「脳に映る現代」 養老孟司 毎日新聞社
見ることと聞くこと p250〜
「バカと言われて、あなたが怒ったとする。それなら、バカという字を書いた紙を見せ られても、やっぱり怒るであろう。言われた言葉は、耳で聞く。書かれた文字は、目で 見る。バカもの、いちいち当たり前のことを言うな。そう思うかもしれないが、それなら なぜ、聞いても、見ても、どちらであっても、「バカ」なのか。耳に聞いてバカであれば、 字で書いてもバカである。われわれが、そのどちらに対しても、同じ意味を知るという のは、どういうことであるか。それこそが、目と耳とが、脳の中で連絡している証拠で はないか。バカという音を聞くことと、バカという文字を読むことは、脳の中で、同じとこ ろに落ち着くはずである。それがすなわち、われわれが了解するところの、バカという ことばの意味なのである。
こうして、「ことばを用いるかぎり」、目と耳とは、脳の中で自在に連結するように思 われる。ところが、である。目に見えるものと、耳に聞こえる音とは、まったく違うもの である。脳はそれを一緒にする。その例は、バカということばで見たとおりである。こ れは、脳という器官が持つ、特徴的な性質なのである。その二つが一緒になるのが、 むしろバカげている。言語はそれをあえて一緒にする。というよりも、それを一緒にす ることができるような規則、それこそが言語の規則なのである。あるいは、「言語とい う規則」なのである。われわれは年中ことばを使う。そのために、目と耳が一緒になる ことに、いささかも疑問を感じない。
目と耳だけではない。味であろうが、臭いであろうが、手触りであろうが、脳の中で は、すべて混ざってしまうとも言える。それは当然である。なぜなら、脳とは、こうした 「異なる感覚器官をつなぐものとして、生じてきたからである。感覚だけではない。さら にそれらを、「運動」とつなぐ。こうしてすべてを連合し、その結果、そこに生じてくるの が「意識」であるらしい。その意識が、考えることであり、意志であり、記憶であり、自 分であって、それらはすべて、脳の機能と言える。その「意識」が逆にまた、「見るこ と」「聞くこと」「触ること」とその他もろもろを含んで成立している。
では、見えるものと、見ないものが、なぜ存在するのか。耳と関係する脳の部分に は、「見えるもの」はない。したがって、そうした脳の部分の機能においては、「見えな いもの」ばかりが存在するであろう。他方、目に関わる脳の部分では、「見えるものが 存在している。それだけのことではないか。そのうえ、面倒な話だが、この「存在する」 という感覚そのものが、これまた、脳の機能なのである。
音や臭いには、形はない。こういうものは、本来「見えないもの」である。ところが、音 も臭いも、脳の中にある。したがって、われわれがすなわち脳が、「見えないもの」を 知っているのは、べつに不思議なことではない。」
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ことばの不思議
2022年03月09日
見えるもの、見えないもの
posted by Fukutake at 11:44| 日記