2022年05月27日

もっと取れ

「やぶから棒 ー夏彦の写真コラムー」 山本夏彦 新潮文庫 平成四年

タダほど高いものはない p142〜

 「ほかのテレビはタダなのに、NHKだけは金をとる、皆さん払うのをよしましょうとそそのかすものがあるが、私は不賛成である。

 ほかのテレビというのは民放のことだろう。山本七平氏いわく、民放は莫大な広告料で経営されている。スポンサーはその費用を全部製品に転嫁してる。五年前の調査だが、その総額はひとり年間一万円に当ったという。五人家族なら五万円である。それはビールや酒の間接税に似て、国民は払っている自覚がない。
 ビールや酒は飲まなければ払わないですむが民放で広告している商品は、「広告料転嫁をのぞいた値段」で買う方法がないかぎり、払わないわけには行かない。これでは下戸まで酒税を払わされているようなものだ云々。
 私はこの世にタダのものなどありはしないと思っている。それなのに民放はタダだとだまされて、ついでにNHKまでタダにせよなんて気勢をあげるのは見当ちがいだと思っている。

 私は民放もNHKも、もっともっと金をとればいいと思っている。一ヶ月五万円十万円とるがいい。それがいやなら番組ごとにコインを投じさせるがいいと、何度も書いて恐縮だが書かせてもらう。
 「なっちゃんの写真館」一回百円と聞けば、たいていの人はコインを投じようとしてやめるだろう。こうして番組は厳選された女子供がテレビを見る時間は激減し、視聴率などという不確かなものではなくて、番組ごとに○千○百万円という確かな収入があるだろう。

 「芸」は客が劇場へ出むいて入場料を払ってひまをつぶしてくれて始めて芸である。タダで先方からおしかけてくる芸にろくなものがあるはずがない。
 タダは芸人と客を無限に堕落させる。コインを投じれば芸人と見物の仲は回復する。一家の団らんも回復し、あのテレビの百害といわれるもののたいていは一掃され、すべてはまるく納まるだろう。

(週刊新潮 昭和五十五年八月二十一日号)

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この世は知ってダマされ、それで満足。

posted by Fukutake at 09:15| 日記