2019年10月15日

非行

「賢い利己主義のすすめ」−ポスト・モラリズム宣言− 頼藤和寛 1996年

グレる動機

p172〜
 「よく「後妻をもらったら子どもがグレだした」とか「夫婦仲が悪いので寂しかったのだろう」とか言われますが、あんなものは、取り調べ調書や社会面の記事みたいに無理矢理通俗的なストーリーに押し込んだ筋書きですわ。本人も、愚行や悪行を自分以外のせいにできる理屈なら、ほいほい同意するでしょうしね。冗談ではありません。寂しければ寂しがればいいだけであって、悪いことをしてよいということにはならないでしょう。現に、親が離婚しようが再婚しようが、グレない子はグレませんよ。
 家や学校が「面白くないからグレた」という筋書きも確かにあるんですが、家や学校以外が「面白いからグレた」というのも多いんです。まあたとえば、マジメな勉強やクラブ活動が「面白くない」、夜間徘徊や異性交遊や暴走行為は「面白い」、そんなことをしていると家庭や学校から責められるので、「面白くない」、そんなウサを晴らせるシンナーや繁華街は「面白い」、そうした逸楽を制限する金欠やルールや指導は「面白くない」、そこからはみだした同類のグループと話し込むほうが「面白い」……まあこのように、面白くないことから遁走し、面白いことへ流れていくのが非行グループなのでしょう。
 この意味では、まったく正常な動機による行動なんですけどね。精神障害のような謎や神秘性はありません。こちらが妙な思い入れをして過剰解釈さえしなければ、転落への筋道など明々白々なのです。
 適応児なら勉強、クラブなどで少々「面白くない」ことがあっても我慢しますし、そのうちに楽しみを発見できることさえあります。また、単に官能的に「面白い」からといって、禁じられていることを短絡的に実行したりしないということです。そして、はみだしていない適応的な仲間に溶けこんで楽しくやりますから、「面白くない」ことからリスクを覚悟で逃げ出す必要もない。そして結果として、世間も家庭も学校も彼らの味方のままなので安心しておれます。しかりしこうして、要領よく思春期を通過していきます。
 非行児は、このうちのどこかがズレるわけで、そのあとのプロセスには複雑高尚なメカニズムなんてないのじゃないんですか。」


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非行の基本原理
posted by Fukutake at 13:52| 日記

2019年10月11日

見えても分からない

「三人寄れば虫の知恵」 養老孟司 奥本大三郎 池田清彦 
 洋泉社 1996年
(その2)

虫の木の読み方
p107〜
 「養老 僕は虫を採っていておもしろいと思うのは、同じ葉を食っている虫だけど、いる草といない草があるってことですよね。いる場所といない場所がある。あれがなんだかわかんないね。
 奥本 この立派に育った榎になぜ一匹もいないんだ?ということがありますね。不思議ですね。
 池田 きっと虫と僕らでは見ているところがぜんぜん違うんだと思うんですね。
 奥本 ベニシジミはギシギシの葉を食うんだけど、きれいで立派なギシギシの葉にはいない。
 池田 僕の家ではチョウを寄せようと思って、庭にミカンとかいろいろ植えているんです。でも立派なミカンには来なくて、小さな実生に卵を産みに来て、かえった幼虫がそれを全部食ってしまって、どこへ行っていいかわかんなくて、ウロウロしてたりする。どこを見ているんだ、と思うんだけど(笑)。
 奥本 同じ木でもあっちを食ったり、こっちを食ったりする。植物も防衛物質を出して虫にとってまずかったりするんでしょうけどね。
 池田 親が卵を産みつけるときに、なぜわざわざこんな小さな木に産みつけるんだろう?と思いますよね。ほんとに貧弱な榎の下に、いっぱいゴマダラチョウだとか、オオムラサキがいて、別の立派な榎には一匹もいなかったりします。不思議です。それから木の花に集まるカミキリムシは、同じ花があちこちに咲いているのに毎年、集まる木が同じですね。
 養老 それを知っている虫屋が、そういう木に弁当を持って登ったきり降りてこない(笑)。蝶道なんていうのもそれなのかな。虫フェロモンを使うとき、そんな少量を1キロ四方に広げたら分子一個以下になるから、なぜそんなものが有効かわからないとファーブルはいっているんだけど、たぶん見落としてることがあるんです。非常に細かいローカルな変化があって、それを彼らは検知しているんだけど、われわれは大雑把に見て全部同じだと思っている。榎というと、植物の種類としてしか見ていないんですね。
 奥本 そうなんだよね。エスキモーに氷とか雪とかっていう言葉が十六あるとかいうけど、それと同じで虫は非常にたくさんの言葉を持っている。
 われわれ虫屋はそれでも細かく見ているほうだと思うけど、行政が「自然ふれあいの森」とかいうのを造ってくれるときは、だいたいそういうことをまったく無視している。いい木を全部伐って更地にして、外国産の、虫が来るはずのない木を植えなおしたりして。
 池田 造園業の感覚ですから、見てくれは確かにきれいですけどね。------

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見て見えていない。

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posted by Fukutake at 09:09| 日記

2019年10月10日

過去があるから今がある

「三人寄れば虫の知恵」 養老孟司 奥本大三郎 池田清彦 
 洋泉社 1996年
(その1)

p40〜
 「… ただいま現在で体の状態を測り、検査結果として出す。ただいま現在の状況が読めれば、あとは全部読めるはずだという前提でやっていくから、そういう連中に進化の講義をしても、大学院のいちばん成績優秀なのがなんと言うかというと、「先生、そんな済んじゃったこと調べて何になるんですか?」(笑い)
 現在の段階のデータをピシッとあてはめれば、次の段階は予想できるという。そこには歴史性というのはゼロになってしまうんですよ。すべてが現在化する。それが現代社会です。そうなると、医者は、既往歴を聞かなくなるんです。過去に何があってこうなったにせよ、現在の状態がこうなんだから、それをどうすればいいか、という考えになる。現在人の考えは全部そうなってくるんです。
 …
 僕らが学生のころまでは、歴史的な存在としての人間を把握するという意味があった。今の医者は、歴史的な存在として人間を把握しようとしない。なぜかというと、保険制度がそういうふうにできているからなんです。この病気に対しては、こういう治療をしなさいということが決まっていますから、違うことをやっていたら金をもらえない。… 僕は、根本は考え方だと思う。人間というものを歴史的な存在として認めないという前提の上に成り立つから、初めて横一列の普遍性が成り立つ。その考え方にあまりにも馴らされていて、すべてについてそう考えるようになっているのが現代人です。だから、歴史性を持った部分が出てくるとお手上げになってしまう。今それが顕著に現れているのは末期医療です。末期医療が一律に行くわけがないんですよ。一生の抱え方や何歳で死ぬかはそれぞれ違うんだから、「もう三ヶ月で死にます」という時に、それを一律にどう生きて行くかとか、決められるわけがない。一般論はいっさい成り立たない。
 そろそろそういう考え方を変えなくてはいけない。あまりにもすべてのデータを「現在」で切って集めている。景気の予測だとかを。その方法でやってもうまくいかないのは、社会というものがすべて歴史性を持っているからでしょう?」

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過去を顧みず現在だけでとらえる現代社会
posted by Fukutake at 10:17| 日記