2018年10月22日

張作霖爆殺事件

「共同研究 パル判決書(上)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その4)
全面的共同謀議
−−張作霖爆殺事件について

701p〜
 「検察側がわれわれにいうところによれば、張作霖の殺害は、関東軍が田中(義一)の協力政策に不満を抱き、満州を占領するために兵力を使用することを欲したために、計画されたものであるというのである。
 しかしこの殺人を基礎として、何事にせよ、それをなそうとする企画あるいは計画の存在については、その成功不成功のいかんを問わず、それを立証するためにわれわれのまえに提示することのできる証拠は全然なかったのである。張作霖は死亡し、その死にともなう当然の成り行きとしてその子が後を継いだ。それ以外になんらかの企図、計画あるいは試みがあったことを示すものは、まったくない。また「陸軍」あるいは策謀者らが、張作霖の後継者をかれらの目的達成のために、より好ましい人物とみなしていたことを示すなにものもないのである。この証拠が示す限りでは、訴追されている満州占領を目標として、何事もせず、またその発生は予期されず、企図されなかったのである。
 この事件は、またいわゆる「政府の政策」決定に乗り出したと主張されていることとも(まえの件と)同様に関連がない。田中内閣は崩潰し、浜口内閣が代わって出現した。右の殺害事件は、内閣の崩潰ならびにその次の内閣の登場に間接的に貢献したかもしれない。しかしこれに関する企図、計画、あるいは試み…その成功、不成功のいかんを問わず…を示すなにものも、われわれに提供されていない。張作霖の殺害が、田中内閣の崩壊をもたらすために計画されたものだと、提言するのはばかげたことである。ある一人物もしくは一団の人物を後継内閣に入閣させる計画企図もしくは試みがあったことを示すものは全然ないのである。究極的にはかれらの目的は阻止されたのであるが、それにしても、浜口内閣あるいは出現が確実または有望と見られる他の後継内閣が、かれらのいわゆる予定の計画にとって好都合である策謀者らが期待していたこと、あるいはもくろんでいたことを示すものは全然ない。「田中内閣は陸軍の軍紀を維持するために強硬な懲戒処分を行うことを欲していたので、辞職のやむなきにいたった」という検察側の主張も、この問題に関してなんらのわれわれを裨益するものではない。
 かようにして、訴追された共同謀議の枝節であると称せられるもののいずれとも連繋のない事件は、本件の目的とはなんらの関連がなく、本件でそれが提出されたのは無謀でまた卑怯であるが、まったく関連性のない一事件を、この長い物語にたんに一つ追加することによって、弁護側に不利な偏見を作り出そうというもくろみから出たものに過ぎない。」


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張作霖の死によって利益を得たのは?
posted by Fukutake at 12:45| 日記

2018年10月18日

勝者の復讐

「共同研究 パル判決書(上)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その3)

予備的法律問題 384p〜

 「現被告(極東軍事裁判所での日本人被告)のような地位にある者が、本件において訴追されているような行為にたいして、責任を追うべきものとして決定されないならば、パリ条約はなんの役にも立たない、ということがいわれている。はたしてそうであるかどうか、本官は、疑いをもっている。もちろん結局において、法はそれを具体的な事態に適用する機関が法とはこんなものであると、決定するところの法にしかならない。しかし、法の適用を求められた機関は、たとえ魅力にみちた重大意義を有する国際法の概念−すなわち「平和にたいする罪についての法の概念」−の発展に貢献すべき絶好の機会を逸する危険をあえて冒すとしても、無理に法を、本来の法とは違ったものにするようなことはしてはいけないのである。
 法の支配下にある一個の国際団体の形成、あるいは正確にいえば、国籍や人種の別の存在する余地のない、法の支配下にる世界共同社会の形成を、世界が必要としてることを本官は疑わない。このような機構の中においては、本件で訴追されているような行為を処罰することは、全体としての共同社会の利益及びその構成員の間に必要である安定かつ有効な法律関係を促進するのに貢献するところが確かに大きいであろう。しかしそのような共同社会が生まれるまでは右の処罰はなんらの役にたたないのである。特定の行為にともなう処罰にたいする恐怖心をが、法のあることによって生ずるのではなくて、たんに敗戦という事実にもとづいて存するにすぎない場合には、戦争の準備がすでに行われているときすでに存在している敗戦の危険は法の存在のゆえになんら増大するとは考えられない。すでにより大きな恐怖、すなわち戦勝国の勢力、威力、というものが存する。法を犯す者がまず効果的に法を犯すことに成功し、そしてのち威力あるいは勢力によって、圧服されるのではないかぎり法は機能を果たさないものであるとしたら、本官は法の存在すべき必要を見出しえない。もしも(いま)適用されつつあるものが真に法であるならば、戦勝諸国の国民でああっても、かような裁判に付されるべきであると思う。もしそれが法であったとするならば、戦勝国はいずれもなんらこの法を犯すことがなかった、かつかような人間の行為について彼らを詰問することを、だれも考え付かないほど、世界が堕落していると信ずることは、本官の拒否するところである。」

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勝者による敗者に向けられた審判であることの不条理性。

posted by Fukutake at 12:19| 日記

2018年10月15日

侵略戦争とは

「共同研究 パル判決書(上)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その2)

侵略戦争−犯罪であるか?

303p〜
 「本官(パル判事)は以上の問題の最初のものをまず取上げてみよう。便宜上、問題は四つの特定時期について考慮することができよう。

一、 一九一四年の第一次世界大戦までの期間。
二、 第一次世界大戦よりパリ条約調印日(一九二八年八月二七日)までの期間
三、 パリ条約調印日より本審理の対象たる世界大戦開始までの期間。
四、 第二次世界大戦以降の期間。

 右に挙げた四期間中の最初の第一期に関する限り。どんな戦争も国際生活における犯罪とはならなかったということについては、一般に意見が一致しているように見受けられる。ただし「正当な」戦争と「不正な」戦争との間に画然たる区別が存することはつねに認められてきたところであると、主張する人が時にはあった。国際法学者や哲学者の論説には、時としてかような区別をつける表現が用いられたかもしれない。しかし国際生活それ自体が、この区別を認知したことはいまだかつてなかったのであり、またかような区別が具体的結果を生ずることもかつて許されなかったのである。いずれにせよ、「不当な」戦争は国際法上の「犯罪」であるとはされなかったのである。実際において、西洋諸国が今日東半球の諸領土において所有している権益は、すべて右の期間中に主として武力をもってする、暴力行為によって獲得されたものであり、これらの諸戦争のうち、「正当な戦争」とみなされるべき判断の標準に合致するものはおそらく一つもないであろう。」

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パル判事の祖国(インド)もイギリスにより侵略されていた。
posted by Fukutake at 09:17| 日記