2022年05月06日

物書き物を書く

「鞄に本だけつめこんで」 群ようこ 新潮文庫 

原稿を書くのは楽しいか p229〜

 「私が物書きになってから、はや二年が過ぎた。「何であたし、こんなことしてなきゃいけないんだろう」と思うこともある。じっくり自分で考えて決めたというよりも、子供時代から途中をすべてすっとばして現在に至っている、といった具合で、なぜ今ここで私はこのようにしているのか、「コギト・エルゴ・スム」なんていうことばさえ浮かんできたりするのである。で、結論が出るかといえば当然の如く出るワケがない。「どうしてこんなことしてなきゃいけないんだろう」と考えているときは、原稿を書いてもろくなことにはならないので、真向法の前屈体操と、のけぞり体操をやって、サッサと寝ることにしている。…

 〆切が近づくと、だんだん憂鬱になる。机の前にスケジュール表には、赤い太字ペンで〆切日が囲んであるが、知っていながら知らないそぶりをして自分自身をゴマカす。本を読んだり、編物をしたりしてギリギリまでゴマカす。そしてにっちもさっちもいかなくなって、やっとこさ重い腰を椅子の上に乗せて、タメ息をつきながら枡目を埋めるのである。原稿用紙ってどうしてこんなに二百個も四百個も枡目があるのか、と腹が立ってくることもある。読みたいと買ってきた本が、机の横でピサの斜塔のようになっている。本はいくら読んでも読み足りないし、編物もいくらやっても編み足りない。しかし、原稿は書き足りないということはないのである。横目でにらみながら考えるのは、「どうしてこんなことをしてなきゃならないの」ということだけである。中には積んでおいてそのままになり、何年後かに手にとるとゴキブリのフンで汚れていることがあって、とても悲しい思いをする。しかし、これを仕上げないとお金が入ってこない。読みたい本が買えるのも編みたい毛糸が買えるのも、この仕事をしているからだ、という結論に達すると、「わーん」と泣きながら、また一つ一つ枡目を埋めはじめるのである。

 それでもまだ枡目が埋められるときはいい。一番困るのは、ダラダラと自分を甘やかしてゴマカし続けたあげく、いざ机の前に座ったとたん頭の中が真白になってしまうことである。本当ならば短期集中型でなんとか原稿ができあがるはずなのに、一文字も書けない。断片的にいろいろなことは浮かんでくるが、それの一つ一つは、指定された枚数をクリアできるようなものにふくらんでいかないのである。ここで私はアセる。こんなハズではなかったと思う。ガソリンを入れなきゃ動かない、とコーヒーばっかり飲んでしまうが、結局右手は全く動かない。…」

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売れっ子作家の苦悶。

posted by Fukutake at 07:59| 日記