2022年12月13日

物は言いよう

「戦国策」 近藤光男  講談社学術文庫 2005年

弁舌編 八一「葬 日有り 天大いに雪雨(ふ)り、牛の目に至る 」  p290〜

 「魏の恵王がなくなって、埋葬の日取りも定まっていた。ところが大雪が降って、牛の目の高さまで積もった。太子は城郭を取り壊したうえ、懸け橋を渡して、期日どおり葬儀を出そうとした。群臣たちのうち、太子をいさめる者が多く、「雪がこんなにひどいのに柩を送られましては、人民たちはきっとたいそう苦しみましょうし、政府の出費が恐らくは持ちますまい。どうか予定を取りやめて改めて日取りをお決めになりますよう」と言った。太子「人の子として、人民の労苦と政府の経費とが理由で、先王の埋葬の儀を見合わせるなどは、道に外れたことである。あなたがたは二度と言いたまうな」。群臣たちはみな言おうとはせず、ことの次第を犀首に告げた。犀首「私もまだ、おいさめ申すのに適任ではない。それには恵公しかおられまい。ひとつ恵公にお願い申し上げてみよう」。恵公は「承知しました」と言った。

 恵子は車に乗って太子を訪問した。「御葬儀の日取りが決まりましたとか」。太子「そう」。恵公「昔、王季歴は楚山のふもとに埋葬されましたところ、漏れ水がその墓を侵食し、棺の頭が、露出しました。そのとき文王は、「ああ。これはきっと先君が、今一度、群臣や人民たちに会いたがっておいでなのだろう。だからこそ、漏り水に棺の頭を出させなさったのだ」と申されました。そこで、棺を掘り出して朝廷に帳を張ってさしあげ、人民たちまで皆お目通りしました。そして、三日のちに葬り直されたのでした。これが、文王が子としての道を尽くされたなさりかたなのです。

 いま、御葬儀の日取りが決まっておりますのに、雪がひどく降って牛の目の高さまで積もりました。これでは、挙行し難うございます。太子には期日どおりに行おうとなさるために、埋葬をお急ぎになっているきらいはないでしょうか。どうか太子には、期日をお改め願いとうございます。先王はいましばらくとどまって、社稷を守り人民を安んじようとお望みであるのにちがいないのです。さればこそ雪をこんなにお降らしです。この場合、予定を取りやめて日取りを決め直すのが、文王に倣ったなさりかたです。この状態であるのにそうなさらないのは、思うに文王をお手本とすることを恥じておいでなのでしょうか」。太子は「たいへんけっこうなお説。謹んで予定を取りやめ、改めて期日を選ぶこととしよう」と言った。

 恵子はただその説を実行に移したのみならず、また魏の太子に、その先王の埋葬を延期させ、その機会に、文王の徳義を述べた。文王の徳義を述べてそれを天下に示したことは、どうしてささやかな功績であろうか。」

(三一一 魏上 襄王1)

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弁舌なるかな。

posted by Fukutake at 08:42| 日記