2022年05月28日

太古の知恵

「NHK アインシュタイン・ロマン 4」宇宙創生への問い 日本放送協会 一九九一年

 「アフリカ、サハラにすむドゴン族の宇宙哲学は、ある意味でビッグバン宇宙論と非常によく似た構造をもっているという。…

 ドゴン族のいくつかの村を統率するドロ長老は、賢者のなかの賢者として、人々の尊敬をあつめている、つねに笑顔をたやさず、「人格の力」を感じさせる人物である。
 ドロ長老に世界のはじまりについて、単刀直入にきいてみた。長老は砂に図をかきながら、かんでふくめるように説明してくれた。

「はじめにはなにもなかった。完全な無であった。そこに小さな種子が突然、
発生した。それがあるとき、爆発して四方八方に飛びちり、世界が一挙に膨張したのだ」
ーなぜ、宇宙は四方八方に飛びちったのですか。
「そのことによって方角というものができたのだ。だからこそ私たちの周りの空間というものは四方八方にひらけているのだ。したがって宇宙の種子の爆発は、当然、どの方向にもおなじようにひろがっていなくてはならなかったはずだ」
ーでははじまりの前はどうなっていたのでしょうか。
「(笑う)それは、くだらない質問だ。はじまりの前は完全な無であったとわしがいったのをおわすれなのかな。そこからさき、いくらそのような質問をくりかえしてもムダだ。無から自然に種子ができ、それが膨張して宇宙になった、そこから先を質問してもこたえられるわけがない」…

 はじまりの問いについては、ドゴン族の人はだれもなやみくるしんではいない。「なにもないところから忽然とすべてがあらわれた」ということになんの心理的抵抗はないからである。
 もっとも、文明人だって「なにもない」ということにさほど抵抗があるわけではない。案外、ふつうの人は、そのことに深いうたがいをいだいたりしないものである。このことに抵抗があるのは科学の専門家である。「なにもない」ということが科学のことばでどう記述できるかがさっぱりわかっていないのだら、これも当然のことだろう。

 長老たちはいう。
「世界がなぜ、どのようにはじまったか? そのような難問を解決したと主張する人はつぎからつぎへあらわれるだろう。しかしそのような人をかんたんに信用してはいけない。そのほとんどはウソである」
 このことばがいかに含蓄に富む言明であるか、この本を最後まで読んだ人にはわかってもらえるだろう。
 ドゴン族の長老の名セリフをもうひとつ。

 「ブラックホールというものがあっても少しもふしぎではない。しかし、ブラックホールにおちこむのはホワイトマンだけだ。われわれではない」

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『ないものがある』とは。
posted by Fukutake at 09:43| 日記