「新型コロナウィルス蔓延下の在宅医療」 小堀鷗一郎
學士會報 May 2021-V 掲載の講演録(抄)より
死を考えなくなった日本人 p72〜
「コロナ禍が引き起こした問題のうち、家族を最も悩ませているのは、自宅療養中の高齢者や末期患者の容態が急変した時、どこへ電話したらいいか分からない、すぐに救急車が来てくれないというものです。
私の勤務する病院にも、「発熱したのでかかりつけ医に往診をお願いしたが、診てもらえない。どうしたらいいか」という相談がたくさん寄せられます。その度私たちは、「新型コロナウィルス感染の有無にかかわらず、肺炎が疑われる高齢者は、入院して濃厚治療をして元通りのに回復することは難しい。患者の最後をどのような形で迎えるか、考えておいてください」と説明します。
皮肉にもコロナのお陰で、患者の「死」について、事前に話せるようになりました。患者や家族は、九十五歳の親が歩けなくなっても、病院に搬送して治療してもらえば、元通りに元気になると当然のように考え、人間はいずれ老いて死ぬという認識が全く感じられない方がほとんどです。七十歳を超えた息子が九十五歳の親の死を全く考えていないのです。自身も七十歳を超えているのですから、死について考えていてもおかしくないはずですが、それも想像していないのです。
実は多くの高齢者が、「自宅で死にたい」と望んでいるいます。…
「末期がんと診断され状態は悪化し、今は食事が取りにくく、呼吸は苦しいが痛みはなく、意識や判断力は健康な時と同様に保たれている、しかし回復の見込みはなく、およそ一年以内に徐々にあるいは急に死に至る時、どこで最後を迎えたいか」と尋ねたところ、一位が自宅(六十九.二%)、二位が医療機関(十八.八%)だったのです。
私が診ていた九十代の女性患者も、病院を忌避していました。彼女は喫茶店を経営する娘夫婦と同居していました。コロナが流行する以前、高熱で近くの救急病院に搬送された時、初めて導尿をされ恥ずかしく感じ、「二度と病院には行かない」と決意しました。そこで私が定期的に訪問診察をしていたのですが、高齢のため、いつ亡くなってもおかしくない状態でした。私は娘夫婦に、「心置きなく喫茶店に働きに行きなさい。デイケア施設から容態急変の電話があったら、私に電話をください。適切に処置します」と説明し、思い描いた通り、自宅で旅立って行きました。
とはいえ、死を忌避して来た日本人の特徴は、簡単には変わらないでしょう。大半の日本人は今も、「コロナで死ななければ、永遠に行きられる」と思い、死を極端に忌避し、コロナを過度に恐れています。
後輩の若い大腸がんの専門医が言っていました。「大腸がんによる死者は一年間に約五万人だ。二〇二〇年十二月十日現在、国内にコロナによる死者は二千四百人を超えたが、大腸がんなら二〜三週間で達成してしまう数だ。命に関わる疾患はたくさんあるのに、何故コロナだけ、ここまで大騒ぎするのか?」と。」
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死を向こうへ追いやって、生きることは楽しくなったか?