ての馬車
首鼠両端* 結論を出さずに様子をみて、どちらとも決めないでいること。
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posted by Fukutake at 08:16| 日記
インド独立の闘士
「中村屋のボース」 インド独立運動と日本のアジア主義 中島志岳志 白水社 2005年
はじめに p8〜
「創業当時はパン屋であった中村屋が、なぜ、日本で初めて本格的なインドカレーを売り出したのであろうか? また、日本を代表する高級菓子の老舗が、なぜ、そのイメージとは対極的な「インドカリー」にこだわり続けているのだろうか?
ここで一人のインド人に登場してもらわなければならない。
名前は「ラース・ビハーリー・ボース」。 単にインドカレーを伝えた料理人などではない。 彼は一九一〇年代のインドを代表する過激な独立運動の指導者である。
周知の通り、二〇世紀はじめのインドは、イギリスの植民地統治下にあった。 一九〇五年、イギリスがヒンドゥー教徒とムスリムの連帯を切り崩しを図り、当時の独立運動の中心地・ベンガル地方を分割統治しようとした政策(所謂「ベンガル分割」)をめぐって、反英独立運動は活発化した。 しかし、この運動はイギリス側によって徹底的に弾圧され、主だった指導者たちが軒並み逮捕されると、運動は急速に低調なものとなった。 インド独立運動は、この後、一九一五年のマハートマー・ガンディーの帰国によって新たな時代を迎えるのだが、それまでの数年間は、「運動の低迷期」が続く。 その期間、間欠的に起きたのが、爆弾を用いた過激なテロ事件であった。 特に時のインド総督ハーディングに爆弾を投げつけて負傷させた「ハーディング総督爆殺未遂事件」は、この時期最大の事件であった。
そして、この事件を引き起こした張本人こそが他ならないラース・ビハーリー・ボース(以下、R・B・ボースと略記する)、その人なのである。
R・B・ボースはこの事件をきっかけとして、イギリスから徹底的に追跡されることになる。 彼の首にはイギリス側によって多額の懸賞金がかけられ、徹底した捜索活動が行われる。 彼が、その逃亡先として目をつけたのが、日露戦争に勝利し、国力を高めつつあった日本であった。
一九一五年、R・B・ボースは偽名を使い、日本への脱出に成功する。 しかし、当時の日本は、日英同盟を結ぶイギリスの同盟国であった。 ボースは来日してまもなく、日本のイギリス大使館に目を付けられる。 そして、ついに一九一五年の末、イギリスから強い圧力を受けた日本外務省によって、彼に対する国外退去命令が下される。
この絶体絶命をすくったのが、頭山満を筆頭とする玄洋社・黒龍会のアジア主義者たちであった。 彼らはR・B・ボースを巧みに隠し、ある場所に匿う。 その場所こそが、新宿中村屋だ。
R・B・ボースはその後、困難な地下生活を献身的に支えてくれた中村屋店主の娘と結婚する。 そして、二人の子供をもうけ、日本に帰化する。 以後、彼は日本のナショナリストや政治家、軍人たちと深い結び月を持ち、日本国内で大きな発言力をもつようになる。」
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はじめに p8〜
「創業当時はパン屋であった中村屋が、なぜ、日本で初めて本格的なインドカレーを売り出したのであろうか? また、日本を代表する高級菓子の老舗が、なぜ、そのイメージとは対極的な「インドカリー」にこだわり続けているのだろうか?
ここで一人のインド人に登場してもらわなければならない。
名前は「ラース・ビハーリー・ボース」。 単にインドカレーを伝えた料理人などではない。 彼は一九一〇年代のインドを代表する過激な独立運動の指導者である。
周知の通り、二〇世紀はじめのインドは、イギリスの植民地統治下にあった。 一九〇五年、イギリスがヒンドゥー教徒とムスリムの連帯を切り崩しを図り、当時の独立運動の中心地・ベンガル地方を分割統治しようとした政策(所謂「ベンガル分割」)をめぐって、反英独立運動は活発化した。 しかし、この運動はイギリス側によって徹底的に弾圧され、主だった指導者たちが軒並み逮捕されると、運動は急速に低調なものとなった。 インド独立運動は、この後、一九一五年のマハートマー・ガンディーの帰国によって新たな時代を迎えるのだが、それまでの数年間は、「運動の低迷期」が続く。 その期間、間欠的に起きたのが、爆弾を用いた過激なテロ事件であった。 特に時のインド総督ハーディングに爆弾を投げつけて負傷させた「ハーディング総督爆殺未遂事件」は、この時期最大の事件であった。
そして、この事件を引き起こした張本人こそが他ならないラース・ビハーリー・ボース(以下、R・B・ボースと略記する)、その人なのである。
R・B・ボースはこの事件をきっかけとして、イギリスから徹底的に追跡されることになる。 彼の首にはイギリス側によって多額の懸賞金がかけられ、徹底した捜索活動が行われる。 彼が、その逃亡先として目をつけたのが、日露戦争に勝利し、国力を高めつつあった日本であった。
一九一五年、R・B・ボースは偽名を使い、日本への脱出に成功する。 しかし、当時の日本は、日英同盟を結ぶイギリスの同盟国であった。 ボースは来日してまもなく、日本のイギリス大使館に目を付けられる。 そして、ついに一九一五年の末、イギリスから強い圧力を受けた日本外務省によって、彼に対する国外退去命令が下される。
この絶体絶命をすくったのが、頭山満を筆頭とする玄洋社・黒龍会のアジア主義者たちであった。 彼らはR・B・ボースを巧みに隠し、ある場所に匿う。 その場所こそが、新宿中村屋だ。
R・B・ボースはその後、困難な地下生活を献身的に支えてくれた中村屋店主の娘と結婚する。 そして、二人の子供をもうけ、日本に帰化する。 以後、彼は日本のナショナリストや政治家、軍人たちと深い結び月を持ち、日本国内で大きな発言力をもつようになる。」
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posted by Fukutake at 08:13| 日記