「『枕草子』研究の現在」 土方洋一 學士會報 2023−1(No.958)より
「「枕草子」という書名を聞いて、人はどのようなイメージを持つだろうか。 平安時代に清少納言という女性が書いた随筆である、多くの人がそう答えるだろう。 高校の古典の教科書にそう書いてあるし、清少納言を日本で最初のエッセイストとして描いている一般書もたくさんある。
しかし、平安文学を研究する私たちの間では、それは常識ではない。 平安時代には「随筆」という概念も用語も存在しない。 少なくとも、清少納言(が書いたということは認めるにして)が、「随筆」のつもりでこれらの文章を書いたはずはない。 当時「随筆」という概念がなかったにせよ。今日の目から見てそう呼ぶのにふさわしい内容形式であれば「随筆」と呼んでもいいのではないかという考え方もありうる。 しかしながら、『枕草子』を『随筆』と呼ぶことで「個人としての発信」というイメージが定着するとすれば、それは実態とはかけ離れていることになる。
『枕草子』は何を目的として書かれたのか? 清少納言は、一条天皇の中宮定子に仕えている女房だった。 『枕草子』はおそらく、中宮定子の後宮で醸成されつつある斬新な文化や美意識を宮廷世界全体へ発信することが目的で書かれたものと考えられる。
中宮定子からの発信に際しては、教養のある貴族をも感服させるような新た強い美意識を盛り込むことが求められた。 凡庸なものを不可とし、人の意表を衝くような斬新さを盛り込むことが、定子後宮らしい発信の基本方針であった。 「私たちは、こう提案します」というニューモードとしての発信である。
『枕草子』の冒頭に置かれている「春はあけぼの」の段は、『枕草子』を代表する章段として有名だが、そこでは春夏秋冬の四季折々のもっとも季節観が身にしみる時刻が列挙されている。 ただし、そこで揚げられている「美しい刻(とき)」はみな、貴族社会の中での伝統的な季節観から外れている。
たとえば、前述の「春はあけぼの」。 漢詩文以来の伝統としては、春を象徴する時刻は「宵」である(「春宵一刻値千金」蘇轍)。 春の「あけぼの」の美しさを述べたものは、『枕草子』以前の漢詩や和歌の中にはほとんどない(平安後期以降の和歌に「春のあけぼの」を詠んだ歌が増えてくるのは、明らかに『枕草子』の影響である)。 『春はーあけぼの」という提言をはじめて目にした時、当時の貴族たちは意外な驚きを感じたはずだ。 それが、「やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて」云々という説明が続くと、「あけぼの」と言われるほんの一刻のうつろいゆく空の色合いの微妙な変化の中に、春という季節にしかない繊細な味わいがあると感得されてくる。 それは、それまで彼らが気づいていなかった新しい美の発見であったはずである。」
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新しい美の基準の創造