「ぬるい生活」 群ようこ 朝日新聞社 2006年
更年期 p160〜
「アンチエイジングについて、女性に対しては、中高年に消費してもらいたいせいか、痒いところに手が届く商品が発売されたり、精神的なケアも昔よりはなされるようになった。しかし男性に対してはまだまだで、外見だけではなく老いる現実についても、男性は意識が希薄のような気がする。外見は着こなし術やヘアケアなどでごまかされるかもしれないが、問題なのは内面のケアである。
どんな家庭でも、年月が経てば経つほど、妻主導になるらしい。しかし妻のいうことを聞いておけば、万事収まると考えているのも問題だ。だいたい、既婚の男性のほとんどは、自分の体が動かなくなったとき、妻が自分の面倒を見てくれると思っている。そのためには、腹が立ってもなるべく妻には逆らわないようにしているという人もいる。しかし自分が妻の介護をすると考えている男性は、いったいどのくらいいるだろう。自分が介護をしてもらうという目算と同じくらい、妻を介護する可能性があることを、ころっと忘れているような気がする。よほど奥さんが年下でない限り、夫も妻の介護がまれでないことを認識するべきなのだ。
私がこれまで周囲の男性を見て感じたのは、彼らの何十年後かを想像したとき、
「この人は自分の面倒を見てもらうことは考えていても、妻の介護をする立場になる可能性があるとは、全く考えていない」
ということだった。何の根拠か自分は介護される立場でしかないと考えている。誰が介護するしないという問題ではなく、女性に対する男性の気持のありようという意味である。女性にも打算的な人はたくさんいるが、男性は生活のなかで自分が負うべき問題を無視して、自分が積極的になれない部分からは目を背け、自分にとって都合のいい女を探しているような気がしていた。みんながみんなそううまくいくわけでもなく、思い通りにいかないときにどうするかという危機感に欠けているような気がした。
最近は「濡れ落葉」で考えを変え、現役で働いている頃から趣味を持つ人も増えたし、妻の介護をしている男性もたくさんいる。一方で中高年の男性の自殺者が増えている。これからは社会との関係性が変化し、体調も変化する男性の更年期障害のケアが必要になってくる。
多くの男性はもう仕事だけで気持ちがいっぱいいっぱいで、とてもじゃないけどそんな余裕はない。妙に意固地でまじめすぎる。明らかに神経が、昔の表現でいえば女性化していて、いつも頭の中がヒステリー状態になっているようにみえる。私が若い頃に職場でよく耳にした、
「だから女はだめなんだ…」という、男性が嫌がっていた女性の鬱陶しさの状況が、ぴったりとあてはまるのである。」
-----
男の老年