2017年06月05日

死を前にした人生随想

「流砂」ヘニング・マンケル 柳沢由美子 訳 東京創元社 2017年

(41 安堵)より 205p〜

 「がん治療の初期には、様々な検査が行われ、その中に頭部のレントゲン撮影があった。エヴァと一緒にその結果を聞きにいったとき、私の気分は最悪だった。がんは頭にまで転移しているのか?もしそうなら、私の命はもうじきに終わるということしか考えられなかった。
 だか、その時に私の担当医だったモナは、頭部にはなにも見つからなかったと教えてくれた。エヴァは私の手をきつく握って、モナに言った。
 「ありがとう!ありがとう!」

 大きな安堵。私はアフリカの川でカバに襲われそうになったときのことを思い出した。あのときも死の覚悟をしたものだ。もう一つ、思い出したのはノルウエーのフレドリックスタードでサッカーを観たときのことだ。
 私はスタンドのずっと上のほうに座っていた。突然私の目に、スタンドの一番下の席から上を見上げている男の子の顔が映った。顔が歪んでいまにも泣きそうだった。私にはすぐにわかった。いっしょに来た人を見失ってしまったのだ。大勢の人間の中で、迷子になってしまったのだ。私は立ち上がり、その子のほうに駆け出した。だがそのとき父親らしき人物が立ち上がって、その子に向かって手を振った。
 そのとき男の子の顔に浮かんだ安堵の表情は私は忘れない。
 一九七二年、私は初めての本を書き上げた。書き上げたら出版社に送ると決めていた。三度原稿を書き直していた。私は出版社がこれを受け取ったら必ず出版すると確信できる原稿を書き上げたとき初めて送ろうと決心していた。なんとも勇気のある、いや愚かな決心だった。そんなことが事前にわかるなどということはあり得ないのに。
(中略)
…八月のある日、詩人ダン・アンダーソンの写真のハガキが、私のドアの郵便受け口からするりと床に落ちた。私が原稿を送った出版社の社長が本を読み、出版を決めたという知らせだった。
 そのときの気持ちはどうだったか?郵便受けの前の廊下に裸で立っていた足が冷たかった。喜びを感じたか?歓声を上げたか?思い出すのは大きな安堵だった。全身に温かい震えのように安堵の波が押し寄せた。原稿は良かったのだ。出版に値するほど良かったのだという思いだった。
 私は床に座り込み、大きく息を吸った。それからゆっくり吐き出した。」

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2015年10月5日、ヘニング・マンケルが67歳の生涯を閉じた。最後のエッセイ集。残念です。
posted by Fukutake at 12:54| 日記

2017年06月01日

シナ人の公を信じない歴史的背景

「中国近世史」内藤湖南 著 岩波文庫 2015年

第16章 モンゴル人の統治とシナ社会 より 269p〜

 政治と人民の乖離と地方官の処世術

 「また一般人民はモンゴル人から考えると租税を搾り取る目的物で、モンゴル本国では家畜から富が出るが、シナでは人民から富が出るから、モンゴル人にはシナ人と家畜とは異なることころはない。シナ人はそれがため、政治などは政府が人民を治めるためでもなんでもないと覚悟したので、民間で自衛策ができ、それに身みずから入るものは志士・仁人である。これが後世シナ人が政治は政府をあてにするものではないという考えを起こした根本である。泰定年間(一三二四〜二七)、陝西地方に五年間の旱魃があり、大飢饉があった。政府はなにも考えず、なんらの対策も講じない。文宗のときになっていくらかこれに関する手当をした。文宗は兄明宗を弑したといわれ、元の家族からは評判が悪いが、モンゴルの政治をいくらかシナ人に適するようにシナ人風に行わんとする特徴があり、シナ文化に理解を持った。その一代には元の『経世大典』の編纂事業が起こり、八百余巻の大部の編纂で、モンゴル人の事業として珍しく文化的なものである。文宗は陜西飢饉の救済に力を入れ、張養浩(一二六九〜一三二九)を任命してそのことにあたらしめた。元来張養浩はモンゴル人の政治に感心せず引き込んだ人であるが、この大任を受けるとすぐさま出発して、華山で雨を祷ったら幸いに雨が降った。しかし陜西の役所に到達すると、いったん雨が降ったくらいではもとより救済法にならぬので、救済法を別に立てた。紙幣の利用法を講じ、モンゴルの紙幣法は、古い紙幣を新しいのに換えて古紙幣を焼いたのを、古紙幣を一時保留し、そのほかに紙幣と同じ切手を出し、これを持ちきたったものには米を渡すことにした。これで救済策は立ったが、過労のためついに病死した。この人は天子の命とはいえ、実はモンゴルの朝廷のためを考えたのではなく、命ぜられた位置を利用したのであって、シナ人としてシナ人救済のため一身を犠牲にした模範と言われている。」

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posted by Fukutake at 08:38| 日記

2017年05月30日

医療の目的

「医師は最善を尽くしているか」医療現場の常識を変えた11のエピソード
 アトゥール・ガワンデ  原井宏明 訳  2013年 みすず書房

147p〜

 「ある日、廊下を歩いているときに、集中治療室の看護師の一人ジーンが私を呼びとめた。はっきりと彼女は怒っていた。
 『医者って何様のつもり?先生って、止めどきというものを知らないの?』
 その日、ジーンは肺がんの患者を担当していた。片肺を切除術後五ヶ月間、三週間を除いて、集中治療室に入っていた。術後すぐに残った肺に肺炎が起こり、気管切開と呼吸器がなければ、息ができない状態になっていた。薬で鎮静がかかっており、それをやめれば、酸素濃度が下がってしまう。手術で胃瘻(*)を設置し、チューブから栄養を摂取していた。敗血症のために肺炎が起こり、人工透析が必要になっていた。かなり以前から、病院以外の場所では、生命を維持できないことは明らかになっていた。しかし、医師も患者の妻もこの事実に直面することを避けていた。なぜなら、がん自体の手術は成功していたし、患者は末期状態ではなく、まだ五〇代だったのである、そして、ベッドに横たわり、改善の見込みはなく、医師にできることは悪化を防ぐことだけだった。ジーンにとってみれば、このような患者は一人でだけではなかった。
 ジーンと話し合ううち、あまり早く諦めてしまった医師のことも話してくれた。そこでどんな医師がベストだと思うのかを彼女に聞いてみた。答えるまでにしばらく時間がかかった、ようやく口を開き、『良い医師とは、一つ大事なことを理解している人で、それは治療は医師のためではなく、患者のためだということ』と述べた。よい医師というのはいつも正しい答えを持っているわけではない。時にはながく押しすぎるときもあれば、早く引きすぎるときもある。しかし、とにかく一度立ち止まり、今やっていることを振り返り、見直す。よい医師とは自分の自尊心は横に置いておき、他人に別の見方を求めるものである。
 この洞察は簡単に見えるがそこに到達するためには賢明さと努力が必要である。だれかが、あなたの専門的技量を求めて受診にきたが、あなたが失敗した場合、あなたに何が残るだろうか。そこで頼りになるものは、あなたの人となりだけである。


 つまるところ、医師に何ができて何ができないかを教えてくれるようなガイドラインというものはない。不確実さの前では、強気で押す側に間違える方が諦めが早すぎるよりはマシとは言えるだろう。しかし、強気で押すことが単にエゴや弱さの表れだと認めなければならないときも来る。強気で押すことが患者を傷つけるだけになっていることを認める心の準備が必要なのである。

 何が正しいことなのか、はっきりしないときでも、患者にとって正しいことをすることなのだ。」

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(*)胃瘻(いろう):口から食事のとれない人、飲込む力の無い人のために、直接、胃に栄養を入れるためのおなかに小さな「口」を作る手術

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正しい治療とは…。
posted by Fukutake at 14:04| 日記