「またたび回覧板」 群ようこ 新潮社 1996年
人生最後の食事 p170〜
「私は御飯が好きだ。 先日、ある男性と話をしていたら、彼が、
「人生の最後の食事として何が食べたい?」と聞いた。
「そうだなあ。 まず御飯ね。 そしておかずは、鮭の焼いたの。 鯵の干物でもいいかな」
そう答えたら、彼は大きくうなずき、
「やっぱり御飯だよね。 僕はそれにみそ汁とトンカツと漬物があったらいいな」
などとうっとりした目つきになったので、
「そんなに食欲があるんじゃ、最後の食事じゃないよ。 そのあと五十年くらい、生きるんじゃないの」
といったのだが、なかには最後の食事にラーメンといった人もいるそうだ。 確かにラーメンもおいしい。 年に何度か、「毎食、ラーメンでいいや」と思うときもある。 だけどどうしても御飯は基本中の基本で、私にとっては空気みたいに必要なものである。
昭和二十九年生まれの私は、今までそんなに感じなかったが、若い人と話をしていたりすると、戦後の影響をまだひきずっている時代に生まれたことを気づかされる。 だいたい食べていた献立が違う。 当時は煮物だとか鰯の丸干しだとか、純和風の食べ物ばかりだった。
「おやつちょうだい」
というと、昆布やするめやじゃこを口のなかに放り込まれ、いつまでもしゃぶっていた。
日本人の私は、御飯を食べると力がわいてくる。 うれしいときには、御飯を何杯もおかわりできるし、悲しいときは御飯を噛んでいると、
「いつまでも悲しがっていても、しょうがないか」
という気分になってくる。 物事がうまくいかないとき、気分がすぐれないとき、物ごとにけじめをつけなくなったときに食べるのは、パンでもパスタでもなく、やっぱり御飯なのだ。
常連ではないのだが、私が二度ほど行った都内の某店は、料理はもちろんだが、そこで最後に出される御飯が最高においしい。 最初に行ったときは、生まれてこのかた、こんなにおいしい御飯を食べたことがないと感激し、ひと口食べて、「ああ、おいしい」と思わずつぶやいてしまったくらいなのだ。 おかずはかぶのお漬物だけなのに、いつもおかわりをしてしまう。 こんな御飯を食べたときが、私の至福の時間である。 おいしい御飯が毎日食べられたらと思うが、なかなかそうはいかない。 至福の時間を持つために、どうやっておいしい御飯を炊くかというのが、目下の私の課題になっているのである。」
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