「アラン人生語録」 井沢義雄・杉本秀太郎訳 彌生選書
社会主義 p201〜
「私は社会主義というものにあまり期待していない。というのは、ここにも権勢というものが見出されるからであり、いいかえれば、ここでは自由が第一の善とみなされていないからである。自由第一ではなくして、正義第一、こうしたものがおよそ社会主義なるものの公式なのだ。力をもつためにまず服従するという観念が、これを支配する。そして、こうした観念に対応して実践面でも、きびしい規律による闘争組織がつくられる。…
フランスにおいてもドイツにおいても、生産物のよりよき分配を要求してかくも効果をあげた社会主義の強力な組織が、社会主義者たちの殺戮を避けるためにも、これを少ないものにするためにも、なに一つなしえなかったということ。そして戦争がますます、しかも比較を絶して、最大の人間悪になってゆくこと、これもあきらかなのだ。げんに戦争というものは自由な思想の保障も、行動の自由も、安全も、社会福祉もすべて一挙に抹殺してしまうのだから。…なによりもまず専制主義というものに反対しなければならない。すでにあの血なまぐさい経験がみせてくれたように、このものは、財の分配の不平等といったことにくらべてはるかにずっと恐るべきものなのだ。…
本来の意味での権力は、私には富というものとははっきり別もののように思われる。そして、論議も拒否も怒りを受けつけず、人間を即座の服従と即座の死とのあいだにおく赤裸々の権力というものを、まさしく戦争秩序はまざまざとみせてくれた。…
たとえ億万長者が私を支配しようとしても、私を笑わすだけだろう。私は粗食と自由をえらぶことができるわけだ。それゆえに、こういっていい。すなわち、権力という言葉の現実的な意味における権力とは、本質的に軍隊的なものだと。そしてこのものは、恐怖と憎悪が支配し、長たるものたちに救いと勝利を期待してこのまわりに熱狂的にあつまる、武装した集団においてはじめて姿をみせるものなのだと。平和の状態においても、権力の、すなわち絶対的な尊大な神聖な権力のなごりは、つねにそうした恐怖と憤怒との状態に支えられている。S戦争に抵抗することと、権力に抵抗することは、同一の努力なのだ。かかるがゆえに、われわれはここでもまた、なによりも自由を愛さなければならぬのである。」
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分配の不平等が社会への民衆のルサンチマンとして、権力者の独裁に利用され、結果圧政に加担することとなる。ヒトラー、毛沢東をみよ。
そして、プーチンを!
2022年04月01日
自由ではなく、正義を! ?
posted by Fukutake at 07:48| 日記