2023年06月02日

神のてなぐさみ

「痴愚神礼讃」 エラスムス 渡辺一夫 訳 岩波文庫 

痴愚女神様 p75〜

 「プラトンなりアリストテレスなりの掟とか、或はソクラテスの教とかいふもので治められた国家が一つでもありませうかしら? デキウス*が潔くマネス*の神々に身を捧げる気になったのは、何の為でしたかしら? クゥルティウスが深淵の方へと弾き摺られるやうにして行ったのは、何の為でせうかしら? 虚栄以外の何ものでもありませんし、これこそ正に、有無を言わさずに人々を捕らえてしまふ魔女のシレンですが、賢人どもからは、散々呪詛を浴びせかけられてゐるものですね。 

 賢人連中はかう申しますよ、「自分が当選するやうにと、民衆に御追従を言ってみたり、投票を買収したり、山とゐる馬鹿者どもの喝采を願い求めたり、やんやと言われて有卦*に入ったり、偶像のやうに意気揚々と擔ぎまはられたり、己が姿が銅像となって広場へ立てられたりするくらい馬鹿げたことがあらうか? これに加へるに、業業しく姓名を貼り出したり、哀れな一個の人間へ神に対するやうな栄誉を与えたり、国を挙げての儀式を行って、世にも憎むべき暴君を神に*類(なぞら)へたりまでする。 これは正しく、一人デモクリトスだけでは嘲弄するのに手が足りぬほどの狂気沙汰だ」と。

 さうかもしれませんね。 しかし、かういふ狂気沙汰から、英雄たちの高貴な行為が生まれ出て、多くの文藻豊かな人びとの文字によって、雲の上まで持ちあげられることになるのですよ。 かういふ狂気沙汰から、都市は生まれ出るのですし、国権も法制も宗教も、議会も裁判も、それによってこそ保たれるのでして、人間の生活といふものは、全く、この痴愚女神様の一寸した手なぐさみにすぎないのですよ。」

デキウス* 親子三代に亘ってローマのために戦死した
マネス* 亡霊の神
有卦* 幸運に恵まれて良いことが続く
暴君を神に* ローマ皇帝が死ぬと、これを神として祭る儀式が行われた

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posted by Fukutake at 07:41| 日記