2023年01月29日

最後の頼り 角栄

「「御時世」の研究」 山本七平 文藝春秋 昭和六十一年(1986)

「地域エゴ」を統合 p70〜

 「乱土改(土地の乱改良)のツケが集中的に彼らを襲ったのが、三十六年水害、同年九月の室戸台風の県内縦断、三十八年のいわゆる「三八豪雪」、三十九年の「新潟大地震」である。 そしてこの地震の傷跡がまだ消えぬうちに刈谷田川が猛威を振るい、乱土改と災害の総決算のような惨事となった。 沿岸のすべてが破堤の大被害を受けたが、特にひどかったのが末流の三沼地区でここは文字通り沼になった。 三日たっても水はひかない。 当時の村長佐々木静男は、溜まった水を再び川に落とそうと自衛隊に堤防爆破を頼む。 爆破は直接的に効果はなかったがその跡を人海戦術で切り崩し十日近くかかってやっと田が顔を出したが、収穫皆無。 もう何とも方法がない。 「新潟県庁を飛んで歩いて、頼む、頼む、と言ったんですて。 一週間の半分は県庁、半分は東京へ行った。 役所回って、『カネください、補助金下さい』ってこじきみたいに言って回った」。 だがその彼がはじめて田中角栄を知ったのは、自民党政調会長として、災害がまだ生々しい頃にこの地を訪れたその時であった。

 だが通常の陳情の相手は知事で、当事の知事は塚田十一郎である。 彼は中之島に出張して総指揮にあたったが、矛盾する陳情に困惑した。 というのは他地区の土地改良事業ために自分たちが被害を受けたと思うと、他地区への避難攻撃になる。 典型的なのは大堰爆破の要求であった。 『角栄の風土』には次のように記されている。
 
「末流部の三沼地区では、三十六年と同じ湛水災害を蒙ったが、相次ぐ災害に農民は怒りを爆発させた。 『大堰の上流で二度も破堤したのは、大堰が水をせき止めたからだ。 大堰を爆破しろ」。 日農*の闘士らを中心に三沼地区の農民は、塚田に陳情し怒りをぶつけた。 三沼堰は大の恩恵にあずからず、災害だけを蒙ったと思ったのだ。 /佐々木は叫んだ。 『爆破なんてやめてくれ。 あの堰のために何千町部が潤っているとと思うんだ』。 塚田も厳然とした態度で爆破要求をハネつけた。『自働堰にし、ボタン一つで上げ下げするよう改良を頼むから』と佐々木は付け加えた。/佐々木は再び改修陳情に走り回った」
 そして走り回っているうちに、だれに陳情すれば効果があるのかが次第にはっきりとわかって来た。 彼は爆破要求を厳然とはねつけた塚田十一郎と、すぐ建設省に電話をしてくれて明確に効果のあった田中角栄を忘れない。 彼の政治的立場は違うが「田中と塚田の恩は死ぬまで忘れられん」という。

 何とか総合的な水利事業が出来ないのであろうか。 それぞれが「地域エゴ」を発揮する乱土改は結局、総合的被害しか招来しない、前述のようにそれは各人の「頭の中」ではわかっていた。

 彼が本当に頼りにしていたのは、県でも社会党代議士でもなく、実は田中角栄であった。 彼のもとで働いていた現助役津原金次郎は「(佐々木)村長は革新系であったが、目白の田中詣でを繰り返した」という。」

日農* 社会党系農民団体
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posted by Fukutake at 09:06| 日記