「宮崎市定全集 20 菩薩蛮記」 1992年
「東風西雅録」より起承転結ー季節 p238〜
「フランス本来のシャンソンには話の筋があって、一曲は大体四段に分かれる。 第一段の男女の出会いから始まり、第二段は恋の成立、幸福のささやきであり、第三段になると一転して、どちらかの裏切り、または感情の衝突で大きく揺れ、第四段は破局のあきらめ、消えさった甘い幸福の追憶で終わる。 但し最近流行しだした筋のないシャンソンは、アフリカ化したアメリカの野蛮人が歌うものだそうである。
起承転結のリズムは日本の歌曲においても認められる。 頼山陽は唐詩の起承転結を会得させるために、日本の俗謡を引いて教えるのを常としたという。
大阪本町 糸屋の娘 (起)
姉が十六、妹が十四 (承)
諸国諸大名は、刀で斬るが (転)
糸屋の娘は目で殺す (結)
起句が糸屋の娘で始まり、結句の糸屋の娘で終わる、歌曲の回帰性を示した例である。 この淵源を尋ねて行くと、古い今様にまで遡れる。 『平家物語』に出てくるが、
古き都に来て見れば (起)
浅茅が原とぞ荒れにける (承)
月の光はくまなくて (転)
あきかぜのみぞ身に沁む (結)
の例では、起句と結句だけで意味は分かるのだが、その中間に承転があって初めて詩になっている。
起承転結の四部は省約して三部に縮めることができる。 この場合、起承を一つに纏めるか、転結を一つにするかのどちらかであって、その結果できたのが、すなわち雅楽の序・破・急のリズムである。 シャンソンにもその省約形が多いという。
春夏秋冬の四季の循環は温帯に特有の現象であって、熱帯夜寒帯にはそれが現われない。 熱帯、亜熱帯はいつも暑い常夏の国で、もしあれば乾季と雨季の区別が著しいだけである。 寒帯は常に寒いが、日の長い夏と夜の長い冬とが交互に訪れる。 日の長い夏には、気候もそれに従ってやや温暖となる。 それが内陸である場合には相当の熱度に上り、牧草が繁茂して獣群を放牧するこのとできる土地もある。 蒙古地方などはその例である。」
(『中国古典文学大系』近世随筆集」月報46、一九七一年九月)
-----