2023年01月16日

記憶のなぞ

「ガクモンの壁」 養老孟司 日経ビジネス人文庫 2003

思い出の道はなぜ広い? 養老孟司 x 仲 真紀子  p273〜

 「仲ー(自分の覚えている記憶と実際との違いについて)もう少し日常的な場面で考えると、記憶が時間とともに変化していくという体験を、みなさんお持ちだと思うんです。 小さいころに過ごした場所に久しぶりに行ってみたら、思っていたよりもずっと狭かったという話はよく聞きます。 それについても研究しています。

養老ーその理由は、説明がついているのですか。

仲ー初めは、自分の背が高くなったために視点が変わり、昔は広いと思っていたところを狭く感じるのかとも考えたのですが、中学校の卒業生に協力してもらって研究したところでは、どうも背の高さだけでは説明ができないようです。 卒業して数ヶ月しか経っていなくとも、再び中学校を訪れると小さい感じがするというのです。
 それで私なりに今考えているのは、その場所について知識が多ければ多いほど、時間が経ったときに欠けてしまったその場所についての記憶を、より多くの知識で補えるためではないかということです。 補えば補うほど、空間にいろんなものを詰め込むことになるので、イメージの中で空間が広がります。

 卒業した中学校のキャンパスを描いてもらうと、同じ中学校の卒業生でも、野球部など、校庭で活動することが多かった人は校庭を広く描き、一方合唱部など、室内で活動することの多かった人は校舎を広く描き込むのです。 場所についての知識が多いほどたくさん描き込むことができ、その分イメージは広がるけれど実際に行ってみるとそれほどでもなく、小さく感じるということなのだろうと思います。

養老ーそれは何となく納得できる説明ですね。 しかし、私にはあまりそういう体験がないんです。 いつまでも写真みたいなんです。 戦後すぐの育ちですから、実際の写真なんかなかった。 だから、自分の記憶の中で構成された空間だろうと思います。 今の人は、写真があるから、逆に記憶の中の空間の尺度が狂ってしまうのかな。
 写真って、実際とはイメージが違いますよね。 特定の角度から切り取られているし、大きさの感覚も違う。 見えている富士山は大きいのに、写真に撮った富士山は必ず小さかったという記憶は私にもあります。」

----
確かに、数十年ぶりに訪れた小学校に至る坂が、何と小さく緩かったかことか。






posted by Fukutake at 08:09| 日記