2023年06月04日

遠い血と硝煙の匂い…

「F104」 三島由紀夫 河出書房新社 昭和五十六年

「二・二六事件と私」抄 p196〜

 「…確かに二・二六事の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。 当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた。 それがどうつながっているのか、私には久しくわからなかったが、「十日の菊」や「憂国」を私に書かせた衝動のうちに、その黒い影はちらりと姿を現わし、又、定かならぬ形のままに消えて行った。

 それを二・二六事の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であった。 その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶っており、かれらの挫折と死とが、かれらの言葉の真の意味におけるヒーローにしていた。

 十一歳のその日の朝、何も知らずに登校した私は、級友のある子爵の息子が、
「総理が殺されたんだって」
と声をひそめて囁くのをきいた。 私は、
「ソーリってなんだ」
とききかえし、総理大臣のことだと教えらえた。 齋藤内府の殺された私邸も学校のすぐ裏手にあり、その朝の学習院初等科は、いわば地理的にも精神的にも「狙われた人たち」のごく近くにいて、不吉な不安に充たされていた。

 授業第一時間目に、先生は休校を宣し、
「学校からのかえり道で、いかなることに会おうとも、学習院学生たる矜りを忘れてはなりません」
という訓示をした。 しかし私たちは何事にも出会わなかった。
 その雪の日、少年たちは取り残され、閑却され、無視されていた。 少年たちが参加すべきどんな行為もなく、大人たちに護られて、ただ遠い血と硝煙の匂いに、感じ易い鼻をぴくつかせていた。 悲劇の起こった邸の庭の、一匹の仔犬のように。

 少年たちはかくてその不如意な年齢によって、事件から完全に拒まれていた。 拒まれていたことが、帰って我々に、その宴会の壮麗さをこの世ならぬものに想像させ、その悲劇の客人たちを異常に美しく空想させたのかもしれない。」

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posted by Fukutake at 08:58| 日記