2022年08月16日

ルソーの夢想

「孤独な散歩者の夢想」 ルソー 青柳瑞穂=訳 新潮文庫

第九の散歩 p152〜

 「僕が子供を孤児院に入れたという非難は、わずかな言い回しから、残忍な父親だとか、子供がきらいだとかとかいう非難にすぐ悪化したのだということがわかる。 しかしながら、このような行動を僕に決心させた一番のことは、これをしなければ、子供たちにとって千層倍も悪くなる運命、この方法以外には避けがたい運命を恐れたためだった。 かりに僕が、子供たちの行く末にもっと無関心だったら、それに、どっちみち自分の手で育てることははできぬとすれば、僕のような境遇では、子供を甘やかしてしまう母親の手や、子供を奇形児にしてしまう母親の家庭に委ねたはずだった。 そんなことをしたら大変だった。 思っただけでもぞっとする。 そしたら、僕の場合、人々が僕の子供たちをどんなふうにしてしまったか、それはおそらくマホメットがセイドを台なしにしたくらいではなかったろうと思う。 そして、このことについて、その後、人々が僕に罠を仕掛けたことを見れば、その計画が前から仕組まれていたことがわかる。 実のところ、当時の僕はこのような残酷な陰謀を予知するどころではなかったのである。 それどころか、子供たちにとって最も危険の少ない教育は、孤児院のそれだということを知っていたのである。 それで僕は彼らをそこへ入れた。 もしそういう事情なら、僕は今でもやっぱり、前ほどの危惧さえなくてそうするだろうと思う。 そしてたとえ習慣が天性を助けることのいかに微小であったにせよ、僕くらい子供に親切だった父親はなかったろうと思う。

 僕が人間の心を知るうえにおいていくばくかの進歩をしたとすれば、子供を見たり観察したりする楽しさが、僕にこの知識を得させてくれたのである。 この同じ楽しさが、青春時代においては、人間の心を知るうえに一種の障害になっていたのだった。 というのは、そのころの僕は、子供たちと一緒になって、あまりにも楽しく、嬉々として遊んでいたので、彼らを研究することなど念頭になかったのである。 しかし年老いるにしたがって、僕の老いぼれ顔が彼らを不安にするのを見たとき、僕は彼らの邪魔をするのを差控えたのである。 僕は彼らの歓びをみだすよりは、自分の楽しみを断念するほうがよかったのである。 そこで、彼らの遊戯や、他愛のないいたずらを見て楽しむだけで、甘んじたのであるが、はからずもこの観察によって、これまでわが国のいかなる学者も何ら知るところのなかった、自然からくる、最初の真の動作について大いに啓発されたので、これによって僕は、自分のはらった犠牲の償いをしたわけだった。 僕がこの調査に没頭したこと、それも楽しかたので、つい綿密にやったという証拠は、これを自分の著書の中に記入しておいたつもりである。 それにしても、「新エロイーズ」や「エミール」が、子供を愛さない男の作物であるなどとは、とうてい信ずべからざることであろう。」

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不思議な文章
posted by Fukutake at 08:36| 日記