「日本的革命の哲学」 山本七平 PHP 昭和五十七年
人身売買 p289〜
「『式目』に曰く、「およそ人倫の事、禁制のことに重し。 しかれども飢饉の年ばかりは、免許せらるるか。…」
「(北条)泰時は人身売買を認めた」と非難するのは簡単である。 だがこの時代の飢饉の記録を読み、それに類するものすごい状態を現代に求めるとすれば、終戦時における満洲からの一般邦人の引揚げ記録であろう。 いわば、このままでは全員が餓死する、そのとき子供の一人を中国人に売り、それによって「口を減らして同時に食を得て」やっと生きのびて日本にたどりついたといった状態を髣髴とさせるものがある。 この場合は、「人身売買はあくまでも行うべきでない」として一家がすべて餓死するか、一人を売ることによって、売られた者も生き、売った者も生きるという道を選ぶべきかという問題である。 ここには「生きる」をどう考えるか、その問題に直面したときに人間の倫理は固定倫理であるべきか、情況倫理であるべきか、という問題があるであろう。 その場合の日本人の考え方は今でも情況倫理的であり、同時に「生存権絶対」とでもいうべき考え方である。
この考え方の前に法が無力であることを藤原弘達氏は「闇屋の論理」といわれる。 簡単にいえば「だって、食えないんだからしょうがないでしょう」であり、ある程度は法を破って生きても、法を絶対化して餓死することはしない。 と同時に政府もある程度はこれを黙認する。 しかしそこには「暗黙の合意」のようなものがあって、これを機会にあくどく儲けようとするものがいれば取締りの対象になる。 これが私が体験した終戦直後の生活だが、『式目』の人身売買対策はこれと似た面がある。 すなわち「人商人」は盗賊同様に取締るが、「食えない」場合は致し方がないとする。 この発想はきわめて「戦後的・現代的」だが、それがさらに「闇」でなく法的に公認されているのは、『式目』は原則的に「守れない法を制定しない」であり、と同時に、それが基本としている「道理」はあくまでも自然的秩序(ナチュラル・オーダー)だからであろう。 この自然的秩序の基本が「天変地異」によって崩れれば、崩れたことをそのまま認めて、「闇屋の論理」を極力制限しても、「生存権擁護」のため、認めざるを得ない面は認めようというわけである。 明恵ー泰時的発想からすればこういう考えであって不思議ではない。 もちろんこれは、天変地異が終わって自然的秩序が常態に復すれば法ももとへもどるということである。
泰時の講じた非常処置はこれだけでなく、その対策は領主の所有権を一時的に制限する指令もあった。 ただしこれは正嘉三年(一二五九年)だが、領主が自己の所領内の山野江海からの産出物を独占して他の採取を禁ずることを一時的に停止し、「難民救済」的にこれを開放することを命じている。
だがこれが幕府の能力の限度であり、これより先は、一時的に人身売買を認めても、人が生きて行ける道をあけておくことは「合法」としなければならない、というのが泰時の考え方であったろう。」
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自然のなり様