「日本的革命の哲学」 山本七平 PHP 昭和五十七年
明恵上人 p92〜
「明恵上人は講義・講話の名手であったらしく、二十一歳のとき東大寺の弁暁から公請(仏法の講義のため朝廷に出仕すること)の依頼をうけとっている。 これは隠遁のため実現しなかったが、彼に「話術の天才」といえる一面があったことは、多くの説話に表れている。 これが(北条)泰時のみならず多くの人を引きつけた一因であろう。 だがこのことは決して、彼が、世俗的世界に何らかの関心をもち、講義を通じて政治的影響力を行使しようとしたわけではない。
では一体こういう人が、大きな政治的・社会的影響力を持ち得るのであろうか。 それはありそうでもないことに思われるが、最も非政治的な人間こそ、大きな政治的変革を誘発し得るのである。 これは一見奇妙に見える逆説である。 しかし最初に記した西欧型革命を思い出していただければ、この「誘発」があり得て不思議ではないであろう。 もちろんそれはその「誘発の型」が泰時においても同じだと言うことではないが、基本的図式は同じである。 西欧型革命の祖型は、体制の外に絶対者(神)を置き、この絶対者との契約が更改されるという形ですべてを一新してしまう「申命記型革命」であることは前述した。 この場合それは、現実の利害関係を一切無視し、歴史を中断して別の秩序に切り替えるという形で行われるから、体制の中に絶対性を置いたら行ない得ない。 従って革命は宗教乃至は二十世紀的宗教すなわちイデオロギーを絶対化し、これのみを唯一の基準として社会を転回させるという形でしか行ない得ないわけである。
この点では泰時の前提も同じであり、体制の内部に絶対性を置けば、それは天皇を絶対としようと幕府を絶対としようと、新しい秩序の樹立は不可能である。 というのは天皇絶対とすれば天皇の利害が絶対化する。 そうなれば第一、承久の乱を起こすことさえ不可能である では幕府を絶対とすることができるのか。 武力で天皇政権を倒した幕府を絶対化することは武力を絶対化することであり、それを実現するためには簡単にいえば、強力な軍事政権が必要だが、これまた現実には不可能である。 火器が発達し、そのため民衆の抵抗力が甚だしく減殺され、さらに恐るべき機動力が地球を狭くした現代ですら、武力の絶対化は不可能である。 まして「自主参加の御家人集団」の「軍事政権化」がナンセンスであろう。
では、武力で一応政権を奪取した段階で、人びとの意識を改革して幕府絶対化の文化大革命を起こすべきであろうか。 だがそれは不可能である。 幕府を絶対化すれば幕府の利害が絶対化する。 その場合、泰時がいかに利害を絶対化すまいとしても、幕府のほかに絶対化の基準がなく、それは現実に統治している以上すでに体制の中にあるのであって体制の中にあれば現実の利害の中にあることは避けられない。そうなれば第二の後鳥羽上皇に転落するだけであろう。 この失敗は文化大革命によく現れている。 毛沢東個人がたとえどのような意図を持とうと、彼の周囲にある者は、現実の利害に対応して動かざるを得ず、それは彼の側に立つように見えようと、彼に反対する側に立つと見えようと同じであるからである。 この点から考えれば、現実に世の中に寄食しつつなお「世直し運動」をやるなどということは、はじめから意味はない。 現にその種の「運動」で社会が変革したという例はあるまい。 それは権力と権威を一身に兼ね備えたような毛沢東でも不可能なことであった。」
----
現中共政権はマルクス主義イデオロギーをも無視し、自己絶対化を推し進めている。 政権の内部に絶対者がいる限り、いつかは他の基準(内部崩壊、外国、不平勢力により倒される宿命にある。