「100分で名著 特別授業 養老孟司 ー夏目漱石ー 読書の学校」 NHK出版 2018年
英語は必要な人だけ学べ p76〜
「二〇二〇年には小学校三、四年生から英語教育が導入されることになったと聞きました。幼稚園でも五割が英語を教えています。まだ日本を話せない0歳児から英語教室に通う人もいるらしい。
日本では、何歳から始めるか、早いほうがいいのか、そればかりが注目されています。もっと大事なことは、日本語を使う我々が英語を学ぶとはどう言うことか、これについての議論です。
英語を使う脳と日本を使う脳、これは様々な言語がある中で、最も使う脳の部分が離れていると言われています。だからそもそも日本人には難しい。
また、それ以前に、日本人が全員、正しい英語を話す必要なんんでない。外国人の中に日本語がちゃんとできる人がいるように、日本人の中に英語ができる人もいるのは当然で、お互いそういう人がいれば事足りる。必要な人だけ学べばいい。全員がやる必要は全くないと思います。
いまやアジアでの共通言語は正しい英語ではありません。ブロークン・イングリッシュです。それが共通語として成立している。
「ネイティブな発音を幼いうちに身につけさせたい」「早く教えないと正しい発音が聞き取れない」なんて馬鹿げている。そんなものは大して役に立ちません。
私に場合、英語で論文を書いていた時期もありますが、そのためには英語の頭に切り替えないと書けませんでした。日本語で考えて文章を作ってから英語に訳していくのでは、全く別のものになってしまうのです。
私には言葉にこだわりがあるので、英語で論文を書く時は、英語でものを考えて書いていました。適切な表現が見つかるまで英語で考え続ける。そうすると、日本語なら三日で書ける論文も一ヶ月もかかってしまうことになる。
日本では英語を常に使う環境にありません。しばらく英語を使わないと、英語の語彙はどんどん減っていく。いくつか英語で論文を書きましたが、それ以降は、バカバカしくなってやめました。その時間にほかのことができるからです。
言語にはその言葉を使う人たちの文化や考え方が含まれます。
上智大学のイギリス人の教授から、こんなことを聞いたことがあります。彼は日本語がとても上手でした。日本語で四時間教授会に行った後、ロンドンの出版社から彼のところに電話がかかって来た。しばらく話している間にカンカンに怒って、電話に相手を怒鳴りつけたといいます。電話を切って一時間ぐらい経ってから、その教授は大いに反省していました。
「日本語で考えていたからあんなに腹が立ったんだ」
どういうことかわかりますか。イギリスでの英語の会話の中では普通だとされているやりとりでも、そのまま日本語に訳して聞いていると、日本の社会では非常に失礼なやりとりになってしまうことがあるのです。…
結論を言うと、自分がその国の価値観にどの程度慣れているのか、どの程度理解できているかということに比例して言葉が上手になるのが望ましい。言葉だけが上手いのは、考えものなんです。」
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言語は仕草、文化、習慣。