2019年12月03日

アリスの冒険

「ALICE’S ADVENTURES IN WODERKAND 不思議の国のアリス」Lewis Carroll ルイス・キャロル

最後のパラグラフより

アリスが夢から目覚め、お姉さんにその不思議な夢の出来事をことこまかに話した。話し終わると、お姉さんは、アリスにキスをして言いました。「ほんと、おもしろい夢だったのね。それじゃあ、お茶をいただきに行ってらっしゃい。遅くなりそうだから。」お茶に間に合うように家に駆け足で戻っていたアリスの姿をお姉さんが見送って、アリスのこれからを思う…。

「最後にお姉さんは、このかわいい妹がゆくゆく一人前のおとなになったときのことを思い描きました。あの子は、おとなになってもその間ずっと、子供のときと同じすなおでやさしい心を持ちつづけることだろう。小さな子供たちをまわりに集めては、いろいろ珍しいお話をしてやる。子供たちは目を輝かせ、夢中になってききいっている。遠い昔の不思議の国の夢のお話も、ひょっとすると、その中にはいっているかもしれない。そして、子供たちのたわいのない悲しみを自分も悲しみ、無邪気な喜びに自分も喜び、自分の子供時代のこと、楽しかった夏の日々のことをなつかしく思い出すのではないだろうか、と。」
(訳は、「不思議の国のアリス」を英語で読む − 別宮貞徳 PHP 1985年より)

(原文)
 「…Lastly, she pictured to herself how this same little sister of hers would, in the after-time, be herself a grown woman; and how she would keep, through all her riper years, the simple and living heart of her childhood; and how she would gather about her other little children, and make their eyes bright and eager with many a strange tale, perhaps even with the dream of Wonderland of long ago; and how she would feel with all their simple sorrows, and find a pleasure in all their simple joys, remembering her own child-life, and the happy summer days.」

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posted by Fukutake at 12:41| 日記

2019年12月02日

米英の愚行

「日米戦争を起こしたのは誰か」− ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず −

「ウェデマイヤー将軍の回想− 第二次世界大戦に勝者なし −
藤井厳喜 p183〜
 「… 米英の指導者の更に大きな誤りは、ドイツと日本を敵視する余り、ソ連を同盟国として扱い、ソ連共産主義の力を強大なものにしてしまったことである。ナチズムは民主国家とは相入れない思想ではあったが、その脅威はヨーロッパ大陸とソ連のみに限られたものであった。それに比して、共産主義の脅威は世界的なものであった。米英首脳はソ連を助け、共産主義の防波堤となっていた日独を潰す事により、第二次大戦後における共産主義の脅威を自ら作り出したのである。アメリカの指導者たちは、共産主義の脅威について全く無知であった。
 言いかえれば、冷戦という状態は、米英の指導者自らが造りだした自業自得の脅威なのである。ナチズムという地域的な脅威を取り除きはしたが、これを共産主義というより大きな世界的な脅威に取り代えただけである。アメリカは第二次大戦の勝利者にはなったが、アメリカの安全保障は、大戦前よりも一段と劣悪な状態となってしまった。核戦争の危機をはらんだ世界情勢は、主としてアメリカの国策が招いたものなのである。しかし、この事は国民の間に広く認識されていない。第二次大戦をアメリカが正しく戦っていれば、冷戦の恐怖は必要なかったのである。
 アメリカ軍首脳部は、兵力を集中して早期にノルマンディー上陸作戦を実施し、一気にドイツ中枢部に攻め込み、戦争を短期に終結させる腹であった。これは兵力の集中により敵の主力と軍需産業の中心地(ルール地方)を叩くという戦力の常道である。当初ノルマンディー上陸作戦は、一九四三年に実施される予定であった。ところがこれにしつこく、かつ強力に反対し続けたのが、チャーチルであった。チャーチルは地中海や北欧やバルカン半島やトルコなのどの周辺地域での攻勢計画を提案し続けた。軍事には全くの素人のルーズベルトはこの圧力に屈し、連合軍はイタリア上陸作戦を敢行する事に決定した。イタリア攻略は第二次大戦の勝利の為には全く無用の作戦であった。この無用の作戦の為に、ノルマンディー上陸作戦の実施は一年おくれて一九四四年にズレ込み、戦争は不必要に長びかされた。
 これは単に人的被害を拡大したのみならず、ソ連に東ヨーロッパからベルリンまで攻め込む時間的な余裕を与え、ソ連の勢力圏を拡大させるという戦略的に取り返しのつかないミスであった。」

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英帝国は瓦解し、米国はいまだにそのツケを払い続け衰退の途にある。
posted by Fukutake at 12:36| 日記

2019年11月28日

人間存在の意義

「人間とは何か」実存的精神療法 V.E.フランクル 山田邦男監訳
 春秋社 2011年
(その1)

p122〜
 「…次のような思考実験をしてみるとよい。すなわち、一人の音楽を愛する人間がコンサートホールに座り、彼の好きなシンフォニーの最も感動的な小節が今まさに耳に響きわたり、その結果、ひとが最も純粋な美に触れたときに体験するような、あの身震いするような感動に打たれている、と想像しよう。そして、このような瞬間に、誰かが彼に、あなたの人生に意味があるか、と問うたと想像しよう。このとき、問われた人間は、きっと、このような恍惚とした瞬間を体験するだけででも生きる価値はある、と答えるにちがいないであろう。なぜなら、それがほんの一瞬のことであったとしても、その瞬間の大きさだけで一生涯の大きさが測られうるからである。… 人生の有意味性についても、その頂点が決定的なのであり、この比類のない瞬間が人生全体にさかのぼって意味を与えるのである。
 われわれの考えによれば、さらに第三の可能な価値カテゴリーが存在する。このさらなる価値グループは、人間が自分の制限された生活に対して取る態度によって実現されるものである。人間が自分の狭められた可能性に対して、みずからの態度を決めるというまさにそのことによって、新たな独自の価値領域、しかも確実に最高の価値に属するような価値領域が開かれるのである。…われわれは、この価値を態度的価値と名づけることにしたい。というのは、ここでは、人間が変えることのできない運命に対してどのような態度をとるかということが問題だからである。このような態度価値を実現する可能性は、それゆえ、人間がみずからそれを引き受け、それを担うほかはないような運命に対峙する場合に常に生じるのである。すなわち、ここでは、人間が運命をいかに担い、それをいわばみずからの十字架としていかに引き受けるかということが問題なのである。この態度は、たとえば苦悩における勇気、没落や挫折においてもなお失わない品位といったものである。
 (これによって)人間の実存は本来決して実際に無意味になりえないことがただちに明らかになる。人間の生命は「最後まで」その意味を保持している。それゆえ、人間が息をしているかぎり、人間に意識があるかぎり、彼は価値に対して、少なくとも態度価値に対して、責任を担っているのである。価値を実現するという人間の義務は、その存在の最後の瞬間に至るまで、人間から離れることはない。たとえ価値実現の可能性がどれほど制限されていようとも、まだ態度的価値を実現することは依然として可能である。すなわち、人間存在とは意識存在にして責任存在であるという命題の妥当性も明らかになるのである。」

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間際のきわにどういう態度をとるか?
posted by Fukutake at 11:34| 日記