2023年06月06日

太古から響く太鼓と虫の音

「新編 日本の面影」 ラフカディオ・ハーン 池田雅之=訳 角川ソフィア文庫 平成十二年

盆踊り p67〜

 「突然、太くて低い、ゴーンという轟が境内に響き渡った。 どこかの寺の鐘が、朗々と夜の十二時を告げたのだ。 すると、その音で、はっと夢から目覚めたかのように、魔法が解けたのである。 歌声が止み、踊りの輪が崩れ、うれしそうな笑い声や、お喋りの声が聞こえてくるようになった。 花の名前と同じ少女たちの名前を、やさしく母音のひびきを響かせながら呼ぶ声や、「さようなら」という別の挨拶が、飛び交っている。 踊り子たちも、見物人も、下駄をコロコロと大きく打ち鳴らしながら家路につく。

 私も、大勢の人の波にもまれながら、突然、眠りから揺り起こされたような戸惑いを感じて、どこか浮かない気分でいた。 銀の音のような笑い声を発している村の娘たちが、けたたましく下駄の音を立てながら、私のそばまで駆け寄ってきては、外国人の私の顔をのぞきこむ。 ほんの少し前まで、古いみやびの光景が、妖しく、心楽しい幽霊の幻影が、そこに存在したというのにー。 それが今では、こういう風にただの田舎娘に変わってしまったのだ。 私はそれに対し、言うに言われぬ憤りを覚えたのだった。

 あの素朴な村娘たちの合唱によって私の胸に湧き起こった、あの感動は、いったい何だったのだろうー 床につきながら、私はそんなことを考え始めていた。 あの絶妙な間合いと、断続的に歌われた盆踊りの歌の調べを思い出すことは難しい。 それは、鳥の流れるようなさえずりを、記憶の中に留めておけないのと同じである。 しかし、その何ともいえない魅力は、いつまでも私の心から消え去らないのである。

 西洋のメロディなら、それが、私たちの胸に呼び起こす感情を言葉にすることもできるであろう。 それは、自分たちの過去を遡る、すべての世代から受け継がれてきた母国語のように、われわれになじみのある感情であるからだ。 ところが、西洋の歌とはまったく異なる、原始的な歌が呼び起こす感情は、いったいどう説明すればいいのであろう。 あの音色は、われわれの音楽言語である音譜に移しかえることさえできないのではないだろうか。

 そもそも、人間の感情とはいったい何であろうか。 それは私にもわからないが、それが、私の人生よりもずっと古い何かであることは感じる。 感情とは、どこかの場所や時を特定するものではなく、この宇宙の太陽の下で、生きとし生けるものの万物の喜びや悲しみに共振するものではないだろうか。 それにしても、あの歌は、誰に教わるでもなく、自然界のもっと古い歌と無理なく調和している。 あの歌は、寂しい野辺の歌や、あの「大地の美しい叫び」を生み出す夏虫の合唱と、知らず知らずのうちに血が通いあっているのである。 そこに、あの歌の秘密があるのではないだろうか。 私はそんな風に思っている。」

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posted by Fukutake at 09:27| 日記