2023年01月28日

遭ったら奇跡

「バカの壁のそのまた向こう」 養老孟司 かまくら春秋社 平成二十五年

百年目 p94〜

 「七十歳をとうに過ぎて、生きているうちに大きな地震に出会うことはないかもしれないと思っていた矢先に、今度の地震。 本当にびっくりした。
 まったく予測していなかったわけではない。 虫の標本は数年前から、箱根の家に完全に引っ越した。 神戸の震災に出会った人に、しっかり教えられたからである。 震災で標本を失くした人がかなりあるという。 長年かけて集めたものだから、一度で失われてしまうのは残念である。

 形あるものはすべて滅びる。 それはわかっているが、自分が生きている間くらいは、せめて保って欲しいという欲がある。 さらに学術上保存の義務がある標本もある。 新種に名前をつけるときに使った標本がそれである。 これをタイプ標本という。 そういうものは、最初から大学のような公共機関に寄贈しているから、心配はいらない。 なくなっても、少なくとも私個人のせいではない。

 もっとも箱根は、常時住んでいる鎌倉より、じつは危ないかもしれない。 しかも仙石原だから、大涌谷の匂いがしてくる。 あそこが爆発したら危ない。 富士山だって爆発しないとはいえない。 静岡市からよく見える愛鷹山が大先輩である。 おそらく富士山のような形の山だったはずだが、はるか昔に噴火で頂上付近が消えて、今の姿になったという。 箱根が最後に噴火したのは、三万年以上前とされている。 今回の地震は千年に一度といわれるが、三万年に一度の噴火はかなりすごいはずである。

 南九州の姶良火山は、六千年以上も前に大噴火した。 これは一万年に一度の規模とされる。 そんなものに出会えたら、被害はともかく、運のいいことである。 さらに生物の絶滅周期説というのがあって、化石のデータからすると、二千五百万年に一度は、八割以上の生き物が滅びる大災害があったという。 生きているうちに、こういう災害に出会える確率はほとんどない。

 恐竜が滅びたのは、たぶん隕石が落ちたためである。 直径四キロの隕石が太平洋に落ちると、津波の高さは一万メートルと計算した人があるという。 これでは恐竜がいくら威張っていても、絶滅する。 それでも生き残った生きものがいたから、われわれがいるわけで、考えようによっては、生きものもなかなかしぶとい。

 千年に一度の地震に会ってしまったから、もう当分は会えないであろう。 生きているうちはもう安心。 そう思うことにしている。 もっとあちこち旅行するから、そこで会ったら百年目。」

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優曇華の確率で人間に生まれたからには、どうなってもいい。
posted by Fukutake at 08:40| 日記