「死ぬことが怖くなくなる たったひとつの方法 ー「あの世」をめぐる対話」 矢作直樹 x 坂本政道 徳間書房 2012年
拝金主義の罠(矢作) p112〜
「戦後、日本は拝金主義という名の大波に襲われました。
お金を持っている奴が偉い、お金があれば何でもできる、お金がある人生がいい人生、と世の大人が声を出して言えば、当然ながら子供たちにはその考え方が脳に刷り込まれます。
次の社会を担わなければならない子供たちは、社会に出る前からそういう考え方に取り込まれるわけです。
現在の世界では生きる上で最低限のお金が必要なことは事実です。
しかしながら必要以上の贅沢を望み、欲望の果てまで走ろうとする、つまりどこまでもお金を求めようとする貪欲なスタンスは、必ず破綻します。お金、お金と、お金のために生きる人生へと変質してしまうからです。 そういう人は自分の周囲を「お金のあるなし」で判断する人です。
これからはみんな、自分の現状を定期的に見直す必要があるでしょう。
物質で肥大化した生活、お金にとらわれた生活を見直すことは、「身の丈に合った生活」を営む最初の一歩です。
身の丈に合った暮らしは快適です。
私は物も家もありません。 一応、大学が用意してくれた部屋があるのですが、仕事が仕事なもので、部屋には何もありません。 ほとんど毎日、大学病院で暮らしています。 しかし何の不自由も感じません。 十分、幸福です。 もともと、あまり物欲もないし、お金や物への執着もありません。
だからと言うわけではありませんが、例えば度の過ぎた投資なんていう考え方は、そもそも日本的ではないと感じます。 金融市場でもその時々で話題となる、実態より遥かに大きなお金を動かすデリバティブ(金融派生商品)やFX(外国為替証拠金取引)とか、ああいうものはまったく理解できません。
ああいう商品には元金の数倍、数十倍のレバレッジがかかる仕組みになっています。 そこに人間の欲望を果てしなく肥大化させる側面があります。 こうなるとギャンブル依存症と同じです。 パチンコや競馬から離れられない精神状態とまったく同じです。しかも市場の失敗というか巨大なツケを、政府というか国民の血税が肩代わりすることになるわけですから、そういう意味で最悪です。
それらは物々交換ではあり得ないようなレベルにまで到達しました。そもそもお金は「交換価値の基準」であり、価値そのものではなかったはずです。
現代人の多くは、そもそも価値とは何なのかを忘れてしまったのだと思います。」
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