2022年12月19日

保守主義

「思想の英雄たち」ー保守の源流をたずねてー 西部邁 文藝春秋 1996年

エドマンド・バーク 保守的自由主義の源流 p32〜

 「反逆者(改革者)たちは自分たちが新たな法体系を創造するといいつのる。 しかしそれこそが急進主義の弊害の最たるものである。 保守思想にあっては人間の知性および特性の両面にわたる不完全性が大前提とされている。 フランス革命を準備した進歩主義者の始祖たちつまり啓蒙思想家たちにとってのうるわしき大前提であったペルフェクティビティ(完成可能性)を真底から疑うのでなければ人間・社会についての話が始まらぬとバークは断言した。 この至極当然のはずの断言が進歩主義にあっては大きく揺るがされているのである。 進歩主義とは、新しき変化は晩かれ早かれ良き結果をもたらすと思い込む独断(ドグマ)のことである。 ードグマとは、その原義によれば「良きことのようにみえる」という意味だー。 なぜそんな見え方になるかというと、ほかでもない、人間・社会が変化の流れをつうじて完成へと近づいているというペルフェクティビティの独断にはまったからである。

 おのれの不完全性を知悉した人間がどの変化をいかに実現すべきかを慎重に考慮するに当たって頼りにするのが、時効を有するものとしての伝統である。 伝統と照合させなければいかなる変化にも飛び付くまいとしている保守思想は、いきおい、漸進的にしか変化を受容しないことになる。 しかし漸進主義はそれを行うものが不活発であることを意味しない。 まったく逆なのだ。 曲芸師が一本の綱の上で平衡を保とうとするとおびただしい緊張と活力が彼の心身をつらぬいているのとちょうど同じように、保守思想は変化の種類を見極めその度合いを測定する作業に、いわば静かに熱狂しているのだ  中庸(モデレーション)を保つことにおいてのみ人知れず熱狂する、それが保守思想の根本姿勢だといってもよい。 そして綱渡りにおいて曲芸師が手にする一本の平衡棒とちょうど同じような何の変哲もないもの、しかし人間社会の命綱ともなる大切なもの、それが伝統なのである。 そしてバークは伝統の本質は人々の共有(コモン)される普通(コモン)の法体系にありとみたのである。

 もう一つ大事なのは、やはり綱渡りにあって曲芸師の視線が向こうの目的地をまっすぐみつめているのとちょうど同じように、漸進主義は理想を凝視することをやめない。 彼岸の理想が何ものであるかを明確に語ることは不可能にしても、それへの示唆は伝統のなかの宗教感覚や道徳感情のうちに含まれている。 「道徳なき権力は専制であり、宗教なき道徳は不安定である」バークがいったのはその意味においてであろう。

 バークは「人間の権利(ヒューマン ライト)」なんぞ認めはしなかったが、「イギリスの権利」については存分に認めた。 これをさしてバークにおける国家主義やら民族主義やらを指摘するものが跡を絶たないが、それは莫迦げた物言いというほかはない。 彼のいいたかったのは、どんな権利も国民性を帯びているということについてであった。 権利とは法によって許されている行為の可能性ということにすぎず、そして歴史の産物としての法の体系が国民性と無縁でいることなどできない相談だということである。」


保守主義の真髄、伝統。
posted by Fukutake at 06:10| 日記