2022年05月29日

戦死者から

「現代民話考 9」 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年

死者よりの桜 p209〜

 「昭和二十年ルソン島でひどい熱病に罹った。私はもう助からないと思い、戦友に「死ぬ前に桜の花がみたい」といった。出征した時。汽車の窓から戦友と見た桜の花が、忘れられなかったからだ。戦友はすぐ山へ桜を探しに行って間もなく、花をつけた桜の枝をかついできてくれた。だが戦友の様子がおかしい。花を私に渡すと口もきかずに行こうとする。あわてて後を追おうとして目が覚めた。高熱でうなされ、二日間も眠っていた後だった。しかしその間に戦友は死んでいた。私のために山へ桜を探しに行って、住民に殺されたのだった。手に桜の花そっくりの花をつけた枝をにぎって、死んでいたそうだ。戦友が私のところへ届けてくれた時には、もう死んでいたのだ。死んでまでもあの世から私に桜の花を届けてくれたのだった。」

 「昭和十四、五年の太平洋戦争に突入前後の頃だったでしょうか。幼かった私の耳に入った話ですが、私の生まれた新潟県東頸城郡松代村千年に「佐治兵エサ」という中位の豊かな地主の家があります。その家の前は崖になっていて、そこへ一本のそう大きくもないケヤキの木が生えていました。それが雪の中で突然倒れてしまいました。家の人はびっくりして、倒れるような条件のない木が転んだというので怪しんでいたところ、間もなく次男坊の戦死公報が入ったということです。この次男はかなりの腕白坊主で、しょっ中このケヤキによじ登って遊んで育ったというのです。ですからあの腕白坊主の霊が帰ってきて腕だめしに木を転ばせたのではないか、と噂があったものです。」

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posted by Fukutake at 06:27| 日記