2018年08月20日

近代日本の功罪

「自跋集 – 東洋史学70年− 宮崎 市定 著 岩波書店 1996年
(その1)

アジア史  p300〜

 「私の著書(「アジア史概説」)が世間に抵抗なく受け入れられたことは、それが世間の要求に応じた点があったのを物語ると言ってよい。…(また)日本国の実力が向上し、広くアジア各地域との関係が親密になってくると、欧州中心の編集方針では日本人にとって次第に不満を感ぜられるようになってきたのである。これは実際にアジア各地を商用、或いは遊覧の為に旅行して帰った人から実際に聞かされた賛辞である。
 次には大戦によるアジア地図の全面的な書き換えがある。大戦前のアジアは殆どが総ての地域が欧米の植民地乃至は半植民地であった。それが大戦により、一夜にして各地の住民が争って独立を恢復し、夫々の独立国を造り上げた。新しい国名、国境は年鑑類を披げれば一目で分かるが、さてそれ以前の状態、変遷の経過等はやはり歴史書を待たなければならない。『アジア史概説』はある程度までこの需要に応えることができるであろう。
 それにしてもこの大変革の原動力は、突きつめれば日本にあり、この点で日本は実に偉大な事業を成し遂げたものである。近代文明の実力を以って構築された堅固な植民帝国が一夜にして跡かたなく消え去ったのである。世には今世紀の最大の変革として、ロシア共産革命を挙げる人があるが、今日になっては一部の頑迷な共産主義者を除き、こんな評価は最早や通用しない。一方日本はこのような大事業を完成しながら、戦後日本軍部の復活を懸念してか、適当な評価を下されていない。併し既に終戦直後のような心配が払拭された今日、歴史事実に基づいて正当な判断を下すべき時期が来たのではあるまいか。

 この大戦そのものについてのみならず、明治以降のいわゆる日本の軍閥の功罪についても、従来は必ずしも正しく清算されたとは言い難い。最近になって顕著になったNIES現象についても、世間通用の安易な説明とは異なった解釈が下せるのではあるまいか。朝鮮半島の運命について、日本を罪する議論ばかり目につくが、当時の世界実情に照して、列強の侵略意力の前に、力の空白は許されない。朝鮮が独立を失ったのは失った方にも責任があるのではないか。何故に日本のように新文明を吸収して自強の途を探さなかったか。実は、日本がそれを熱望したにも拘らず、朝鮮がそれに応ぜず、ひたすら清国に追随する旧路線に執着したのである。」

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鉄論ここにあり。
posted by Fukutake at 11:18| 日記

2018年08月16日

国債は国民の借金?(その2)

景気と経済政策」(その2)
  小野善郎 岩波新書 1998年

政府の借金と国の借金の混同


86P〜
 「国債が外国に流れた場合
 国債の元利支払い自体は、国内で納税者から国債保有者への支払いとなり、日本という国全体から見れば、右から左にお金が回っているに過ぎない。それでは、国債を持っている人が外国人であり、そのため国債の元利が外国に支払われる場合には、日本の負担になるように思える。私自身、大蔵官僚や自治官僚の知人から、そうはいっても日本の国債は外国人も買うのだから、やはり彼らに支払うことになって日本の負担になる、といわれたことがある。実は、この場合でも、日本の負担にはならないのである。
 外国人が国債を購入するときには、その国債が新規発行分であれ、いったん日本人に買われた後に外国に売られたものであれ、それを外国人がただで持ち去るわけではない。必ず、それと等価値の外国資産を、日本政府あるいは日本の旧国債保持者に支払って購入するため、国内にその分の外国資産が残るのである。したがって、国債の元利を外国に支払うとともに、それと同価値の外国資産の元利が外国から支払われ、差し引きすれば外国にまったく支払わないのと同じになる。結局、外国人が国債を買っても、日本の負担にはならないのである。
 たとえば、アメリカ人が日本の国債を購入するとしよう。そのとき、アメリカ人はまずドルを売って日本人から円を購入し、その円を日本人に払って日本の国債を購入する。その結果、円はもと通り日本にもどり、アメリカ人の手元には日本の国債が、また日本人の手元にはドルが残る。日本人はドルの現金を保有していても仕方がないから、そのドルを支払ってアメリカ企業の株式か財務省証券を購入する。結局、アメリカ人の手には日本の国債が、日本人の手にはアメリカの株式か財務省証券が残り、将来は国債の利子が日本からアメリカにわたるとともに、アメリカから日本に株式の配当か財務省証券の利子が支払われる。こうして、両国の利子支払い相殺されてしまうのである。」

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なるほど!


posted by Fukutake at 09:33| 日記

2018年08月10日

国債は国民の借金?

「景気と経済政策」(その1)
  小野善郎 岩波新書 1998年

政府の借金と国の借金の混同

84p〜

 「まず、国債の発行を続ければ国を借金漬けにするため、経済が立ち行かなくなるという意味について考えよう。実はこの主張には、政府の赤字と国全体の赤字との、重大な混同がある。ここでいう「国」とは政府部門なのであって、日本という国全体の話ではない。国という言葉は「国全体」という意味とともに「政府」という意味にも使われるために、このような混同が起こっているのである。
 国債発行によって財政赤字が累積するということは、政府部門の民間に対する負債がたまっていることを意味する。他方、民間の資産は土地や株式などの他の資産と国債との合計であるから、国債発行による政府部門の負債の増大があれば、それと同時に民間部門では、ちょうどそれと同額の国債という資産蓄積が起こっている。ところで、国全体の資産とは、民間資産と政府資産・負債との合計である。したがって、国債額いくらたまっても、またいくら減っても、負債と資産がちょうど相殺されて、国全体の資産には何の変わりもないのである。このようなことをいうとき、政府・大蔵省は民間のことをすっかり忘れ、自分こそ「国」そのものだと勘違いし、自分の借金がそのまま国全体の借金だと思い込んでしまっているのであろうか。

 それでは、本当の意味での国の借金とは何であろうか。それは外国への借金、すなわち対外債務のことである。対外債務が膨れ上がれば、その元金と利子の支払いによって、資産が日本から外国へ流れる。そのため、極端に対外債務が増大して、その利子が日本全体の総生産を上回るようにでもなれば、日本人は作ったものをすべてを外国への利子支払いに使わなければならず、何も食べることができなくなり、確かに国の経済が立ち行かなくなってしまう。ところが現実の日本は「対外債務」どころか「対外資産」を世界一ため込んでおり、国が借金で倒れるということは考えられない状況にある。ため過ぎて、アメリカから文句を言われているくらいなのである。(次回に続く)

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posted by Fukutake at 11:23| 日記