2022年05月27日

九条は国を滅ぼす

「九条を読もう!」 長谷川三千子 幻冬舎新書 2015年

九条は平和を破壊する p48〜

 「もっとも徹底した平和主義を唱える人々は、九條二項こそが真の平和主義なのだ、と主張します。

 過去の数々の戦争の歴史をふり返ってみると、どの国も、これは自衛のための戦争だ、制裁のための正しい戦争だ、と言って戦争を始めている。そしていざ戦争になってしまえば、人が人を殺しても罪になるどころか英雄とたたえられ、無数の人間が血と泥にまみれて死んてゆく、という現実があるのみ。戦争が人類最大の愚行であることが分かっていても、それを断ち切ることができないのは、九條二項のような思い切った戦争放棄を誰もしようとしないからである。わが国はせっかく、世界に先がけてこうした完全なる戦争放棄規定を持っているのだから、解釈改憲などでウヤムヤにすることなく、真正面から九條二項を掲げてつき進むべきものであるー こうした主張がしばしば語られて、ここはたしかに、聞く人を深くうなずかせるものがあります。

 しかし、ただ一つ、この主張が見落としている重大なことがある。それは、このような徹底した戦争放棄、戦力不保持は、ある一国の憲法規定にしてしまってはダメだ、ということなのです。
 実は、まさに九條二項を先取りしたような、完全な戦争放棄ー 「戦争違法化」ー の理論が、第一次大戦後のいわゆる戦間期に、アメリカで唱えられたことがありました。

 ただし、このような全面的な戦争放棄、戦力不保持が世界平和と結びつき売るのは、それが世界全体のシステム変革として行われるかぎりにおいてのことなのです。もし仮に、一国だけそのようなことをしたとすれば、それは単に、この国際社会のなかに軍事の空白地域が一つ出現する、ということに他ならず、それは世界平和への第一歩どころか、世界平和にとってもっとも危険な事態をひき起してしまうのです。

 そもそも国際社会における「平和」とは、いかなる「力」も存在しない状態のことではありません(もし仮にそのような「平和」がありうるとして、地球上にそうした「平和」が訪れるのは、地球上のすべての生物が死に絶えたのちのことでしょう)。力と力とがせめぎ合う、この国際社会の現実のなかで、「平和」とはどんな状態のことなのかと言えば、それは<力と力とが均衡を保っている状態>以外ではありません。ですから、そのなかに軍事の空白地域が生じることは、ある一国の軍事的突出と同じくらいー いやそれ以上に危険なことなのです。九條二項は、もしそれが条文どおりに守られるなら、「平和条項」どころではない、「平和破壊条項」そのものになるのです。
 「平和破壊条項」であり、かつ「戦法破壊条項」であるー これが日本国憲法第九條二項の真相です。」

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posted by Fukutake at 09:10| 日記