2023年01月31日

よけいな者

「宮本常一著作集 21」 庶民の発見  未来社

貧しき人びと p51〜

 「家のよけい者たち                          
 もう一五、六年もまえのことであるが、高知県の山中で一人の老婆から、その人の若い時の話をきいたことがある。イロリの火のもえるそばで、老婆のはなしをきいていて、しばしばノートの手がとまって、胸のつまる思いをしたのである。その老婆は子をまびいた話をしてくれた。長男はあるのにつぎつぎと子供が生れる。今日のように避妊の方法もないから、つい妊娠してしまう。なけなしの財産の中で多くの子供をかかえてはやって行けないし、子供たちが苦労するので、やむなく生まれ出る子を処分したのであr。「子供たちはみんなこの床の下にうずめてあります。私はその上に毎晩ねています。私は極楽へいこうとは思いません、地獄でたくさんです。あの世でどんな苦労してもいい。はやく死んだ子供たちと一緒に賽の河原で石をつもうと思います。」としみじみとはなしてくれた。

 過去の日本の女の中にはこうした痛苦を背負って生涯をあるいた人がどんなに多いことだっただろう。こういう過去の生活はいろいろ批判され、あらためられなければならなかったが、女たちはそうした世界の中で、それなりの善意と誠実の中に生きていたのえあり、彼女たちにとってはその当時、それが最善の方法だったのである。が、そういう生き方の中にあるあやまりのわかったとき、われわれはまたそこからのがれ出るために正しい方法をとることに勇敢であり、聰明さを持たねばならぬと思う。世の親たちはまたもっと真剣に子供たちのことを考えているのであるが、ただ自分たちで気のつかないほど、自分たちの背負って来ている古い殻に支配されがちのものである。それがよいとかわるいとかというまえに、どうしてそういう殻ができあがって来たかを考えて見るべきではないかと思う。…

 貧しさとたたかう                           
 それにしても農民はまずしかった。戦前、大きな地主がいてその勢力のつよかったころ、小作百姓は重い小作料にあえいだのであるが、それすら中小地主を必ずしも大きくしはしなかったようである。そういう家ではたいてい子供を上級の学校へやるために小作米を金にしてつかい、さてその子たちは学校をおえても村にかえって来て仕事をすることはほとんどなく、つかった金が直接村の役にはたたなかったのである。それほどまた村は貧乏しなければならなくなったわけで、それが明治・大正・昭和と九〇年近くもつづいて来たのであるから村のまずしさ、農業の進歩しないことも当然だといっていいのである。むろん村人が貧乏したのについてはもっといろいろの原因があるが、そうした村の貧乏をすくおうとしたのが、まずしい農民の出稼ぎであったともいえよう。

(放送原稿、昭和58年6月20日)
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とにかく貧しかった。

posted by Fukutake at 08:32| 日記