「井伏鱒二全集 第十一巻」(随筆) 筑摩書房 1965年
よごのうみ p170〜(旧仮名遣いを直しました)
「私が子供のときの話だが、あるとき麻疹にかかって寝ていると、私の兄が隣の部屋で本を読みだした。 いつになく大きな声で朗読する。 何か羨ましいようなものであった。 教科書を読んでいたのか少年雑誌を読んでいたのか知らないが、内容は昔の逞しい武者の逸話である。 今もおぼろげながら覚えている。
それは関ヶ原の合戦か賤ヶ岳の合戦後の話であるようだ。戦乱がすんで世の中が平和を取返し、どこかの城中に登城していた武士たちが、嘗て戦場を往来していたときの経験談を順番にやりはじめた。 やがて、そのなかの或る一人の話す順番が来た。
「それでは、自分も合戦の場の思い出を一つ語りたい。 自分は弱年のころより数多の合戦に加わって、数多の敵と槍を交わしたが、いかにも奥ゆかしい敵と感じた敵武者には大して遭わなかった。 しかし、ただ一度そういう敵武者に遭った。」
こんな前置きでその武士は語りだした。
その合戦の場所は近江の余呉湖(よごのうみ)のほとりである。 払暁から午後へかけて乱戦にその武士は数多の敵を打取ったが、みんな雑兵ばかりで目ぼしい敵には出会わない。 もはや西の山に日が沈みかけていた。 よき敵はないかと余呉湖の岸づたいに敵の姿を捜し歩いていると、向うから鎗を小脇に抱えた立派な鎧姿の敵武者がやって来た。 そこで声をかけ、いざ勝負と鎗をかまえると、敵武者は落着きはらってこう云った。
「我らは、今朝ほどより数多の雑兵を討取った故、我らの鎗は雑兵どもの血糊でよごれておる。 故に、そなたをこの鎗で突いて進ぜるのは失礼だと考える。 今、我らの鎗を洗い濯ぐまでお待ちあれ。」
その敵武者は湖水の水で鎗を洗い、一つ二つしごいて身構えた。 そこで鎗と鎗との闘いがはじまったが、相手は見事な構えでこちらの附込む隙がない。 こちらも油断なく構えていた。 無論、一つ二つは合わせたが勝負がつきかねて、お互いに構えているうちに敵の顔も見えなくなるほど日が暮れて来た。
「暗い。 見えなくなった。 本日のことろはこれで措き、また他日合戦のとき勝負を決したい。」
敵武者がこう云って鎗を伏せたので、こちらも鎗を引いて後にさがった。 もうそれきりその武者には遭わないが、思い出しても気持ちのいい武者であった。 お互いに名のりもあげないし、旗指物もお互いにちぎれ去っていたのだから名前もわからない。 あの武者は今どうしているだろう。 思い出すたびになつかしく思う。 敵前で鎗を洗うとは奥床しい。」
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2022年09月28日
戦乱の中のおくゆかしさ
posted by Fukutake at 11:22| 日記