「漢詩名句 はなしの話」 駒田信二 文春文庫
帝力我に于て何か有らんや p284〜
「古代の伝説上の帝王堯のとき、一人の老人が鼓腹撃壌(こふくげきじょう)しながら歌ったと伝えらえる歌がある。鼓腹とは、満腹して腹鼓をうつこと、撃壌とは壌(地面)をたたいて拍子をとること。「撃壌歌」と呼ばれるこの歌を載せている最も古い書物は、後漢の思想家王充の『論衡』である。
日出而作 日出(ひいで)て作(たがや)し
日入而息 日入りて息(いこ)う
鑿井而飲 井(せい)を鑿(うが)ちて飲み
耕田而食 田を耕して食(くら)う
帝力于我何有哉 帝力我に于(おい)て何か有らんや
日が出たら起きてはたらき、日が暮れたら家へ帰って休む。
水がほしければ井戸を掘って飲み、食べたければ畑を耕して食べる。
天子の力など、おれたちには何のかかわりもないことだ。
『論語』に次のような章句がある。
「子曰く、無為にして治むる者は、それ舜なるか。それ何を為すや。己を恭(うやうや)しくして正しく南面するのみ」(衛霊公篇)
「子曰く、政を為すに徳を以ってすれば、譬えば北辰のその所に居りて衆星これに共(むか)うが如し」(為政篇)
徳治の最高のかたちは無為自然であるという政治思想がここに見える。尭・舜の時代はそういう時代だったという。民が鼓腹撃壌して「帝力我に于て何か有らんや」という、それこそ尭・舜の意図した政治だったのだ、という意味で作られた歌であろう。
この歌から、人民が太平をたのしむという意味のたとえとして「鼓腹撃壌」という言葉が使われるようになった。」
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理想の政治