「「オーイ どこ行くの」ー夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成十四年
時代遅れの日本男児 p82〜
「藤原正彦なんて平凡な名だから気がつかなかった。 新田次郎と藤原てい夫妻の次男で一流独自の数学者である。
その話を聞きたいと、「室内」五月号(平成四年)の「人物登場」に登場してもらった。
むろん自宅の話も面白かったが、アメリカとイギリスの話の方がもっと面白かった。 私は知識も学問もないものが海外に遊んでも何の得るところがない。 ことに団体旅行は日本がそのまま移動するだけで、あれは大仕掛けのはとバスだと見ているが、この人二十代の終わりに五百人のなかから選ばれて、コロラド大学の助教授になった人である。
それでいてハワイに近づいた時は「見よ東海の空あけて」をおのずと歌った人である。 また真珠湾を見物したときガイドがあまりしつこいので、戦争に不意打ちはつきものだ、どこが悪いと腹をたてた人である。
はじめて教壇に立つときたった一人の日本人だ、バカにされてたまるかと武者ぶるいして、いやこんなときは「王将」を口ずさむと落ちつくと低くつぶやいたという。
いつも日本男児として振舞おうとして、次第に敵愾心が去るプロセスを描いて何より自然なのがいい。 知識と学問のある人が旅をすればそれだけのことがある一例である。
国際化というのは英語なんかしゃべることではない。 英国では誰だって英語を話す。 イギリス人の冗談しゃれ会話のすべては、シェイクスピアをふまえている。 一数学者が朗々と暗誦するのを聞いてそう思った。 なまじ英文学をかじったなんてのはバカにされるだけだ。 それより和漢の古典をしっかり読んでおいたほうが互いに友になれる。
読んでついこの間まで日本人も皆そうだったことを思い出した。 主人は店の者にお前なんのために芝居を見ていると叱った。 「伊勢音頭」の主人公は「身不肖なれども福岡貢(みつぎ)、女をだまして金とろうか」と言うから、見物は女をだまして金をとるのが最低だと知るのである。 忠臣蔵は芝居の独参湯*(どくじんとう)だといわれた。 私たちの冗談もしゃれも笑いも、みんな芝居をふまえていた。
大正十二年の大地震のとき、すでに火は日本橋の私の母の実家に迫っていた。店の若い衆金どんはつづらを背負った、その姿があんまり大時代なので店の女たちがどっと笑ったら、、金どん延若の声色で「つづら背負(しよ)ったがおかしいか」と言ったという。石川五右衛門のせりふである。
ふだんの会話のなかにかれにシェイクスピアがあるように、我に忠臣蔵以下無数の狂言があったのである。 大震災を境にそれは滅びた。 私たちはとり返しのつかないものを失ったのである。
藤原正彦いわく、親不孝を見ると腹がたってたまらぬ、云々。 私は久々で時代遅れの日本男児を見る一種爽快な思いをした。」
独参湯* 元は漢方薬で、万能薬といわれた。仮名手本忠臣蔵は人気作で常に大入りが期待できたため、客入りの悪くなった劇場の起死回生の薬として「芝居の独参湯」と呼ばれた。
(平成四年五月二十八日号)
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