「かつら・スカーフ・半ズボン」 群ようこ ちくま文庫 1998年
私はなぜ植物を育てないか『ロビンソンの庭』 p200〜
「世の中には、草花を植えたり、庭木の手入れをしたりするのが大好きな人たちがいる。 私の母親もそうなのだが、いつも土まみれになって、植え替えをしたり、虫を取り除いたりしている。 自分の手にあまるくらいたくさんの鉢があるというのに、暇さえあれば新しい鉢植えを買ってくる。
「こんなにいいものは、めったにない」
とかいいながら、ひとりで喜んでいるのである。 私はそういった園芸一般には、全く興味がないので、母親が土をほじくりかえしたり、花を咲かせることができずにしょんぼりしているのを見ても、何とも思わなかった。 園芸が好きな人たちにとっては、ある時期になると、わが子よりも植物のほうがかわいくなってくるらしいのだ。
私の友だちのお父さんも、庭木や草花を育てるのが大好きな人だった。 ある日、庭に出ているお父さんが、花壇の花に向かって何事かぶつぶついっている。 何をいっているんだろうと、彼女がそばにいってみると、聞こえよがしに、
「本当にお前たちはかわいいなあ。 息子や娘なんか、大きくなると親のことなんか、ほったらかしで、憎たらしくなるばかりだ」
といっていた。 彼女が
「それは、あんまりじゃないの」
と抗議をしたらしい。
彼女はむくれていたが、自分が手をかけたぶんだけ、植物がこたえてくれれば、かわいくなってくるのも当然だと思うのだ。
『ロビンソンの庭』の主人公・クミは、長屋ふうの外人ハウスに住んでいたが、ふとしたことで、まわりに鬱蒼と木が茂っている、コンクリート造りの廃墟のような建物に住みつくことになる。 窓を開けると、草が一面にはえた野原や、森がすぐそばにある。 水は敷地のなかにある井戸で汲む。 いわゆる自然に囲まれた、この上もなくいい環境なのである。 彼女はそこで土を掘って、畑を作ってキャベツを植え、自給自足の生活をはじめる。 畑仕事で汗をかき、井戸水でのどをうるおす。 ある意味ではとても贅沢な環境なのだが、彼女はそういう生活をしているうちに、だんだん緑に侵されて、体の調子が悪くなっていく。 大雨が降って泥まみれになりながらでも、畑を耕さずにはいられない。 キャベツの葉っぱをシーツの替りにして、自分の体の下に敷いて寝る。 そしてしまいには、何かに憑かれたように地中深く穴を掘り続け、姿を消してしまうのだ。
私は正直いって、この映画が何をいいたいのか、よくわからないのだが、不思議に何度もビデオを借りてしまう。 もし自分が、あのような環境におかれたら、クミみたいに、精神状態がアンバランスになってしまいそうだ。 自分の弱い部分を、針でつんつんと突かれているような気分になる。 見るのをやめればいいのに、背筋がぞくぞくする感覚が忘れられずに、レンタルビデオ店で見かけると、懲りずにまた借りてしまうのである。]
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趣味に没入すると、何か重大なことを犠牲にするのかも。