「棚から哲学」 土屋賢二 文春文庫 2002年
女の扱い方 p130〜
「企業が何千億円も損失を出すことがあるが、どうやったらそんなに損失を出せるのだろうか。わたしがどんなことをしても何千億円も損失を出せないだろう。また、一人で何十億円も銀行から詐取する詐欺師がいるが、どうやったのだろうか。わたしには、自分が稼いだ金を二千円ごまかすことさえできない。
女の扱い方についてこういう疑問をもったことはなかった。わたしは最初、女は天使、女神、観音様と同類かと思っていた。悪くても犬や猫の仲間だろうと思っていた。その後、幾多の苦い経験を重ね、ライオンかハイエナの仲間ではないかと疑う段階を経て、ゴジラの仲間だと気づいたとき、ついに真理を見出だしたと思った。暴れるゴジラ相手に打つ手はない。女の扱い方を考えても無駄だ。こう思った。わずかに「どうして善良な人間を平気で踏み潰せるのか」という疑問を抱いただけだった。
しかし、あるとき、テレビの番組を見てから、わたしの認識は一変した。それを見たのが何ヶ月前だったか、何年前だったか忘れたが、百年前ではなかったと思う。
その番組は、冷戦時代に東ドイツの諜報部が西側の女をどうやってスパイに仕立てたかを描いた外国のドキュメンタリーだった。その方法は、狙いをつけた女に男性諜報部員が接近して、恋に陥らせ、スパイ行為を働かせる、という古典的な手口である。元諜報部員の証言によると、狙った女は、100パーセント恋に落ちたらしい。
これを見て、ぜひ知りたいと思ったのは、どうやって狙った女を恋に陥らせることができたのか、ということだった。その諜報部員がハンサムだったのならまだ分かる。だが、テレビで見た限り、誘惑した諜報部員はどれも、わたしと似たり寄ったりのさえない男なのだ。そういう男が、富豪、医師、青年実業家などを装いもせず、狙った通りの成果をあげたのだ。その具体的な手口を、わたし以外の全男性に代わって知りたい(だがテレビでは詳しい説明はなかった)。
もっと知りたいのは、どうやってスパイ行為を働くように説得したのか、ということだ。たとえ女が恋に落ちても、男の思うことをやらせるのは至難のわざである。第一、頼みごとが尋常ではない。西側の女に祖国を裏切って重罪を犯してくれ、と頼んでいるのだ。しかも尋常な相手に頼みむのではない。ちょっとそこの新聞を取ってくれ、というささやかな頼みごとでもきこうとしない女が相手なのだ。
テレビによると、親密になって数ヶ月たったころ、「スパイをしてくれないと、もう会えない」といって、女にスパイを働かせたという。だが、これは何の説明にもならない。かりにわたしが「そこの新聞を取ってくれないと、もう会え愛」といってもゴジラを竹槍で脅すようなものだ。
わたしはそれまで女を意のままに操ることは絶対に不可能だと思っていた。それが可能なら、太陽が西から昇っても、阪神が優勝してもおかしくないと思っていた。女を自由に操る男がいることを知ったとき、女は深い謎となり、どうやったら女を意のままに操れるかを解明することがわたしの研究課題となった。わたしがオンナに踏み潰されているのは、たぶん女のお扱い方が適切でないか、女が適切でないか、わたしが適切でないかだ。
考えてみると、女が会社の金を何億円も横領して男に貢いだという事件はときどき起こっている。そういうニュースを聞くたびに、わたしは知っている女とは種類が違うと思ってきたが、適切な扱い方を知っている男は、女を思い通りに操っているのだ。
われわれは元諜報部員やオンナに貢がせた男からぜひともノウハウを学ぶ必要がある。彼らを講師に迎えた特別な学校ができないものか(カルチャーセンターや大学のような所で教えるにはテーマが重大すぎる)。女の扱い方は犬の訓練法に似ているのではないかと思うが、マスターするのは桁違いに困難だろう。だが卒業に十年かかっても二十年かかっても、勉強したいものだ。」
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