2022年08月30日

畏怖心の決壊

「kotoba」 コトバ第2号 季刊誌 2011年冬号 集英社

 「資本主義をその根本から疑う」中谷巌x長谷川三千子 p29〜

 グローバリゼーションは善か

 「長谷川 資本主義というものを、何か「できあがったもの」として捉える発想自体が誤りではないのかと私が思いついたのは、もう二〇年も前なんです。「できあがったもの」であれば、スピードを緩めるとか、こっちの方向にもっていこうとかも可能かもしれない。でも逆に、何かが決壊した結果が資本主義経済と呼ばれているのだとしたら、暴走を止めるのはほとんど不可能ではないか。諦めてはいけないけれど、それほど難しいことだという覚悟を固めてかかる必要があると思う。あらゆる生物の中で人間だけは自らの生存のために地球を利用する力を手に入れた。ということは、近代資本主義が何千年も前に形作られていたとしても不思議じゃない。実際、単に地球全体を交易のネットワークが覆うという意味でなら、千年前からグローバル経済が成立していたことになります。宝石とか織物とか、貴著な奢侈品が世界中で取引されていた痕跡は多いんです。でも、そのころにはグローバル経済も資本主義もなかった。いったいどういうことなのかというと、結論は、ほとんど地球を半周するぐらいの交易網があったとはいっても、それが日常の生産とかかわり合うことはなかった。いわゆる「交通」と「生産」が交わることになる契機が、十五、十六世紀のアメリカ大陸"発見"だったのです。

中谷 資本が移動することになって、科学革命もその後押しし、人間の自然に対する畏怖心が解き放たれて、生産力が異常に高まった。そしていわば畏怖心の堤防をドドっと決壊させた。

長谷川 そこで何が決壊したのかと振り返ってみる必要があります。それまでは土地という非関税障壁が欲張りたちを縛っていたから、爆発的な生産は阻まれていた。ボーダーレスのグローバル経済というのは、まさしくそうした障壁を悪と見なして取り払っていくイデオロギーですよね。一方、それぞれの土地本来の暮らしが優先されるべきだという思いも人々にはある。先生は二十年前、「経済のボーダーレス・エコノミーと政治のナショナリズム。二つの異なる原理が両立してるのが現代世界だ」と喝破されていましたが、近年はナショナリズムがガタガタに崩れるとともにボーダーが消えかけている。…

 (最近は)反グロバリゼーションを旗印にしている左翼の人たちまでが、日本は移民国家になるべきだと言います。共生社会だと。でもそれは違うと私は思います。まず、やってくる人たちにとって本当に幸せな選択とは思えない。それぞれ土地に根ざしたものなのですから。文化と歴史を失って生きるのは幸せとは言えません。日本はむしろ、移民を生み出してしまうような国を内側からたて直す手伝いをすべきです。」

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posted by Fukutake at 07:55| 日記