2022年12月17日

談志師匠の夜廻り

「夜廻」 橘右之吉(たちばなうのきち) 右之吉文字かたり
「銀座百点」2020 12月号(No.817) p40~より

 「年の瀬近くになると、私の工房のある湯島界隈は例年、夜廻(よまわ)りの拍子木の音と「火の用心〜」の声が聞こえてくる。
 歳末警戒のため、地元のお祭りの会や有志の方々が、寒いなか、ご奉仕で巡回して下さっているのだ。

 時折可愛らしい子供の声も混じるのは「一緒に行く」と出がけにせがまれたのだろう。 微笑ましい、暮れならではの風物だ。 
 夜廻りでは、忘れられない思い出がある。かつて目黒権之助坂の中ほどにあった寄席き「目黒名人会」のポスターや書き物を、橘左近師匠、後に噺家になった古今亭右朝さんと一緒にお手伝いしていた時期だから、四十数年前の話、昭和四十七年頃だろう。 亡くなった立川談志師匠から、生家に電話が入った。

「談志師匠から電話だよ」と怪訝そうに取り次ぐ母。 急ぎ電話に出ると
「右之吉の実家は鳶頭だから、お祭りの金棒があるだろう。 金棒を持ってきてくれ」
 突然の話に吃驚して、大変失礼だが、「気が触れました?」と、いぶかる私。
「気なんぞ触れちゃいない。 夜廻り、火の用心をやるんだ。 柝(き)はあるが金棒がない」
 談志師匠の頼みに、否応はない。
「金棒」とは、元は神輿渡御の先頭を務める鳶の若い衆が持つ道具で、昔、夜廻りの時にも、地面を突いて鳴らして歩いた鉄製の棒だ。
 落語『二番煎じ』にも出てくるが、鉄棒の先に数個の鉄の輪、その下に鉄筒が付き、紅白の手綱が付いている。

 今でも祭礼の手古舞で見られるが、「手古」は「梃子」で、梃子は古くは鳶の若い衆を指し、「梃前」の当て字という。
 手古舞姿の芸者衆は男髷を結い、右肌脱ぎに伊勢袴、手甲脚絆(てっこうきゃはん)、足袋、草鞋掛け、花笠を背に、片手に金棒、逆の手に神輿の先駆けを務める。
 大昔は武具だったそうだが、歌舞伎舞踊『お祭り』で、「待っていたとはありがてえ」「受けさせるのじゃねえが、ま、聞いておくんねえな、よう」の粋な台詞の鳶頭。 喧嘩相手の若い衆と遣り取りする小道具が金棒だ。
 大袈裟に噂を振り撒く輩を「あいつは町内の金棒引きだ」との比喩も、ほとんど聞かなくなった。
 この金棒を持ってこいとの談志師匠。

 実家の道具置き場の奥にあった。 錆が浮いている金棒を、ざっと磨いてt退けると、
「右之も付き合え。花柳界、三業地を『火の用心、さっしゃりゃしょう』と廻るんだ。 面白いだろう」
 折角のお誘いだったがご辞退して、その日は失礼し、後日、金棒を引き取りに伺うと、 
 「冬場の金棒の冷たさは判っただろうが、…廻った花街も、今じゃ江戸の風情、趣向が判らないようだ」と談志師匠の不満げな、渋いお顔がそこにあったのを思い出す。」

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posted by Fukutake at 09:28| 日記