「与謝蕪村 郷愁の詩人」 萩原朔太郎著 岩波文庫
秋の部(2)p72〜
秋風や干魚(ひうお)かけたる 浜庇(はまびさし)
海岸の貧しい漁村。家々の軒には干魚がかけて乾してあり、薄ら日和の日を、秋風が寂しく吹いているのである。
秋風や酒肆(しゅし)に詩うたふ魚者樵者(ぎょしゃしょうしゃ)
街道筋の居酒屋などに見る、場末風景の侘しげな秋思である。これらの句で、蕪村は特に「酒肆」とか「詩」とかの言葉を用い、漢詩風に意匠することを好んでいる。しかし、その意図は、支那の風物をイメージさせるためではなくして、或る気品の高い純粋詩感を、意図的に力強く出すためである。…子規一派の俳人が解した如く、蕪村は決して写生主義者ではないのである。
月天心 貧しき町を通りけり
月が天心にかかっているのは、夜が既に更けたのである。人気(ひとけ)のない深夜の町を、ひとり足音高く通って行く。町の両側には、家並みの低い貧しい家が、暗く戸を閉ざして眠っている。空には中秋の月が冴えて、氷のような月光が独り地上を照らしている。ここに考えることは人生への或る涙ぐましい思慕の情と、或るやるせない寂寥とである。月光の下、ひとり深夜の裏町を通る人は、だれしも皆こうした詩情に浸るであろう。しかも人々はいまだかつてこの情景を捉え表現し得なかった。蕪村の俳句は、最も短い詩形において、よくこの深遠な詩情を捉え、簡単にして複雑に成功している。実に名句と言うべきである。
恋さまざま願いの糸も白きより
古来難解の句と評されており、一般に首肯される解説が出来ていない。それにもかかわらず、何となく心を牽かれる俳句であり、和歌の恋愛歌に似た音楽と、蕪村らしい純情のしおらしさを、可憐になつかしく感じさせる作でもある。私の考えるところによれば、「恋さまざま」の「さまざま」は「散り散り」の意味であろうと思う。「願いの糸も白きより」は、純粋な熱情で恋をしたけれども −−である。またこの言葉は、おそらく蕪村が幼時に記憶したイロハ骨牌か何かの文句を、追憶の聯想に浮かべたもので、彼の他の春の句に多く見る俳句と同じく、幼時への侘しい思慕を、恋のイメージに融かしたものに相違ない。蕪村はいつも、寒夜の寝床の中に亡き母のことを考え、遠い昔のなつかしい幼時をしのんで、ひとり悲しく夢に啜り泣いていたような詩人であった。」
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月天心。
2022年12月27日
月天心 貧しき町を通りけり
posted by Fukutake at 10:21| 日記