「小さな悪魔の背中の窪み ー血液型・病気・恋愛の真実ー」 竹内久美子 新潮文庫
長生きする人 p159〜
「(作家は長生きが多くないようだ、しかし)井伏鱒二氏(一九九三年七月十日没、九五歳)の長寿などは貴重な一例だと思っていたが、よくよく考えて調べてみると、どうもそういうことではないことがわかってしまった。氏は元々、画家志望だったのである。
広島県の中学(旧制)を卒業した井伏氏は、画家になるべく日本画家の橋本関雪の門を叩いている。だが、入門を許されず、やむなく早稲田大学の予科へ入学、同大学文学部へ進み、文学を志した。「山椒魚」の原型となった「幽閉」を書いたのはこの時期である。それでも画業への望みは捨て難く、文筆活動の傍ら美術学校へ通った。文筆が忙しくなるにつれ、しばらくは絵を忘れていたが、還暦を迎える少し前に虫垂炎で入院した。このとき「自分の一番やりたいことは、絵を描くことだった」と改めて気づき、再び画塾へ通い始めたのである。六十の手習いとも言える訳だが、この画塾通いは六年間も続いたという。世間で認められたのが文筆家としてであり、画家としてではなかった。それが井伏鱒二という人の本質のようである(そういえば同じく長生きの武者小路実篤氏も、色紙などに簡単な絵を多数残しておられる)。
画家と生物学者の共通項は何だろう。それは、子どもに特徴的な性質を大人になってもまだ持ち続けているということではないだろうか。人にはお絵描きに夢中になったり、壁や床にまで落書きをして親を困らせる時期がある。ところがたいていの人はその楽しみをいつしか忘れ、面倒臭いとか服が汚れるから嫌だなどと感じ始めるのである。画家や生物学者というのは、いつまでもその楽しみを忘れない人々、大多数の人間に比べ非常にゆっくりとした展開で大人になっていく人々と言えるのではないだろうか。彼らの長生きの秘密はそのあたりにあるような気がするのである。
しかしそうはいうものの人間は、それ自体が既に長生きの動物なのである。動物界全体を見渡してみても、これほどの長寿は珍しい。デズモンド・モリスは『年齢の本』(日高敏高監訳、平凡社、ちなみに私も翻訳の作業に関わっている)という面白い趣向の本の中で、人間についての話題とともに動物の長寿記録というものを載せている。その中で人間の最長寿者(泉千代氏。本が書かれた当時まだ存命で一一八歳だった。氏は百二十歳で死去)に勝ったのは一五二歳+αのカメだけである。(αはそのカメが捕らえられた時の年齢が不明であったため)。類人猿についてみてみると、アメリカのフィラデルフィア動物園で飼われていたオラウータン、グアスの五九歳という記録が最高である。類人猿は野生の状態では五〇歳くらいが上限であると思われる。
類人猿と比べ、いったい人間はどのような理由で寿命を延ばしてきたのであろう。
ネオテニー(幼形成熟)という言葉をご存知だろうか。平たく言えば、子どもらしさを残しながら大人になるということである。そのネオテニーが人間では驚くほど強力に起きている。類人猿などと比較してみると、それは非常によく理解される。特徴は、毛深くない、アゴが小さい、頭が大きくて丸い、肌がきめ細か、頭髪がしなやか。しばしば泣く、強情、我儘、人見知りをする(シャイ)、内気、好奇心旺盛、想像力豊か、空想の世界に遊ぶ(放心癖、うわの空)、思考が柔軟である…。その結果、子ども時代が長く、静的成熟までの期間が長いということになる。多分その長さが寿命という人生全体の長さをも引き延ばしていると考えられるのである。」
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