2019年05月13日

民主主義の進化?

「プラトン」 アレクサンドル・コイレ  川田 殖(しげる)訳 
 みすず書房 1972年
(その1)

 不完全な国家 p193〜

 「プラトンが書いている僭主制−−自制能力を欠いた民主制への陶酔から必然的に生じてくるこの制度−−の誕生、に関する記事ほど、素晴らしい、深い、また現代的関心にふれている箇所はない。
 自由ということは民主制国家における最高善である。こうして「ひとは、民主化された国ではこの自由というものが、何にもまさって立派のものであること、そしてそれゆえにまたこの国家が自由人として生まれた人の住むに価するただひとつの国家だということを、聞くであろう。…しかしこの自由への貪欲、またこれ以外のいっさいのものに対する無関心が、この国制を変更して僭主制へと走らせるのである」。なぜなら…民主制的な国家は、「混じり気のない自由の酒に酔っぱらった」場合、「自由を求める精神は至るところにすみやかに行きわたって、放縦と無政府状態へ落ちて行く。そしてここからくる悪弊が寄せ集められると、とんでもない結果を引き起こす。つまりこうした悪弊は国民の気持ちを、気短かにするものだから、たとえわずかでも窮屈になる萌しが見えてくると、人びとは腹を立ててそれに反抗し、ついには、よく知られていることだが、彼らは、いかなる者からも絶対に指図を受けたくないとの気持ちから、書かれた法律であれ、書かれざる法律であれ、これらをいっさい無視することになる」。こうして彼らはまず煽動家たちの手中に落ち、次いで僭主の手中に落ちることになる。「なんとなれば、なにごとにせよ、あまりにやりすぎることは……必ず逆に大きな反動を引き起こすものであるが、国制の場合にはことにそうだからである」……そして行きすぎた自由は、「国家においても個人においても、行きすぎた隷従が生じてくるのである」。

(コイレ注:アテナイの民主政治についてのペリクレスの有名な演説においては、民主政体があらゆる政体にまさっている点として、万人が民主主義下において国政にあずかることがことをあげ、このことが、民主国の国体はすべて、本当の意味で自由であることを意味し、ここから政府の要人が選ばれるのにも、その人の持っている能力によるのであって、財産や家柄によるのではないところの、きわめて自由な選抜によっているということが述べられている。言葉をかえて言えば、ペリクレスにとっては民主政体は、真の意味における貴族政体(最上のものの支配)を実現し、またこれを一般化するものなのである。しかしプラトンの目から見れば、ペリクレスの民主政体は、アテナイの同盟国に対して、アテナイの集団的僭主制とも言うべきものを実現したものであった。そしてペリクレス亡きあとの民主政治は煽動家たちの手にかかって滅びてしまうのである。)」

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貴族制→民主制→僭主制→独裁制という論理的帰結


posted by Fukutake at 09:06| 日記

2019年05月09日

薬への盲信

「(孟司と誠の)健康生活委員会」 養老孟司 近藤 誠 
 文藝春秋 2019年

 薬一個で病気は治せない p72〜

 「養老 病気が治るのは常に自分の身体がしていること。医療はお手伝いしているだけ。今、誰しもそれがわかっていないでしょ。
 近藤 抗生物質で細菌がすべて死ぬかのように思っている人が多いけれども、ゼロにしているのではなくて、一定程度減らしているだけ。少し減らすと、待ち構えていた人間の免疫システムが働きやすくなるわけです。その免疫システムが最終的にすべてを殺してくれる。だから、抗生物質はあくまで免疫システムのお手伝いなんです。
 そのお手伝いにしてもね、最近は効かなくなって来てしまって、もうバクテリア(細菌)の抵抗力、薬剤抵抗性たるや凄いですよ。
 養老 細菌が薬剤にたいして免疫を持ってしまうんですよね。
 近藤 ペニシリンが最初に導入された時には、本当によく効いたと思うんですよ。大部分の感染症は一回の投与で治ったんじゃないかな。性行為感染症の梅毒は、最近また流行しているますが、これは初期なら今でもペニシリンの注射一回で治る。ただ注射だとペニシリンショックが怖いからでしょう、ふつうは経口薬を何日も飲ませるようです。
 話を戻すと、たいていの細菌は、抗生物質がすぐに効かなくなる。それで次の抗生物質、その次、とやっているわけですが、新しい抗生物質の開発がいよいよどん詰まりになっている。やっぱり細菌の方が賢いのね、三十八億年の歴史を背負っているから。抗生物質なんて出来てからたかだか数十年です。
 養老 俺たちがそんな新参者に負けてたまるか、とね(笑)。
 近藤 抗生物質もうまく当たると今でも効きますよ。でも、昔より効く率が減っている。
 養老 相手が単純な生物ならそれでいいですけどね。人間みたいなややこしいものが、薬一個で何とかなるわけがない。
 近藤 細菌そのものも、決して単純ではないんですよ。薬一つで治るはず、という現代人の信仰は根強いです。
 養老 そりゃ、薬を売らなきゃいけないから(笑)。」
posted by Fukutake at 09:30| 日記

2019年05月07日

人の数だけ現実がある

「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?」〜脳化社会の生き方〜 養老孟司
 扶桑社新書294 2019年

  「ああすれば、こうなる」だけになった現代社会
 p244〜

 「… 皆さんが現実とはこういうものだという信念をお持ちのはずです。皆さん方が現実と考えているのは、五感から集めた情報を長年、脳の中でこねくりまわして、最終的につくり上げた一つの世界の姿です。私は現実をそう定義します。
 そうしますと、皆さんが現実と考えているのは、じつは皆さん方の脳が決めたある一つの世界です。それが壊れることはもちろんあります。たとえば精神病の患者さんが典型的にそうです。発病したときには、今まで住んでいた世界と非常に違った世界を現実だと主張するようになります。ですから、そういう現実は脳が決めていることはたぶん間違いないと私は思います。
 
 人によって違う「現実」を統制するのが世間

 じつは、意識が感情と呼んでいるものは、最終的に重みをつけるわけであって、最終的に重みをつけられた世界の姿を、私は現実と定義します。普通、現実は一つです。これが現実だと皆さん方は思い込んでおられるわけです。それが人によって違う。間違いなく違う。日本人は割合にそれをそろえますので、世間、世間の常識というのが決まっています。それが日本の現実です。
 つまり世間とか社会、文化、伝統とか、いろいろ言ってますが、何のためにあるかというと、放っておくと、脳はじつにさまざまな現実をそれぞれが作る器官ですから、大変効率が悪くなりますので、全体としてそれをそろえようとする。日本の場合、徹底的にそろえるというのが理想になっていて、徹底的にそろえると、ある意味たいへん便利です。
 そういうふうに一方で力が働いて、現実をそろえようとします。それをそろえるのが、世間、社会です。そういう社会で育つと、だいたいある種の現実がそろってきまして、それが現実だと考えるようになります。私は今、それがいいとか悪いとか言っているのではなくて、極めて中立的に説明しているつもりです。

 日本のような社会で、その現実がそう同じじゃないんですよと言うためにどうするか。よその社会を見ればいいわけです。それが実際に起こったのが
戦前の状況でして、アメリカの社会と並べてみると、全然現実が違う。ところが、それぞれの現実は一つだと思っていますから、そこに非常な食い違いが生じてきます。ケンカになります。

 これはうちの中でもまったく同じです。子どもが学生結婚したいと言い出す。親がどうやって食っていくつもりだと言う。今ならコンビニでアルバイトしても食えると言うと、親がお前の考えることは現実的ではないと怒る。
 それは親の現実と子どもの現実が違うということであって、どちらの現実も正しいと言っているわけではないんです。」

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posted by Fukutake at 08:49| 日記