「田中美知太郎全集 15」 筑摩書房 昭和六十三年
ぜいたくな不幸 p62〜
「節約とか倹約とか言うことが言われるようになった。何だかほっとした気持ちがしないでもない。というのは、今までは無理にぜいたくをさせられていたようなところがあったからだ。わたしはうっかりして電灯をつけっ放しにしておくことが度々で、いつでも叱られ通しである。これはあるいは子供のときから続いているのかとも思う。わたしの母は日本が極度の貧乏国であった明治十年代の生まれであるから、生活上の実際教訓による倹約の熟練家のようなところがある。だから、わたしのうっかりした無駄づかいをなかなか許してくれない。ところがそんなわたしも他の若い諸君といっしょに生活することがあると、つけっ放しの電灯を消したくなってしまう。何だかケチケチしているようでみっともないなと、時には恥ずかしく思いながら、つい倹約家になってしまう。これもあるいは仕方のないことかも知れない。何しろわたしたちのような明治時代の貧乏国に生まれ戦時中その最低生活を通り抜けてきた年代の者には、実生活によって否応なしに倹約家に仕立てられてしまうのが、一般だからである。だから、急に日本が経済大国となり、国民総生産でも個人所得でも世界の最高位に迫るということになっても、それにうまく適応できないところがある。倹約は時代遅れの悪徳であり、もっとぜいたくで豊かな生活をしなけえばならないと言われても、ただ当惑するばかりである。自分のケチ根性を恥ながら、何となく身につかないぜいたくをさせられた、ということにもなる。だから今あらためて質素倹約を言われると、やっとわが家にもどった感じで何かほっとするわけかも知れない。
といっても、ぜいたくに慣れるということもそうむずかしいわけではなく、わたしたちの生活も知らぬ間にぜいたくになってしまう。最初トイレットペーパーが買い溜めの対象となったのも、象徴的である。つまり、水洗便所が普及していなければそんなことは起こらなかっただろう。戦時中の雑炊食堂やさつまいもの配給に長い行列とつくったのとくらべると、そこには大きな格差を認めなければならないだろう。物がないといことは大変なことなのである。これまでは物価高ということだけがやかましく言われていたが、考えようによっては物が高くても、とにかくいくらでも好きな時に買えるのは、やはり有難いことと言わなければならないだろう。高い物は買わないとか、買い控えるとかいうことで、何とかやっていけるからだ、しかし物がないということはもっと困難なことになり、場合によっては絶体絶命の深刻事となるかも知れない。トイレットペーパー騒ぎが起こったとき、その情報がわたしたちのところに届くのは恐らく一番遅れてであろうから、出かけて行っても何も買えずにもどるのが当たり前である。一生の中に二度もこんな経験をしなければならないとは、と戦時中を思い出して家の者はなさけないという顔をする。」
(昭和四十九年 文藝春秋二月号 巻頭随筆)
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