2022年03月30日

雪舟はセザンヌ

「井伏鱒二全集 第十二巻」 筑摩書房 昭和四十年

築山 p474〜

 「先々月、備前の閑谷學校を見物して、歸りにその谷筋から別の谷筋に入つて或るお寺に寄つた。道案内してくれた人の話では、この寺は室町時代の創建で、有名でも何でもないごく平凡な寺であるさうだ。訪ねて行つた目的は、私の方はここの川の釣状況を知ることで、道案内してくれた人の方は、お寺の住職と親しいから庫裏でコップ酒をよばれることであつた。

住職はコップ酒を出してくれ、晝間の酒を飲まない私のために書院の戸を明けて庭を見せてくれた。いい築山であつた。住職に聞くと、いつごろ造られた築山か知らないといつた。私は古い庭を見るときの自分の常套で、この築山は構圖的にいつて三角形・逆三角形の構圖の取りかたをしてゐるかどうだらうと思つた。ところが、その構圖を如實に見せすぎてゐた。但、三角形・逆三角形といつても、繪畫藝術の方では別に何か適當な名稱を使つてゐるのだらう。私は正式な名稱を知らないから假にさういつて置く。つまり畫布を一つの矩形と見て、その横の一つを邊の中點から對應する邊の両端に線を引いて三角形をつくり、その底邊の両端から對應する邊の中點に向けて線を引いて三角形をつくる。畫布の面に三角形と逆三角形をいつぱいに描くわけである。線は二箇所で交差する。これにもう一つ三角形を重ねると、また幾つか交差する點が出来る。その點を追ひ線に沿ながら、樹木や岩や池の水岸の石を配置する。廣重の五十三次やセザンヌの油繪などによく見る構圖の取りかたである。岸田劉生の切通しの繪や、木立を配した小道の圖にも取入れてあつた。ルネッサンスの頃の繪にも取入れてある。

 備前の寺の築山はその構圖が、はつきりわかりすぎるやうに造られてゐた。三角形・逆三角形がそのままそこに見えるやうであつた。これは造園藝術の昔からの方式かも知らないが、それでは雪舟の造つたといふ築山はどうだらうか。

 いつか私は山口縣の川棚温泉に泊つて、翌朝早く裏のお寺の雪舟作といはれる庭を見に行つた。池のほとりに若い尼さんが佇んで朝のお祈りをあげてゐた。その向こうの高みのところでも、若い尼さんが合掌しながら祠に向つてゐた。私はお祈りの邪魔をしてはいけないと思つて宿へ歸つたので、庭のことでは何の印象も残つてゐない。

 それから三年か四年して、文藝春秋の催しで石見に行つたとき雪舟の作つたといはれる庭を二箇所で見た。その一つは庫裏の座敷に坐つて見た。これは大體において三角形・逆三角形の構圖であつたやうに思ふ。芝生のところのモミヂの古木が枯れてゐたが、立つてゐるのは線の交叉してゐる位置ではなたつた。枯れたら枯れてもいいのではないかと思つた。そのころ私は、それほど雪舟の庭はセザンヌの構圖と同じだと獨りできめてゐた。原形はさうであつた筈だと思つてゐた。別に根據があつてのことではない。」

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posted by Fukutake at 08:54| 日記