2020年01月24日

悪法は守らなくても良いか

「クリトン」 プラトン 久保 勉 訳 岩波文庫 1927年

 脱獄を勧めるクリトンにアテナイの国法を擬人化して、ソクラテスが語る。

p87〜
 「国法「だから、ソクラテスよ、お前の養育者なるわれわれの言に従うがいい。そうして子供をも、生命をも、その他のものをも、正義以外に重視するようなことはするな。お前が冥府(ハデス)に着いたとき、すべてこれらの事を挙げて、そこに支配している者の前に自ら弁明することが出来るように。なぜといえば、そんな行為をすることは、この世においてすら、お前自身のためにもお前に属する何人のためにも、正義に従う以上に福(さいわい)でもなく、人の義にも天の義にも適うまいし、またお前があの世に着いた後も、それはお前の福(さいわい)を増すことにはならないだろうから。しかし、お前がこの世を去るなら、今ならお前は不正を −−われわれ国法からというよりも、人間から −−加えられた者としてこの世を去るのだ。しかるにもしお前が脱獄して、無知千万にも、不正に不正を、禍害に禍害を報い、かくてわれわれに対するお前の合意と契約とを蹂躙して、また最も禍害を加えてはならない者 −−すなわちお前自身と友達と祖国とわれわれと −−にこれを加えるなら、その時、われわれはお前の存命中を通じてお前に怒りを抱くだろうし、またあの世ではわれわれの兄弟なる冥府(ハデス)の国法も、親切にお前を迎えてくれまい。なぜといえば、力の及ぶかぎりお前がわれわれを滅ぼそうとしたことを、彼らは知っているから。だからお前はその説を実行せしめんとするクリトンに説得されぬようにして、むしろわれわれに従うがいい。」

 ソクラテス「親愛なるクリトンよ、実際僕はこういう声が耳の中で囁くのを聴くような気がするのだ。ちょうどコリュバスらの騒ぎに酔わされた人々が、笛の音を聴くように思うのと同じように。そうしてこれらの言葉の反響が僕の内に残っていて、他の音を聴えなくする。だから、少くとも僕が今考えるところでは、たとい君がそれに対して抗弁しても、それは空言に帰するものと思ってくれたまえ。それでもなお、君に何か成し得るという望みがあるなら、いって見たまえ。」
 クリトン「いや、ソクラテス、僕はもう何もいうことはない。」
 ソクラテス「クリトン、じゃあよろしい。では僕達は僕がいったように行動しよう。神がそちらに導いて下さるのだから。」」

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ゴーン某と隔たることひさし

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posted by Fukutake at 10:38| 日記

2020年01月23日

失敗=コミュニケーション不足

「あなたはなぜチェックリストを使わないのか?」 
 アトゥール・ガワンデ 晋遊舎 2011年
(その2)

コミュニケーションの失敗

p81〜
 「設計と建築が困難な(高層)ビルを都会のど真ん中に建てる、というのはよく考えると恐ろしい話だ。だが、社会全体が専門家の複雑な問題に対処する能力を信用し、それを許可している。建築を任された専門家たちは個人の能力を過信せず、二種類のチェックリストを使う。単純な手順の間違いを防ぐチェックリストと、話し合いをさせることで予想外の困難も確実に全てを解決させるためのチェックリストだ。
 オサリバン氏によれば、「建築業界では、大抵の悲劇はコミュニケーションの失敗が原因だそうだ。
 実はシティグループ・センターでもコミュニケーションの失敗はあった。V字型の巨大な支柱は溶接される、という仮定で建物の完全性が計算されていた。だが、溶接結合は手間がかかって高価なので、担当のベツレヘム・スチールはボルト結合への切り替えを提案した。ボルトは溶接ほど強くないが、彼らの計算では強度は充分だった。しかし、なぜかその変更と計算がルメジャー氏に確認されなかった。重要なチェックポイントが飛ばされてしまったのだ。
 ビルの完成から一年後の一九七八年、プリンストン大学の学生に質問され、ルメジャー氏は変更に気づいた。計算してみると致命的な問題があることがわかった。これでは風速一一三キロの強風に耐えられない。過去の気象記録によれば、五五年に一度はニューヨーク市内でも風速が一一三キロを超える。そうなれば溶接部は壊れ、ビルは崩れ落ちるだろう。ルメジャー氏はオーナーと市職員にだけ、それを伝えた。既にビルには人が一杯入っていた。台風が接近してくる中、作業員たちは夜間に秘密裏に働き、厚さ五センチの鉄板を二〇〇ヶ所のボルト接合部に溶接した。ビルは無事補強され、このいきさつは後に『ニューヨーカー』誌の記事で暴露されるまで世間に知らされなかった。シティ・グループ。センターは今でも健在だ。」

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途中変更の怖さとそれが全員に伝わらない怖さ

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posted by Fukutake at 08:54| 日記

2020年01月22日

節制

「ソークラテースの思い出」 クセノフォーン  佐々木理 訳 岩波文庫

自制心
p45〜

 「(ソークラテースは)友人に対しても外来の人に対しても、またその他の生活態度においても、「力に応じて為すべし」こそ実に美わしい金言であると言った。もしまた何か神々よりお諭しがあったと感じたときには、そのお諭しにそむいて事を行うよりは、むしろ盲目で道を知らぬ者を、目が見えて道を知っている者の代わりに、道案内にせよと人に言われた方が、彼には従いやすかったであろう。そして人間の不評を買うまいとして、神々の諭しにそむいて事を行う世間の人々の愚を非難した。自らは、神々の与える忠告にくらべては、人間の言うことは一切問題にしなかったのである。
 生計については、何か人智以上のことが出て来ればいざ知らず、普通ならば、安んじて安泰の生活を送り、その費用につまることのないような、そうした生活をするように精神および肉体を訓練した。じっさい彼の生活は質素をきわめ、世の中にソークラテースの入り用を充たすだけ取れぬほど働くことの少ない人間があるかどうか、私は知らぬのである。彼は食も食欲が彼の調味料となる用意ができていた。酒は咽喉がかわかなければ飲まないために、彼にはいつも美酒であった。ごちそうに呼ばれて出席するときも、満腹以上につめこむのを控えるという、大抵の人には骨の折れることが、彼にはきわめて容易にできた。しかしこれのできない人々には、人が空腹でないのに食べることを強い、咽喉のかわいていないのに飲むことを強いる人々を、避けるように忠告した。それはこれが腹や魂を破壊するものだからと言った。そして冗談まじりに「私はキルケーが豚をこしらえたのも、こういうたくさんのご馳走を食べさせてこしらえたものだと思う。しかしオデュッセウスは、一つにはヘルメースの注意により、一つには自分の自制心で以って、満腹以上にこれらの物に手を出すことを控えたものだから、それで豚にならないですんだのだと思う」と言った。こんな風に、彼の冗談にはつねにこうした問題の真面目な教訓が含まれていたのである。」

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バイキングで食べすぎる小生は豚
 
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posted by Fukutake at 10:21| 日記