「宮ア市定全集 24」 ー随筆(下)ー 岩波書店 1994年
「「『論語』読み」の愉しみ」 p160〜
「近頃は『論語』を現代に生きていくのに役立てようという、きわめて実用的な「読み方」が行われています。 私もそれもひとつの立派な方法だと思う。
もちろん、学問という観点からすると、こういう読み方は、第二義的なものにすぎない、とはいえます。 そもそも、学問というのは、つき進めていけば、そのまま実用に役立つというものではない。 とくに、基礎的な研究になればなるほど、実用とは縁遠くなるものなのですが、それでも、『論語』についていえば、こういう実用的な読み方は、決して間違っていないと言えるでしょう。
私がこのように言うのは、『論語』そのものが、孔子がその弟子に職業訓練をしたときの言行録であって、それはきわめて実用的なものであったからです。
ちなみに、『論語』の冒頭に、「子曰く、学んで時にこれを習う。 亦た悦ばしからずや」という有名な一句があります。 ここでいう「学」とは、礼を学ぶことで、孔子は礼を教える職業学校の校長とみてもいい。 当時はまだ祭政一致の傾向の強い時代でしたから、伝統的な礼を知っている人材が要求され、孔子は弟子に礼を教えて、諸侯や貴族に下に就職させていたのです。
ところで、礼、あるいは「仕来(しきた)り」というと、最近の人は単なる形式といって軽視するところがありますが、これは大変な間違い。 いっさいは、人間関係の処理でエネルギーを節約する重要な方法です。
たとえば、朝、人に会ったとします。 「おはよう」という言葉がなければ、どのようにして、相手に自分の好意を伝えるかで、そのたびに考えなければならない。 これは、ほんの一例ですが、現在の外交にしても政治にしても、それほど障害のないところは、すべて類型化、形式化して、エネルギーを節約している。
このように人間関係には礼は重要ですが、孔子の時代は祭政一致の傾向が強く、今以上に礼が重視されたのですから、礼の大家である孔子の下に、良い就職先を得るために、多くの弟子が集まってきたのでしょう。
『論語』は、こうして孔子が弟子に職業訓練していたときに、弟子の質問に答えて話したことを、後になって弟子たちが言行録としてまとめたもので、孔子自らが筆をとって書いたものではない。 それで、『論語』では、よく「こういう場面で弟子が質問した」という書き方になっている。 また、「子曰く」と書いてあっても、孔子がみんなを集めて演壇の上から説教したのではなく、折々の質問に答えて話した言葉です。
ところで、『論語』ではもちろん、礼のことについて多少はとりあげていますが、これは全体からみると少ない。 何故なら、孔子は、ただ昔からの「仕来り」をオウム返しにするだけでは満足しなかった。 礼の裏には必ず仁とか道とかいう人間性の問題があると考え、その意味も礼とともに弟子に教えたからです。
つまり、「仕来り」の中から人生を求めていった。 それが『論語』にまとめられたといえます。 先の例で言えば、『論語』は職業学校の校長の精神教育の報告書とでもいえましょうか。」
(『プレジデント』第二十巻第三号、一九八二年三月)
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「学」=礼を学ぶ