2018年10月12日

東京裁判の論拠

「共同研究 パル判決書(上)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その1)

 268p〜

パル判事(インド)

 「…本法廷は一つの国際裁判所として設置されたものである。ここで意図されたところは、明白にこれが『司法裁判所』であることであり、『権力の表示』であってはならないのである。その意図は、われわれが法律による裁判所として行動しかつ国際法の下に行動することである。われわれは国際法の適切な諸法規を適用し、右の諸行為が、前述の宣言、協定、もしくは条例とは『別個』に、現行法のもとにおいて、はたして犯罪を構成するものであるか否かを判定することになっている。たとい右条例、協定、もしくは宣言において、これら(諸行為)を犯罪として揚げていても、それは現行法の下においては、これらが犯罪であるとみなす関係権威者の決定以外のなにものでもない。しかし本裁判所は独自の決定に到達せねばならない。右の諸機関の決定をもって本裁判所を拘束しようとは全然意図されたことはないのである。けだしもしそういう意図されていたのであれば、本裁判所は『司法裁判所』ではなくて、たんなる権力の表示のための道具となるであろう。
 勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時殺戮した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。かようにして定められた法律に照らして行われる裁判は、復讐の欲望を満たすために、法律手続きを踏んでいるようなふりをするものにほかならない。それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである。かような裁判を行うとすれば、本件において見るような裁判所の設立は、法律的事項というよりも、むしろ政治的事項、すなわち本質的には政治的な目的にたいして、右のようにして司法的外貌を冠せたものである、という感じを与えるかもしれないし、またそう解釈されても、それはきわめて当然である。儀式化された復讐のもたらすところのものは、たんに瞬時の満足にすぎないばかりでなく、窮極的には後悔をともなうことはほとんど必至である。しかし国際関係においては秩序と節度の再確立に実質的に寄与するものは、真の法律的手続による法の擁護以外にはありえないのである。」

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裁判所の基盤がまず崩された。
posted by Fukutake at 08:49| 日記

2018年10月09日

米国アジア政策の禍根

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その4)

アメリカの日本占領 494p〜

 「アメリカの日本占領そのことは最初の段階においてはだいたい成功したと見てよいであろう。しかし一つの誤算は日本の復活を恐れるあまり、韓国に日本を監視する探題の役を与え、そこに排日教育を奨励した点にある。アメリカは先にソ連との取引により、三十八度線以北をソ連にゆだね、その南に大韓民国をつくって排日色のもっとも鮮明な李承晩を送りこんで大統領にしたのである。個人でも民族でも、和解を勧めることはきわめて難事であるが、憎悪を教えるのはこれほど容易なことはない。アメリカの韓国指導はその点で大いに成功したかに見えた。ところがそこへ起こったのが朝鮮戦争である。この戦争は東アジアで大戦の災禍を少しも蒙らなかった唯一の地域を惨憺たる荒廃に陥れた。アメリカは日本基地から兵力を輸送することによって、かろうじて韓国の劣勢を挽回し、やがて北朝鮮を北部国境まで追いつめた。ここでアメリカははじめて従前の韓国指導の方法が誤りであったことを悟ったのである。やがて李承晩が学生運動の総攻撃をあびた時、アメリカはこれを助けようとせず、ハワイへ連れもどして隠居させたのであった。
 朝鮮戦争におけるこの最後の場面で、アメリカ軍が北朝鮮を席巻した時、中国の人民義勇軍が不意に鴨緑江を渡ってアメリカに攻撃を加えて敗退させた。米軍司令官マッカーサーは満州の中国基地に爆撃を行うことを唱えたが、米政府はさすがにこれを承諾せず、かえってマッカーサーを解任した。やはりアメリカには軍部に対する文民統制が行われていると、世界各国を安堵させ、たのもしく思わせたのであったが、この戦争の跡始末のためとはいえ、将軍アイゼンハワーが大統領に選ばれたのは、なにかしら不吉な印象を世界に与えた。事実それをなんとも感じないアメリカ人の感覚が、この前後から狂い出したと思われるのである。インドシナにおいて、従来アメリカが資金を貢いで援助していたフランス軍がみじめな敗北を蒙ると、今度はかわってアメリカが表面に出てきた。そして一九五四年のジュネーブ協定によって十七度線を境としてインドシナを南北に分断すると、サイゴン政権を守りたて南ベトナム共和国を成立させ、ハノイの北ベトナムに対抗させた。こうなると大統領がかわっても、アメリカ軍部が存続する限り、その威信にかけても南ベトナムを擁護しなければならなくなる。北から南の解放戦線に対する物資援助ルートを遮断することができなくなると、一九六四年八月、アメリカ軍艦がトンキン湾においてきたベトナムから魚雷攻撃を受けたという名目で、北ベトナム領内にたいする空爆が開始された。以後十年間、宣戦なき戦争が継続するが、これは主としてベトナム人民同士のいわれなき流血によって戦われたのであった。一九七三年になってパリ会議による停戦協定が結ばれたが、この間におけるアメリカ側の有形無形の損害もはかり知れないものがあった。…」

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アメリカの対アジア政策の誤りの禍根はあまりに大きい。
posted by Fukutake at 11:24| 日記

2018年10月05日

ナショナリズムとは

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その3)

同書 結語より 500p〜

 「…インドと日本の世界史上の位置ははなはだ似たようなものがある。日本は徳川幕府の創立(一六〇三年)から、インドはムガール帝国の成立(一五二六年)から、近世史に入ったとみるべきであるが、その絶対年代のはなはだ遅れたにもかかわらず、そこには近世的なものに伍して、濃厚な中世的色彩をもつ事象が根深くはびこっていた。しかもインドは喜望峯航路により、日本は太平洋航路の出現により、にわかにヨーロッパ勢力渡来の衝に当たったため、いち早く最近世文化の洗礼を受けなければならなかった。日本の明治維新(一八六八年)と、インドのイギリス領インド帝国成立(一八五八年)とがその外貌のはなはだ相違しているにもかかわらず、本質ではあい通づるものがあり、ともにそれぞれの最近世史の発端と見なすべきであろう。

 最近世史は、近世史を否定するアンチ・テーゼではなくて、近世史の継続であり、延長であった。近世史は中世的分裂を脱却して再統一に向かう任務を帯びたが、再統一にもっとも便利な道具として、ナショナリズムが取り上げられた。その結果、国民教育が普及し、分裂した個々の力が集積されて、偉大な業績をなしとげたのであるが、その半面にはまたナショナリズムによって無益な国民的対立が尖鋭化し、そのために精力を浪費しなければならない欠陥があった。最近世史の意義はあのフランス革命の標語に見るように、四海同胞主義に正しく現れているのであって、極端なナショナリズムはむしろ近世段階の残滓に過ぎないであろう。前後二回の世界大戦は、ナショナリズムの超克が世界人類にとってどんなに必要であるかをおしえた。元来ナショナリズムというものが、排他のために生まれたのではなく、再統一の方便としての意義しかもたないものであることを悟るならば、それは当然さらに新しい再統一に向かうためにみずからを制約することこそ、その本然の姿でなければならない。そして最近世史的発端は近世に始まった統一の機運を継続し完成することが、その究極の使命であることもまたおのずから了解されるであろう。」

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今後の世界を預言する思想。
posted by Fukutake at 12:05| 日記