2022年12月05日

We are mortals

「死ぬことが怖くなくなる たったひとつの方法 ー「あの世」をめぐる対話」 矢作直樹 x 坂本政道 徳間書房 2012年

死ぬけど死にたくない(矢作) p92〜

 「ロバート・モンローの著書なんかを読むと、常識を打ち破っていますね。 でもこれがとても重要な気がします。
 憑依の問題にしても、科学者も医者もまずもって認めません。 不思議な現象があちこちで起きているのに、自分たちの知っている範疇に強引に押し込めようとしますから、これは科学的思考とは言えません。

 AならばB、BならばC、従ってAならばCという整然とした論理があるのだけれど、その一方、ある対象、事象に関してはその論理が適用されない場合、大半の学者は突然、理性的で無くなります。
 どんなものでもそうですが、個人的な感情というか好き嫌いが入ると、途端に理性的に判断できなくなりますし、邪心が働いてダメになります。 これは科学に限ったことではありません。

 そう考えると、死と生というのもある意味、個人的な感情を抜きにして追究していくことが必要なわけです。
 他のテーマやジャンルに関する論議には積極的だったり、すごく雄弁な人が、「あの世」というテーマについて振られると突然、寡黙になったり、キレたり、つまりは一切の情報交流を遮断してしまうのは、もはやその時点で本物の科学者ではないということを意味します。

 一〇〇年後には死んでいるのに、でも何とかそこから逃れようとするという、これはある意味でのパラドックス(妥当と思える推論から受け入れ難い結論が導き出されること)です。
 そんなパラドックス感が人類のほぼすべてに存在するということが、逆に私には不思議でなりません。

 理解するかしないか、受け入れるか入れないかに関係なく、死は誰もが等しく現実に迎えるものであり、そこに執着しなくてもいいのだけれど、心構えとして意識の中に入れておいてもいいではないですか。
 しかし、それさえ拒むというか意識しようとせず、逆にちょっとの先の未来まで不老不死に関する錬金術的な技術が生み出されるのではないか、自分は死ななくて済む、病気で悩まなくて済むのではないかという、妙な期待感を持つ人もたくさんいます。

 そこには多分、誰もが読んで、あるいは聞いて、「なるほどね」と腑に落ちるような書き方で、死を巡るさまざまな論点を解決した人が今まで皆無であることから、難しいのかもしれません。」

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posted by Fukutake at 08:28| 日記