2023年01月05日

生身の人間と戦争

「小林秀雄全作品10」中原中也 新潮社 平成十五年

「軍人の話」 p195〜

 「大分前のことだが、蘭州を爆撃した或る飛行将校の話、敵機を撃墜した時の幸福感は、無上のもの、至福とでもいうべきものでこれなら死んでも構わぬと思った。という話を新聞で読み、片言のうちに感情が溢れていると思い手帖に書き取って置いた事がある。

 支那に行って、軍人たちに会い、戦の話を聞き、戦というものを最も沈着に健康に人間らしく理解しているものはぎりぎりの処戦を体験している軍人である、軍人だけである、と痛感した。戦という異常時を平静に生きている軍人たちの顔は、皆例外なく人間らしい。

 戦を日常茶飯事としている一種の人種もあるよといった顔をしている銀座街灯の文化人ともよ。僕には君等の顔の方がよっぽど化物染みて気味が悪い。
 本紙(「東京朝日新聞」)に連載されていた「盧溝橋一周年回顧座談会」は実に面白く読んだ。他の座談会には決して見られぬ心が躍っている。何と言うか、歴史を見舞った驚くべき悲劇に平気で堪えている心が躍っている。
 軍人も最近は、ジャアナリズムに登場する機会が多い。不得手な議論などでシャッチコばらずに、率直に喋る様に書いて欲しいと思う。」

 火野葦平「麦と兵隊」 p197〜
 「火野葦平「麦と兵隊」(「改造」)を読み、感動を覚えた。人の肺腑を突くものがあるのである。
 特に、死を覚悟した孫扞での一日の日記は力強い名文である。見るも無慙な記録であるが敢えて名文と言いたいのだ。これを書いているものは、正しく作家火野葦平であることを読みながらしかと感ずるがためである。

 迫撃砲弾が雨下する中で、全力を挙げて勇敢なる兵隊たらんとする自分を、全力を挙げて冷静に観察せんとするもう一つの自分がある。その緊迫した有様は異様な美しさを以って読者に迫る。戦争の体験が人間をどの様に鍛錬するかが手にとる様に分かる。彼は違ってしまった。「糞尿譚」にみられた弱さも甘さも曖昧さも、最早ここにはみられないのである。
 事変以来、幾多の従軍記者が現れたが、この従軍記者が一つずば抜けていると僕には思われる。何がそう思わせるのであろう。一と口では言えない、又、言えば誤解を招く恐れがある。だが恐らくはそれは何か極めて謙遜なある心持ちだ、兵隊としての、人間としての。

 この作品(敢えて作品とよぶ)の魅力は、立場だとか思想だとかに一切頼らず、掛け代えのない自分の生命だけで、事変と対決している者の驚くほど素朴な強靭な、そして僕に言わせれば謙遜な心持ちからやって来る。活字面ばかり御大層な近頃のジャアナリズムでは、こういう文章は親友に会った様な気持ちのものだ。」

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posted by Fukutake at 11:02| 日記