「近江から日本史を読み直す」 今谷 明 講談社現代新書 2007年
白村江の戦いが残したものー大津京跡・石塔寺 p28〜
「天智天皇の遷都
百済と倭(日本)の連合軍が、唐・新羅連合軍の水軍に朝鮮半島西南部の白村江(はくすきのえ)で大敗したのは六六三年のことであった。 これにより、斉明女帝の崩後、事実上、政治をとっていた中大兄皇子(後の天智天皇)の治下、日本は一大対外危機に陥った。 唐と新羅の連合軍の来寇が予想されたからである。
客観的情勢からは、唐・新羅いずれも倭に侵攻する可能性は低かったものの、国内は”国難”の予感を脅かされ、朝野を挙げての国防体制が敷かれた。 こうして北部九州から瀬戸内海沿岸、畿内にかけて朝鮮式山城(いわゆる神籠石(こうごいし))が築かれ、河内の高安山から飛鳥まで、変報が瞬時に伝達する施設が造られた。
神籠石と呼ばれる切石の巨石を積んだ遺構は、福岡、佐賀など北部九州と中国、四国などで確認されている。 この神籠石については、歴史家の喜田貞吉は霊域をかたちづくったとする「霊域説」を唱え、以後、論争が起こった。 しかし近年白村江敗戦以後の防衛体制の研究が進み、発掘調査で対馬金田城(かなたのき)や太宰府の水城、讃岐の屋島城、高安城とつなぐ烽火情報線が確認され、朝鮮半島に残る古代山城との共通性からも、百済の技術者を使って設けた城塞施設であることが確定した。
このような防衛を施しても安心できない朝廷は六六七年、東国に近く、また同盟関係にあった高句麗との連絡にも便利な近江大津に都を遷し、翌年、中大兄皇子は即位した。 天智天皇である。 もっとも「天下の百姓(ひゃくせい)都遷すことを願わずして諷諫*する者多し」(「日本書紀」)と、遷都への抵抗も大きかった。
さいわいにして大陸との戦争は起こらず、天智天皇の治世は平和であった。 また天智の晩年には唐の使節も九州に往来して、日本来寇の恐れがなも判明した。 この時代には、日本最初の法令である「近江令」が編まれ、戸籍の「庚午年籍(こうごねんじゃく)」は編纂されるなど、中央集権国家への歩みを進めいていった。
そして、天智天皇崩御後に勃発した壬申の乱(六七二年)のあと、都は飛鳥に戻り、近江京は廃都となった。 これをきっかけに、大津京は「古」と呼ばれるようになり、荒廃にまかされたが、奈良朝末期に天智の孫・光仁天皇が即位し、その子・桓武天皇の代には「古津」を改て「大津」と改姓することが宣せられた。」
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大津京の雅称は、「さざ波」
2025年02月04日
打率一割
「純粋ツチヤ批判」 土屋賢二 講談社 2009年 読書で人生を三度誤ったー最後の一冊 死ぬ前に読みたい本
『マントヒヒの飼い方』 p73〜
「わたしの最後の一冊は、『マントヒヒの飼い方』だ。そんな本があるのかどうか知ら ないが、本心を言えばどんな本でもいい。本に特別な思い入れがないため、手にとって読む本が最後の本になる。何事もこれまでわたしの予想通りにことが進んだためし がないから、マントヒヒに興味を抱いても不思議ではない。 最後の一冊に愛読書を挙げる人もいるが、わたしはとくに愛読書はない。また、いつかは読もうと決めている本を最後の一冊に選ぶ人もいるだろう。わたしもいつかは 読もうと思って、ホメロスの作品や聖書や万葉集などの原典をもってはいるが、これま で暇ができても読んだためしがないのだから、このまま一行も読まないで終わるに違いない。そういう本よりも、『マントヒヒの飼い方』を読む可能性の方が高いと思う。 わたしは読書で人生を三度誤った。
1 大学生のころ、たまたま読んだミステリが面白かったため(面白いミステリに出会 うのは十冊に一冊程度だが、ビギナーズラックだった)。それ以後、毎晩二冊のペー スで読むほど夢中で読みあさり、一番大切な時期を棒に振った。とくに十冊のうちの 面白くない九冊を読んだのは完全に時間の浪費だった(しかも面白くない本にかぎっ て二度読んだりする)。この膨大な時間をなんでもいい、コンピュータの勉強にでも 使っていたら、今ごろは立派なコンピュータ技師になっていただろう。
2 三十年前、偶然『マイコンピュータ入門』を読んだためにコンピュータに興味を抱 いてしまった。オームの法則、キルヒホッフの法則から、トランジスタの原理、ICや LSI,CPUの構造まで勉強し、数種類のプログラミング言語をマスターし、プログラム や周辺機器を自作した、コンピュータ技師でもプログラマーでもないのに、数万時間を 費やし、現在もコンピュータに時間を浪費し続けている。この膨大な時間をすべて哲 学に費やしていたら、偉大な哲学者になっていただろう。
3 大学一年生の時、ハイデガーの『存在と時間』という哲学書を買ったら一行目から まったく理解できず、専門的に勉強して理解しようと哲学科に進んだ。もし『存在と時 間』を簡単に理解できていたら、そのまま法学部に進んで官僚になっていただろう。哲 学を専攻して以来、難解な哲学書と格闘して膨大な時間を浪費した。この時間をけん 玉の練習に使っていたら今ごろけん玉の埼玉南地区チャンピオンになっていただろ う。 たぶん素直すぎて本に影響されやすいのだ。これ以上、読書で人生を誤りたくはな い。『マントヒヒの飼い方』なら人生を誤ることはなさそうだが、人生は悪い方へ転がる ものだ。マントヒヒで余生を棒に振る恐れはある。だが考えてみれば、すでに読書で 何度も人生を誤っている上に、女で人生を棒に振っているのだ。こうなったら余生をマ ントヒヒで棒に振ってみたいものだ。」
(「文藝春愁」臨時増刊号 特別版’05・11)
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『マントヒヒの飼い方』 p73〜
「わたしの最後の一冊は、『マントヒヒの飼い方』だ。そんな本があるのかどうか知ら ないが、本心を言えばどんな本でもいい。本に特別な思い入れがないため、手にとって読む本が最後の本になる。何事もこれまでわたしの予想通りにことが進んだためし がないから、マントヒヒに興味を抱いても不思議ではない。 最後の一冊に愛読書を挙げる人もいるが、わたしはとくに愛読書はない。また、いつかは読もうと決めている本を最後の一冊に選ぶ人もいるだろう。わたしもいつかは 読もうと思って、ホメロスの作品や聖書や万葉集などの原典をもってはいるが、これま で暇ができても読んだためしがないのだから、このまま一行も読まないで終わるに違いない。そういう本よりも、『マントヒヒの飼い方』を読む可能性の方が高いと思う。 わたしは読書で人生を三度誤った。
1 大学生のころ、たまたま読んだミステリが面白かったため(面白いミステリに出会 うのは十冊に一冊程度だが、ビギナーズラックだった)。それ以後、毎晩二冊のペー スで読むほど夢中で読みあさり、一番大切な時期を棒に振った。とくに十冊のうちの 面白くない九冊を読んだのは完全に時間の浪費だった(しかも面白くない本にかぎっ て二度読んだりする)。この膨大な時間をなんでもいい、コンピュータの勉強にでも 使っていたら、今ごろは立派なコンピュータ技師になっていただろう。
2 三十年前、偶然『マイコンピュータ入門』を読んだためにコンピュータに興味を抱 いてしまった。オームの法則、キルヒホッフの法則から、トランジスタの原理、ICや LSI,CPUの構造まで勉強し、数種類のプログラミング言語をマスターし、プログラム や周辺機器を自作した、コンピュータ技師でもプログラマーでもないのに、数万時間を 費やし、現在もコンピュータに時間を浪費し続けている。この膨大な時間をすべて哲 学に費やしていたら、偉大な哲学者になっていただろう。
3 大学一年生の時、ハイデガーの『存在と時間』という哲学書を買ったら一行目から まったく理解できず、専門的に勉強して理解しようと哲学科に進んだ。もし『存在と時 間』を簡単に理解できていたら、そのまま法学部に進んで官僚になっていただろう。哲 学を専攻して以来、難解な哲学書と格闘して膨大な時間を浪費した。この時間をけん 玉の練習に使っていたら今ごろけん玉の埼玉南地区チャンピオンになっていただろ う。 たぶん素直すぎて本に影響されやすいのだ。これ以上、読書で人生を誤りたくはな い。『マントヒヒの飼い方』なら人生を誤ることはなさそうだが、人生は悪い方へ転がる ものだ。マントヒヒで余生を棒に振る恐れはある。だが考えてみれば、すでに読書で 何度も人生を誤っている上に、女で人生を棒に振っているのだ。こうなったら余生をマ ントヒヒで棒に振ってみたいものだ。」
(「文藝春愁」臨時増刊号 特別版’05・11)
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posted by Fukutake at 08:41| 日記
同じ誕生日?
「数の魔法使い」 ロブ・イースタウェイ他 王様文庫(三笠書房)
全員の誕生日がバラバラである確率 p114〜
「まず、子どもがふたりだけのクラスを考えてください。 かりに、ひとりの子どもの誕生日が六月十四日だとします。 もうひとりの子どもの誕生日が違っている確率はどうなりますか?
もうひとりの子の誕生日は六月十三日以外であればいいわけですから、今理の364日から選べます。 だから、ふたりの誕生日が違っている確率は364/365となります。
次に三人目の子どもを加えて、三人のクラスを考えてみます。 この子が前のふたりの違った誕生日になるには、前の二人が別々の誕生日でしたから、残る363日から選べばいいのです。 したがって、3人目の子どもの誕生日が違っている確率は363/365となります。
4人目についても同様です。 誕生日が違っている確率は362/365です。 これを繰り返して行けばいいのです。 子どもがひとり増えるたびに確率は少しずつ減っていきます。 23人目の子どもがほかの子どもと違っている確率は343/365になります。
このへんで中断して、23人の子どもが全部違った誕生日である確率を毛is何してみましょう。
23にん全員が違った誕生日である確率はー
364/365x 363/365x 362/365……=0.49
上の計算のように、23人のクラスで、子どもの誕生日がみごとバラバラ、1組も同じ誕生日が出ない確率は49%です。 だいたい半分の確率で起こりうることになります。
それでは、「だれも同じ誕生日でないこと(確率)」の反対、すなわち51%とはなんでしょうか、考えて見ることにしましょう。
そうです。 これこそが、「同じ誕生日の子どもが少なくともふたりはいること(確率)なのです。
「23人のクラスで少なくとも1組は誕生日の一致がある確率は51%なのです。
近所の学校へ自分で出かけていってみてください。」
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全員の誕生日がバラバラである確率 p114〜
「まず、子どもがふたりだけのクラスを考えてください。 かりに、ひとりの子どもの誕生日が六月十四日だとします。 もうひとりの子どもの誕生日が違っている確率はどうなりますか?
もうひとりの子の誕生日は六月十三日以外であればいいわけですから、今理の364日から選べます。 だから、ふたりの誕生日が違っている確率は364/365となります。
次に三人目の子どもを加えて、三人のクラスを考えてみます。 この子が前のふたりの違った誕生日になるには、前の二人が別々の誕生日でしたから、残る363日から選べばいいのです。 したがって、3人目の子どもの誕生日が違っている確率は363/365となります。
4人目についても同様です。 誕生日が違っている確率は362/365です。 これを繰り返して行けばいいのです。 子どもがひとり増えるたびに確率は少しずつ減っていきます。 23人目の子どもがほかの子どもと違っている確率は343/365になります。
このへんで中断して、23人の子どもが全部違った誕生日である確率を毛is何してみましょう。
23にん全員が違った誕生日である確率はー
364/365x 363/365x 362/365……=0.49
上の計算のように、23人のクラスで、子どもの誕生日がみごとバラバラ、1組も同じ誕生日が出ない確率は49%です。 だいたい半分の確率で起こりうることになります。
それでは、「だれも同じ誕生日でないこと(確率)」の反対、すなわち51%とはなんでしょうか、考えて見ることにしましょう。
そうです。 これこそが、「同じ誕生日の子どもが少なくともふたりはいること(確率)なのです。
「23人のクラスで少なくとも1組は誕生日の一致がある確率は51%なのです。
近所の学校へ自分で出かけていってみてください。」
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posted by Fukutake at 08:34| 日記