2022年05月24日

死者の音ない

「現代民話考 5」 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年

死者の音ない(2)

 「昭和二十五年のこと。私の母は胃癌で永眠しましたが、その日の朝「きょうはあなたが、遠い遠いところに行くような気がしてならないから、できるだけそばにいてちょうだい」と申しました。そしてその晩、気分がいいからと布団に起き、私のこれからの生き方について、いろいろ話してくれました。そのあと眠るように昏睡状態になりました。懸命に呼び続ける私に、明方行った言葉は「きみこちゃん、下駄を出してちょうだい」でした。母の死の知らせに駆けつけた親戚の者の中のT叔父が、明方下駄の音がして、玄関の扉が開いたので、叔母と一緒に飛び起きたと申しました。実は死ぬ前、母が私に話をした時、なにか困ったことがあったらT叔父に相談しなさいと行っていたのです。私は母があの時、十代の一人娘のことが心配で、T叔父達にたのみに行ってくれたのだと思います。

 静岡県島田市宝来町。 昭和五十四年のこと。母は信心家で私が結婚し、夫の会社の社宅に入ると、神棚とお札、御幣まで一式を我家にもって来ました。或日の朝食どき御幣が、カタンと音をたてて倒れました。一瞬いやな予感が走りました。午後、愛知県の実家にいる妹から平戸橋(地名)の叔母さんが自殺したとの電話です。時間が丁度、叔母が自ら命をたった時間とほぼ一致するのです。叔母は私を大変可愛がってくれており、叔母の中ではただ一人、我家をおとずれ神棚に手を合わせた人でした。

 佐賀県杵島(きしま)郡白石町今泉。 昭和三十五年十月十一日の朝、父は最期を迎えた。時明かり(意識が戻り、一時的に正常になる事)だ、と親戚の庄八じいさんがいった。
「早よう、みんな別れば言いなさい」。父は「小さな弟妹は、眠いだろうから起こさなくてよい、七人の子らは心配ないが、京子だけは心配で死にきれん」と私の事だけしきりに兄や庄八じいさんに頼んでいった。「さあ、父さんはもう逝くけん兄弟仲良く生きてくれ、もう医者は迎えなくてもよいからな」と目をとじた。中学の弟は、急いで町までお医者を迎えに自転車で走った。長崎県佐世保市にいた伯母が胸騒ぎがして、気分が悪くなったのと弟の自転車のライトが突然、消えた時間が父の死亡時刻が一致するのがすごく不思議に思えます。朝方五時十分です。弟は、ああ、父が死んだんだと思ったそうです。その後、その自転車のライトはついていて、壊れるまで、消えることはなかったそうです。

 福島県。 昭和三十年頃。友人から聞いた話。葬箱というのは忙しいもんでさってばさあだ(すぐ必要だ)と。そこで昔は葬儀屋さんなんとねえから、大工殿手間のあいて居る時、手頃な材料で造って置く。外から見える処には置かぬが、常時三つ四つ位は仕事場の裏等に置いたものだと。百姓達は出来たのは高い、と言って板を買って来て造る。リアカーに板を積んで来多勢集まって、トンカチ、トンカチ造るんだが、ある時、夜中に大工殿の仕事場がたいそう賑やかだと。ネズミでも出たかとのぞいてみたところ、姉と弟らしい童(わらし)が二人、棺桶のふたをとって並べて、出たり入ったりキャッキャッと遊んでいた。次の日、棺買いに来た者が語るには、弟が池に落ち助けようと姉も落ちて死んだと。」

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死はそばにある。 

posted by Fukutake at 12:40| 日記