「論語の読み方」 山本七平 祥伝社 昭和六十一年
諸悪の根元を根絶しても、理想社会は到来しない p29〜
「孔子の時代もまた無規範(アノミー)の時代であった。 たとえば次のような話がある。
「晋の魏楡(きゆ)の地で石がものを言ったという。 民の怨嗟の声が石を仮りて発したのであろうと、ある賢者が解した。 すでに衰微した周室はさらに二つに分かれて争っている。 十にあまる大国はそれぞれ相結び相闘って干戈の止む時がない。 斉侯の一人は臣下の妻に通じて夜毎その邸(やしき)に忍んで来る中(うち)に遂にその夫に弑せられてしまう。 楚では王族の一人が病臥中の王の頸をしめて位を奪う。 呉では足頸を斬り取られた罪人どもが王を襲い、晋では二人の臣が互いに妻を交換し合う。
このような世の中であった…。
こういう無規範状態は、法律を厳しくし、警察権力を量的にも質的にも拡大し、いわば警察国家をつくって徹底的に取り締まれば脱却できるのであろうか。 簡単に言えば「新・治安維持法」とでもいうべきものを制定し、警察官を現在の十倍にすれば、ニューヨークは東京になりうるであろうか。 無理である。 というのは、そういう時代には警察官も内的規範を喪失しているから、無規範状態の克服は余計にむずかしくなるだけである。
孔子は、次のように言っている。 「之を道(みちび)くに、政(まつりごと)を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし」と。
いわば「法律いってんばりの政治のもとにあっては、一般の道徳感情が地に落ちる。 つまり人民は、法律に触れさえしなければ、なにをしてもいいと考え、ついには法にひっかからねば、どんな悪事を犯そうと、恥じることを知らない人間ができあがる」という状態、すなわち「民免れて恥なし」となり、弁護士だけがやたらと多くなり、かつ繁盛するという社会になってしまう。 そうではなく、この逆を行なえば、すなわち「之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)し」(為政第二 19)となるのであるでは
ところが人は必ずしもそう考えない。 悪人どもを一掃すれば、すなわち「諸悪の根元」を根絶すれば世の中はよくなると考える。 したがって、そう見られた人間を殺すことを平然と「粛清」とではー まったく驚きいった言葉である ー、国中を収容所群島で満たす。 では、それで理想社会ができるのか。 否、ますます悪くなるだけである。
「*世の中をよくするために悪党を全部殺したら、などと考えるのは大きなまちがいである。 政治の目的は人民を生かすことにあるのだから、治者の徳性は風であり、人民の徳性は草である。 善道の風を送れば、民はかならずこれに従って善道になびく(顔淵第十二)」
* 季康子問政於孔子曰。如殺無道。以就有道。何如。孔子対曰。子為政。焉用殺。 子欲善而民善矣。君子之徳風。小人之徳草。草上之風必偃。
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現在の中共がこれそのもの