「現代語訳 論語」 宮崎市定 岩波現代文庫 2000年
微子第18 より二篇
「長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)とが二人一組になって耕作していた。 孔子がそこを通りかかり、(常人でないことを察し、用も無いのにわざと)子路に命(いい)つけて渡し場のありかを尋ねさせた。 長沮曰く、あの輿(たづな)を握っている男は誰だ。 子路曰く、孔丘という者です。 曰く、魯国の孔丘だね。 曰く、そんなら教えないでも知っている人だ。 こんどは桀溺に尋ねた。 桀溺曰く、君は誰だ。 曰く、仲田という者です。 曰く、すると魯の孔丘の仲間だな。 曰く、その通り。 曰く、滔々として大勢に順応する者は、天下にいっぱい満ち満ちている。 それに逆らおうとするのは誰だろう。 君もその一人らしいが、人間ぎらいの孔丘の仲間でいるよりは、いっそこの世間ぎらいの我々の仲間に入ってはどうだ。 と言ったまま、長沮が土を掘ったあとへ種を蒔く手を休めなかった。 子路は帰ってきて報告した。 孔子はしんみりとして言った。 鳥と獣とはいっしょに群をつくることはできない。 私はあの人たちと仲間になりたくてもなれない。 古い言葉に、而(なんじ)とともに誰の仲間になろうか、とあるが、(私は人間ぎらいどころではない。) 天下の有徳者からは、私は決して離れて行かぬつもりだ。」
「子路が孔子に従行して、後にとりのこされた。 追いかけて行く途で老人が杖に竹の蓧(かご)を下げて荷っているのに出会ったので尋ねた。 貴方は私の先生に遇いませんでしたか。 老人曰く、身体の労働をしたことがなく、五穀の見さかいもない者が、何で先生なものか、と言って杖を地面に立てて、草をむしり出した。 子路は両手を組んで敬意を表しながら、老人と立ち話を始めた。 老人は子路をひきとめ、家へつれて帰って泊まらせ、雞を殺し、黍の飯をつくって御馳走をし、二人の子供を紹介した。 明日子路は立ち去って孔子に追いついて、このことを話した。 子曰く、隠者だな、(それなら言うことがある)と。 子路に命(いい)つけて、もう一度たち戻って面会してこいと言った。 子路がその家に行って見ると、もう行方知れずであった。 孔子が子路に言わせようとしたのは次の通りであった。 曰く、宮仕えしないという主張には何も根拠がない。 尊長と卑幼との間の序列は無視することができぬ。 (現に子路は貴方を老人の故に尊敬し、貴方はまた二子を年長の子路に引合せて敬意を表せしめたではないか。) それと同じように、君主と臣下との関係は、無視しようとしても無視できぬものだ。 貴方は一身を清くしようと思うあまり、無視することのできぬ大事な人間関係を強いて無視しようなされる。 我々の仲間が君主を求めて宮仕えしようとするのは、人間たる者の義務を行おうとするのである。 ただその理想がすぐ実現できないものであることぐらいは、万々承知の上だ。」
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2022年12月31日
人間の世界。自然の中で生きる。
posted by Fukutake at 08:13| 日記