2022年12月09日

ロンドンの漱石

「漱石全集 第二十二巻」 初期の文章 岩波書店 

倫敦消息 p14〜

 「…何の爲にこんな切り詰めた生活をするんだらうと思ふ事もある。エー構わない。本も何も買へなくても善いから為替はみんな下宿料にぶち込んで人間らしい暮しを仕様といふ氣になる。夫からステッキでも振り回して其邊を散歩するのである。向へ出て見ると逢ふ奴も逢う奴も皆んな厭に背が高い。御負に愛嬌もない顔ばかりだ。こんな國ではちつと人間の背に税をかけたら少しは倹約した小さな動物が出来るだらう抔と考へるが、夫は所謂負惜しみの減らず口と云う奴で、公平な處が向ふの方がどうしても立派だ。何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。向ふから人間並外れた低い奴が来た。占めたと思つてすれ違つて見ると自分より二寸許り高い。此度は向ふから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思ふと、是即ち乃公自身の影が姿見に寫つたのである。

 不得已苦笑ひをすると向ふでも苦笑ひをする。是は理の當然だ。夫から公園へでも行くと角兵衛獅子に網を被せた様な女がぞろぞろ歩行いて居る。其中には男も居る。職人も居る。感心に大概は日本の奏任官以上の服装をして居る。此國では衣服では人の高下が分らない。牛肉配達抔が日曜になるとシルクハットでフロックコート抔を着て澄まして居る。然し一般に人氣が善い。我輩抔を捕へて悪口をついたり罵つたりするものは一人も居らん。ふり向いても見ない。當地では萬事鷹揚に平氣にして居るのが紳士の資格の一つとなつて居る。無暗に巾着切りの様にこせこせしたり物珍らしそうにじろじろ人の顔なんどを見るのは下品になつて居る。殊に婦人抔は後ろを振りかえつて見るのも品が悪いとなつて居る。指で人をさすなんかは失禮の骨頂だ。習慣がこうであるのにさすが倫敦は世界の勤工場だから餘り白い方ではないが先ず一通りの人間といふ色に近いと心得て居たが、此國では遂に人−間−を−去−る−三−舎−色*と言わざるを得ないと悟った。…

 此間或る所の店に立つて見て居たら後ろから二人の女が来て、“least poor chinese” と評して行つた。least poor とは物匂い形容詞だ。或る公園で男女二人連があれは支那人だいや日本人だと争つて居たのを聞いた事がある。二三日去る所へ呼ばれてシルクハットにフロツクで出掛けたら、向ふから来た二人の職工みた様なモノが a handsaome Jap.といつた。難有いんだか失敬なんだか分からない。…こんな事を話す積りではなかつた。一寸一服してから出直さう。…」

人−間−を−去−る−三−舎−色* 白色人の中にまじった黄色人の皮膚の色の、人間離れして見えるというのを面白く言ったもの。
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posted by Fukutake at 07:43| 日記