「「行動経済学」人生相談室」 ダン・アリエリー ハヤカワ ノンフィクション文庫 2018年
専門家のくせに説明が意味不明 p52〜
「(質問)
親愛なるダンへ
この間ある有名な学者の講義を聞いたんですが、彼が専門分野のごく基本的な概念さえうまく伝えられないことに驚き、不思議に思いました。 あんなに高名な専門家が、あそこまで下手な説明しかできなくていいんですか? それが学者の条件とでもいうんでしょうか? レイチェルより
私(ダン)がときどき授業でやるゲームを紹介しよう。 数人の学生に何か曲を思い浮かべてもらい、何の曲を選んだかはいわずにそのリズムを机を叩いてもらう。 次に、自分がリズムを叩いた曲名を正しく当てられる人が教室に何人にるかを予想してもらう。 たいてい、半数ぐらいは当たるだろうと予想するね。 それからリズムを聞いた学生たちに曲名を当ててもらうが、正しく当てられる人はほとんどいないんだ。
つまり、私たちは何か(選んだ曲など)をよく知っていると、その知識をもたない状態を想像しにくくなる。 これを「知識の呪縛」という。 この傾向は誰にでもあるが、学者はとくにひどい。 なぜだろう? 学者は同じテーマを何年もかけて細部にわたって研究するから、世界的な専門家になるころには、その分野全体が単純で直感的に理解しやすくなったように感じるんだね。 こうして知識の呪縛にとらわれると、そのテーマは誰にとっても単純で理解しやすいと思いこんでしまう。
というわけで君が目の当たりにした現象は、たしかに専門家の必要条件なんかもしれないよ。」
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2023年10月02日
自分が知っていること
posted by Fukutake at 05:37| 日記
文明と素朴主義
「宮崎市定全集 2 東洋史」 岩波書店 1992年
素朴主義と科学精神 p124〜
「東洋は古代より西アジアの世界より科学知識を吸収した。 漢代然り、唐代然り。 宋代においては単に陸上西域を通じてのみならず、海上南海方面よりする交通によりても西方の影響が著しかった。 蒙古帝国の成立するや、東西交通の頻繁さは益々この傾向を助長せしめた。 然るに、この頃に至って科学文明の中心は、西アジアより欧州に移転した。 蒙古人が西アジアにおいてサラセン帝国を破壊するや、スペインに残れるイスラム王国が西方唯一の科学文明の中心地として残った。 そしてこのスペインのイスラム王国は間もなく北方より南下せる野蛮なるキリスト教国の顚覆するところとなった。 西欧の素朴民族はイスラム文明社会の遺産たる科学文明を蔑視することなく、正確にこれを評価して自己の社会に移植し、成長せしめた。 世界の歴史はここにおいて一新紀元を画する。 イスラム文明社会にてようやく行き詰まれる科学文明は、未開の処女地に移植さるるや、その素朴民族のエネルギーに培養されて、飛躍的な発展を遂げた。 科学の発達によって彼等の物質生活は駸々乎として向上の一途を辿った。 そして表面上、従来の文明主義の社会と少しも異ならざる形相を呈するに至ったが、吾人は彼等の文明社会の裏には従来の素朴主義があまり銷磨せらるることなく、なお活発なる呼吸を続けていることを知らねばならない。
欧州の社会が表面に文明主義にして裏面に素朴主義を蔵する原因は二方面より考察できる。 一はその社会が未だ年代的に若きことである。 東洋における中国、インド、ペルシャ、西洋におけるエジプト、ギリシャはその社会が幾多の変遷を辿りつつも、結局、幾千年の文明主義の生活を来ったあげく疲労せるものだ。 西欧の社会はゲルマン民族の移動後、素朴主義の割拠することろとなってより以来、十字軍の影響にて多少西アジアの文明に接したるも、文明生活が一般に風靡したるは文芸復興以後に属する。 その開始さられたるは西暦十三世紀、東洋にていえば宋の末、蒙古勃興の前後からであり、中原人がすでに文明生活を満喫し、食傷すら起こしかけていた時期に相当する。 それ以後の年代は、もし現今までも数うるもいまだ六、七世紀に過ぎず、他の先進文明諸国に比べても比較にからぬほど、年齢が若いのである。
第二は欧州の文明が常に科学を枢軸として発展し来りたることである。 従来の文明社会においても、時に科学は燦然たる光を放った。 しかも科学の進歩はやがて停滞し、停滞すると堕落した。 天文学の知識が発達すれば、堕落して占星術となり、化学の知識が進歩すれば、やがて畸形化して錬金術となった。 その結果文明進歩すれば益々迷信盛んとなり、迷信の害は科学の益を相殺するに至った。 世人は時に誤解して迷信を野蛮原始社会の特産物なるかごとく思惟せんも、事実は反対であって、文明の古き社会ほど、積もりたる迷信が多きものだ。 その迷信が頑強なる因習の枷となって社会の正しき進歩を妨害するものである。 余がいう迷信とは七曜の吉凶ばかりではない。 凡そ何等の根柢なくして恰も真理のごとき皮を被りて通用するもの、みな迷信である。 然るに近世欧州における科学の年一年の進歩は、それが科学自身に対する世人の信頼を高むると共に、世人の社会事象に対する認識を正確ならしめた。 ここに自然科学に対して文化科学なる新科学の成立も可能となった。
科学こそは文明生活と素朴主義とを併立調和せしむる紐帯であったのである。」
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素朴主義と科学精神 p124〜
「東洋は古代より西アジアの世界より科学知識を吸収した。 漢代然り、唐代然り。 宋代においては単に陸上西域を通じてのみならず、海上南海方面よりする交通によりても西方の影響が著しかった。 蒙古帝国の成立するや、東西交通の頻繁さは益々この傾向を助長せしめた。 然るに、この頃に至って科学文明の中心は、西アジアより欧州に移転した。 蒙古人が西アジアにおいてサラセン帝国を破壊するや、スペインに残れるイスラム王国が西方唯一の科学文明の中心地として残った。 そしてこのスペインのイスラム王国は間もなく北方より南下せる野蛮なるキリスト教国の顚覆するところとなった。 西欧の素朴民族はイスラム文明社会の遺産たる科学文明を蔑視することなく、正確にこれを評価して自己の社会に移植し、成長せしめた。 世界の歴史はここにおいて一新紀元を画する。 イスラム文明社会にてようやく行き詰まれる科学文明は、未開の処女地に移植さるるや、その素朴民族のエネルギーに培養されて、飛躍的な発展を遂げた。 科学の発達によって彼等の物質生活は駸々乎として向上の一途を辿った。 そして表面上、従来の文明主義の社会と少しも異ならざる形相を呈するに至ったが、吾人は彼等の文明社会の裏には従来の素朴主義があまり銷磨せらるることなく、なお活発なる呼吸を続けていることを知らねばならない。
欧州の社会が表面に文明主義にして裏面に素朴主義を蔵する原因は二方面より考察できる。 一はその社会が未だ年代的に若きことである。 東洋における中国、インド、ペルシャ、西洋におけるエジプト、ギリシャはその社会が幾多の変遷を辿りつつも、結局、幾千年の文明主義の生活を来ったあげく疲労せるものだ。 西欧の社会はゲルマン民族の移動後、素朴主義の割拠することろとなってより以来、十字軍の影響にて多少西アジアの文明に接したるも、文明生活が一般に風靡したるは文芸復興以後に属する。 その開始さられたるは西暦十三世紀、東洋にていえば宋の末、蒙古勃興の前後からであり、中原人がすでに文明生活を満喫し、食傷すら起こしかけていた時期に相当する。 それ以後の年代は、もし現今までも数うるもいまだ六、七世紀に過ぎず、他の先進文明諸国に比べても比較にからぬほど、年齢が若いのである。
第二は欧州の文明が常に科学を枢軸として発展し来りたることである。 従来の文明社会においても、時に科学は燦然たる光を放った。 しかも科学の進歩はやがて停滞し、停滞すると堕落した。 天文学の知識が発達すれば、堕落して占星術となり、化学の知識が進歩すれば、やがて畸形化して錬金術となった。 その結果文明進歩すれば益々迷信盛んとなり、迷信の害は科学の益を相殺するに至った。 世人は時に誤解して迷信を野蛮原始社会の特産物なるかごとく思惟せんも、事実は反対であって、文明の古き社会ほど、積もりたる迷信が多きものだ。 その迷信が頑強なる因習の枷となって社会の正しき進歩を妨害するものである。 余がいう迷信とは七曜の吉凶ばかりではない。 凡そ何等の根柢なくして恰も真理のごとき皮を被りて通用するもの、みな迷信である。 然るに近世欧州における科学の年一年の進歩は、それが科学自身に対する世人の信頼を高むると共に、世人の社会事象に対する認識を正確ならしめた。 ここに自然科学に対して文化科学なる新科学の成立も可能となった。
科学こそは文明生活と素朴主義とを併立調和せしむる紐帯であったのである。」
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posted by Fukutake at 05:33| 日記
2023年10月01日
戦争=相互無理解
「我々はどこから来て、今どこにいるのか?(上)」ーアングロサクソンがなぜ覇権を握ったかー エマニュエル・トッド 文藝春秋 2022年
人口減少 p14〜
「ドイツ、日本、ロシア、中国といった父系社会は、人口増減率がマイナスかゼロである一方、イギリス、米国、フランスといった双系的で核家族で女性のステータスが比較的高い社会は、プラスですが、増加率は小幅にとどまっています。 人口増加が見込まれる米国にしても、現在の出生率は一.六人程度で、人口増加に勢いがあるわけではありません。 ただ、その代わり米国には大量の移民が流入していて、人口維持に貢献しています。
今次の戦争では、市民が殺され、街が破壊され、凄惨な事態となっていますが、ただ投入された兵士の規模だけで見れば、「とても小さな戦争」といえます。 ロシアは当初、約二〇万人の兵士を配置していましたが、戦場の広さに比してあまりに少ない。 二〇二二年九月にロシアは、予備役兵を対象に「部分的な動員」をかけましたが、兵士の確保に苦労しているようです。
しかし、世界的に人口動態が衰退の局面にある今日、これがいたってノーマルな現象です。 その国も兵士の大量投入は不可能なのです。 したがって、戦局はゆっくり推移することになり、戦争が長期化することが予想されます。
その反面、この戦争は経済面では、「暴力的で激しい戦い」の様相を呈しています。 敵対する陣営が経済的に相互依存しているなかで互いに制裁を課しているからです。
歴史学者のニコラス・マルダーに『経済制裁という武器』という本があります。 それによると、今日の「経済制裁」の起源は第一次対戦中の英仏による「対独兵糧攻め」、すなわち徹底的な経済封鎖にあります。 こうした戦時の手段がその後、国際連盟で採用され、平時においても「平和維持」の名のもとに使われるようになったのです。
「経済制裁」は元来、相手国の全面的な破壊を目論む「総力戦・殲滅戦」の発想から生まれたものです。 一見、「戦争」を回避するための「平和的手段」に見えても、その究極の目的は「相手国の破壊」にある、かなり暴力的な手段なのです。 現在、西洋諸国がロシアに課している経済制裁は、長期化するほど、双方にダメージを与えるでしょう。 しかし、これはロシア経済よりも、「消費」に特化した西側経済の脆さの方が今後露呈してくると私は見ています。
西側とロシア(中国)との対立は、無意識次元の人類学的な対立です。 しかし、そのことを戦争の当事者がまったく意識できていないのです。 二つのシステムの間に完璧なほどの「相互無理解」があります。 ここにこそ、この戦争の最大のパラドックスがあり、それゆえに、この戦争を終わらせるのは容易ではなく、より激しいものになる可能性があります。」
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人口減少 p14〜
「ドイツ、日本、ロシア、中国といった父系社会は、人口増減率がマイナスかゼロである一方、イギリス、米国、フランスといった双系的で核家族で女性のステータスが比較的高い社会は、プラスですが、増加率は小幅にとどまっています。 人口増加が見込まれる米国にしても、現在の出生率は一.六人程度で、人口増加に勢いがあるわけではありません。 ただ、その代わり米国には大量の移民が流入していて、人口維持に貢献しています。
今次の戦争では、市民が殺され、街が破壊され、凄惨な事態となっていますが、ただ投入された兵士の規模だけで見れば、「とても小さな戦争」といえます。 ロシアは当初、約二〇万人の兵士を配置していましたが、戦場の広さに比してあまりに少ない。 二〇二二年九月にロシアは、予備役兵を対象に「部分的な動員」をかけましたが、兵士の確保に苦労しているようです。
しかし、世界的に人口動態が衰退の局面にある今日、これがいたってノーマルな現象です。 その国も兵士の大量投入は不可能なのです。 したがって、戦局はゆっくり推移することになり、戦争が長期化することが予想されます。
その反面、この戦争は経済面では、「暴力的で激しい戦い」の様相を呈しています。 敵対する陣営が経済的に相互依存しているなかで互いに制裁を課しているからです。
歴史学者のニコラス・マルダーに『経済制裁という武器』という本があります。 それによると、今日の「経済制裁」の起源は第一次対戦中の英仏による「対独兵糧攻め」、すなわち徹底的な経済封鎖にあります。 こうした戦時の手段がその後、国際連盟で採用され、平時においても「平和維持」の名のもとに使われるようになったのです。
「経済制裁」は元来、相手国の全面的な破壊を目論む「総力戦・殲滅戦」の発想から生まれたものです。 一見、「戦争」を回避するための「平和的手段」に見えても、その究極の目的は「相手国の破壊」にある、かなり暴力的な手段なのです。 現在、西洋諸国がロシアに課している経済制裁は、長期化するほど、双方にダメージを与えるでしょう。 しかし、これはロシア経済よりも、「消費」に特化した西側経済の脆さの方が今後露呈してくると私は見ています。
西側とロシア(中国)との対立は、無意識次元の人類学的な対立です。 しかし、そのことを戦争の当事者がまったく意識できていないのです。 二つのシステムの間に完璧なほどの「相互無理解」があります。 ここにこそ、この戦争の最大のパラドックスがあり、それゆえに、この戦争を終わらせるのは容易ではなく、より激しいものになる可能性があります。」
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posted by Fukutake at 08:25| 日記