「田中美知太郎全集 15」 筑摩書房 昭和六十三年
勇気 p276〜
「自分がつね日ごろしたいと思っていても、いろいろな遠慮から出来ないでいることを、だれかほかの人がしたりすると、驚きと羨望の意味をこめて、わたしには勇気がないなどと考えたり、言ったりする。 しかし勇気というのは、そんな時にすぐ言っていい言葉なのか。 わたしたちが日ごろしたいと思っていることには、いろいろな邪悪な欲望があるはずである。 わたしたちが敢えてそれを実行しないのは、遠慮があり、恐れる気持ちがあるからだ。
ひとはこのような恐れを弱さとみて、そのような恐れを乗り越えた行動に、恐れを知らぬ勇しさを見るわけなのだろう。 しかし恐れを知らぬということが、すぐに勇気となるのかどうか。 それは無自覚、センスの欠如、恥知らずなどによる場合が少なくない。 勇気は何ものも恐れないというような、単純なことではないのである。
むかしの人は勇気について、恐れるべきものを恐れ、恐れべからざるものを恐れないことにあると言った。 勇気は恐れなしというだけのことにあるのではなくて、いつも恐れと共にあるものだと言わなければならない。 恐れるいわれのないことを恐れるのは、たしかに臆病であり、卑怯である。 しかし恐れるべきものを恐れるのは、むしろ勇気の一部である。
世間の非難を恐れることも時により正しいこともあれば、また正しくないこともある。 わたしたちは三尺の童子の無邪気な眼をも恐れなければならないことがある。 そして恐るべきことと恐るべからざることとの区別に迷わなければならないこともある。 勇気のもとには正しい認識がなければならない。」
(朝日新聞 「天窓」 一九七一年七月二十四日)
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